第21話 従僕の独占欲(2)


 軍服姿の旦那様に連れられ、シュテルンベルク王国の王城に初めて足を踏み入れて三週間。


 宮廷魔術師団の専用演習塔にある魔法で作られた仮想領域のひとつを特別に借りて、アルトはこの王国随一の魔術師と名高い旦那様――宮廷魔術師団団長、グレイフォード・ディートグリム公爵閣下に師事していた。


 《――グァァァウッ!》


 咆哮を上げて、赤い目をした魔物の巨体が倒れ伏す。


(だいぶコツが掴めてきたな)


 アルトは魔物の血がついた剣を振り、鞘におさめた。


「本日はここまでにする」

「はい。ありがとうございました、旦那様」


 あがっていた息を整えながら、アルトは胸に手を当て敬礼する。

 三日間の完全休息期間を経たアルトは、四日目より早速グレイフォードから鍛錬を見てもらえることになった。


 国王陛下に仕える忙しい身分であるグレイフォードがこの場にいられるのは、分身魔法を使って〝宮廷魔術師団団長〟と〝ディートグリム公爵家当主〟として同時存在しているためだ。


 グレイフォードは半径一キロ以内であれば、自由自在に分身魔法を操れる。

 上級魔法の中でも非常に精神力を使うとされている分身魔法を常時使い、その上これほど離れた距離で重要な仕事と高度な鍛錬を完璧に行える者は、上級魔術師の中でもごくわずかだ。


 だからこそ、王太子殿下から演習塔を使う特別許可が降りた。

 筆頭魔術師が見込んだ者を自らの手で鍛えるという意味はすなわち、将来の筆頭魔術師を育てるということだ。


(というのは建前で、単に面白いからという理由だけかもしれないな)


 アルトはいつの間にか見学に来ていた王太子、ユーフェドラ・シュテルンベルク殿下を見やる。

 金髪を肩丈で切り揃えた碧眼の美青年は、優雅な微笑みを携え拍手をしながらこちらへ近づいてきた。


「すごい、すごい。流石だね、アルト」

「……ユーフェドラ。お前、今日も見に来たのか」

「今日もなんて、暇人みたいに言わないでくれるかい? グレイフォード。まだ三回目じゃないか。今日は魔物を召喚して鍛錬をするというから、気になってね」


 どうやら彼の方は分身ではなく本人のようである。

 アルトは胸に手を当てて敬礼で挨拶をした後、「身に余るお言葉をいただき、大変恐縮です」と目礼を返す。


「あの魔物は討伐の際に宮廷騎士団の中隊がひとつ全滅したんだよ」

「……そうなんですか」

「うん、十年前のことだけれどね。痛ましい事件だった。十年前と言えば、僕もグレイフォードも十八歳の学院生でね。陛下に直訴して特別許可を貰って、この魔物討伐作戦に参加したんだ」


 ユーフェドラは倒れ伏した巨体を眺めながら、「その時に僕が収拾した魔石を使ってここで再現しているから、ほとんどあの時と同じ威力を持っているはずだよ」と、名も無い魔物の物語を語る。


 魔石とは魔物を討伐した際に残される核であり、魔物の心臓のようなものである。


 この三週間、朝から晩までここでグレイフォードに師事しているが、魔物たちがどのようにして魔石となり、演習塔で使役されるようになったのか……、グレイフォードの性格ゆえか、今まで一度も背景説明をされずにいた。


(ただ毎日、魔物討伐の難易度が上げられているな、とは思っていたが)


 何も知らされていなかったアルトは、本日対峙した魔物が過去に約二百人の命を奪っていたと聞いて、驚くしかなかった。


「今はグレイフォードが術式を作った魔法で宮廷魔術師団演習塔に仮想領域ができて、魔石から訓練対象物を召喚できるようになったから、宮廷騎士団の戦力も上がってきているけれど」

「それでもまだまだだがな。二個小隊壊滅程度で討伐できれば御の字と言う古狸は多いが、人命が失われることに変わりはない」

「まずは魔力量が大きな壁になるからね。戦力の底上げには長い年月が必要になる」


 グレイフォードの厳しい表情に、ユーフェドラはやれやれと肩を落とす仕草をした。どうやらこの二人は現在の軍のあり方に疑問を感じているようだ。


「とにかく。そんな魔物を訓練とは言えひとりで討伐してしまうのだから、君は有望だよ」


 アルトを見下ろしたユーフェドラは、唇にやわらかな笑みを浮かべ碧い目を細める。


「将来は是非とも宮廷騎士団に入隊してほしいな。君ならすぐに昇進できる。そうしていつか、レグルスの右腕になってくれると嬉しいんだけれどね」


 それは暗に第二王子のものになれ、と言っているのだろうか。


 本気なのか、本気ではないのか。血統書付きの猫のような雰囲気を持つ王太子殿下の気まぐれな態度に、アルトは眉をひそめる。


「……僕は生涯、ティアベルお嬢様の従僕ですので。僕の剣は今も未来もお嬢様だけのものです」

「ふふっ、硬いなあ」


 ユーフェドラは腰を折ると、アルトの瞳を覗き込む。


「ティアベル嬢にだって、いつかは婚約者ができる」

「…………っ」


 唐突に突きつけられたその言葉に、アルトの胸が軋んだ。


「特別な場合を除き、嫁ぎ先に従僕は連れていけないからね。主従契約を破棄された後の人生設計は重要だ。選択肢は多い方がいい」

(――主従契約を破棄された後の、人生……)


 そんな未来があるなどと、考えもしていなかった。


 だが、ユーフェドラの言う通りだ。専属メイドならまだしも、一体どこの屋敷が武力に優れた他家の従僕を迎え入れるというのだろう。

 公爵令嬢が婚姻を結ぶほどの家格であれば、信頼できる新たな護衛を付けたがるに決まっている。


「けれど君に揺るがぬ地位があれば、ティアベル嬢に付き従い、生涯守護することも叶うだろう。――そう思わないかい?」


 優しい兄のような態度でいながら、優しさなど欠片も浮かんでいないユーフェドラの双眸に気圧される。

 アルトは目をそらしながらうつむき、いろいろな感情を押し殺しながら、「……そうかもしれません」と答えた。


 そんなアルトの肩に、そっと大きな手が添えられた。旦那様だ。


「アルト。転移魔法を使える魔力は残っていそうか?」

「大丈夫です。三回に分けて転移することにはなりそうですが」

「そうか。それでは気をつけて帰るように。夜は過剰な自主学習をせず、よく休むんだ。いいな」

「はい。ありがとうございます。……それでは、お先に失礼致します」


 アルトは大人ふたりに向け、胸に手を当てて敬礼する。


「うん、またね」


 微笑みながらひらひらと手を振るユーフェドラに、アルトは苦手意識を持たずにはいられなかった。


 アルトは王城にある宮廷魔術師団の専用演習塔から転移魔法を使って、王都の郊外にあるディートグリム公爵邸へ向かう。


 途中、王都内にある衛兵が管理する転移魔法陣を通過する。これは事前にグレイフォードから指定された中継地点だ。


 転移魔法は上級魔法の中でも非常に扱いにくい部類に入る。

 独学で学ぶには難しく、王立魔法学院を卒業した者の中でも、『空間魔法理論』を修めた者だけしか使用できない。転移魔法陣を一切使わずに転移できる者はその中のさらに少数となる。


 勤勉家なアルトも理論は当然把握していたが、九歳という若さで魔法陣に頼らずに転移できるようになったのは、グレイフォードの徹底した指導のおかげだ。


 けれども、今日のように鍛錬で魔力を使いすぎた時には、成長途中の身体に負担をかけないためにも、転移魔法陣を使用するようにしている。


 王国内にはこのように衛兵が管理する転移魔法陣がいくつもの存在する。

 その性質上、一般人の使用頻度はかなり低いのだが、防犯や警護の観点から、転移魔法陣を通過するたびに許可証を見せて通る必要があった。


「許可証を」

「宮廷魔術師団長、グレイフォード・ディートグリム公爵閣下より賜っています」


 通行許可を得るため、許可証となる特殊な魔法陣を衛兵が持つ魔法石にかざす。この魔法石に、いつ誰が転移魔法陣を使用したか詳細な記録が残る仕組みだ。


「……確認した。転移魔法陣の使用を許可する」

「ありがとうございます」


 魔法陣は転移魔法の補助を行ってくれるものの、結局その発動は自分の魔力で行わなければいけない。

 アルトは衛兵にお辞儀をしてから、無詠唱で転移を行う。

 それを二度繰り返しながらも、思考は先ほどユーフェドラに告げられた言葉で埋め尽くされていた。


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