第18話 毒林檎令嬢の本領発揮(3)
言葉に表現しがたい、温かな魔力が胸の内に広がる感覚。この天啓が降りてきたかのような現象には、身に覚えがあった。
……ああ、やった! これでアルトを助けられる……っ!!
「――天より賜りし禁忌の果実。〝毒林檎〟よ、彼の者に
考えるよりも先に、詠唱が唇から紡がれる。
いつの間にか、手のひらの中には――毒々しいほどに真っ赤に輝く〝毒林檎〟が召喚されていた。
誰をも仮死状態にできる禁忌の果実からは、ふわふわと紫色の妖しげな燐光が立ち昇っている。
「そ、そんな……」
絶望感に打ちひしがれながら、両手できゅっとそれを握り締め……――あれ? と気がついた。
ちょっと待って? 仮死状態? しかも私がその状態を操れるのよね??
「――アルト! 絶対に助けるから、今すぐこの〝毒林檎〟を食べてっ!!」
私は召喚した〝毒林檎〟を、アルトの口元へ素早く近づけた。しかし、意識が朦朧としている彼が齧れるわけもなく。
た、確か、唇に少し触れただけでも効果を発揮できたはず……!
苦しげに唸るアルトの唇に、一か八かでふにっと押し当てた。
その瞬間、紫色の妖しげな燐光がひときわ強く煌めき、〝毒林檎〟が跡形もなく消える。
アルトの呼吸が、すうっと止まった。
仮死状態になったのだ。
「……アルト…………」
そして予想通り、魔力中毒による先祖返りの症状もピタリと時を止めている。
よかった、これでアルトを助けられるわ……!
そう安堵すると同時に、お母様が息をひきとった瞬間にも似たアルトの表情は、私の心を一瞬にして凍らせる。
……大丈夫。アルトは、死んでない。
絶対に、助かるんだから。
「眠っているようにしか見えんが……詠唱から推測するに、ティアベルお嬢様の固有魔法は天命をも曲げる力を持っている、ようじゃな」
呼吸や脈拍を測り、心肺の動きが完全に止まっているのを確認したデノク癒師が言う。
「……はい。仮死状態にでき、その解除は私の意思で行えます」
「そうか…………」
デノク癒師は難しい顔で考え込んだあと、皺の刻まれた顔に柔和な表情を浮かべた。
「素晴らしい固有魔法じゃ。きっと将来、宮廷癒師団がティアベルお嬢様を欲するじゃろう。そう暗い顔をしなさんな。本当に素晴らしい、癒しの魔法じゃ」
「あっ……。ありがとう、ございます」
「うむ。さてさて、外に声をかけるかのう。わしではアルトをベッドまで運んでやれんからな」
緊張感の抜けた明るい声音で、「おーい」とデノク癒師が護衛騎士を呼んだ。
お父様が宮廷癒師団の団長らしき女性を伴って帰還したのは、それから十五分後だった。
我が家から王城までは馬車で片道三十分以上はかかる。
お父様の元へ向かった護衛騎士は、きっといくつかの地点を経由する形で転移魔法を繰り返して、王城までの移動を行ったのだろう。
転移魔法は魔力をごっそり奪う。きっと相当な無理をしたに違いない。
お父様の方は、癒師団長を連れて一度の転移魔法で屋敷の前までやって来た様子だったが、こちらがびっくりするくらい消耗が見えなかった。
だが顔にはやはり焦りや心配が滲んでいた。滅多なことでは狼狽えないお父様だけれど、流石に肝が冷えたのかもしれない。
「――終焉に終止符を」
人払いをし、お父様立会いのもと、アルトの自室で〝毒林檎〟の効果を解除する。
すうっとアルトの肺が膨らみ、呼吸が再開した。
美人な女性癒師団長は、メローナ・エンジェライトと名乗った。
ドレスのような女性用軍服を身につけた彼女は、次々に医療用の魔道具をアルトに当てて検査をしていく。
「ふむふむ。どこにも異常なし、っと」
優しいソプラノでそう言う間も、魔道仕掛けのペンがさらさらと勝手に書類に記入している。
メローナ様の検査によると心臓も肺も、その他の臓器もちゃんと動いていた。
「……ふむ。どうやら魔力中毒症状は完全に治っているようですね。魔力の強い獣人なのでもしや、と思いましたが先祖返りの症状も見られないです。仮死状態と同時に、魔力の悪性化も止まったのでしょうね。ティアベル様の固有魔法との相関関係は、詳しく調べてみないとわかりませんが」
それは、仮死をもたらす〝毒林檎〟が、確かにアルトの命を救った瞬間だった。
「安静に過ごせば、明日には日常生活に戻れますよ」
「ありがとうございます。本当に、本当に良かったぁ……っ」
ほっとして、力が抜ける。私はぺたんと膝から力が抜けて床に座り込んでしまった。
こらえきれなくなって、ぼろぼろと両目から涙があふれる。「うーっ」と泣き出すと、お父様が隣に膝をつき、「よく頑張ったな」と私を抱き寄せてくれた。
「魔力中毒の原因としては、肉体の成長と魔力の成長のバランスが崩れたせいというのが濃厚でしょうね」
つまり、魔力の使いすぎ。それを聞いて、はっとする。
きっと、私のせいだ。固有魔法のことで、私がアルトに負担をかけていたせい……。
私はぎゅっとドレスの胸元のあたりを掴む。
「それにしても……。ティアベル様の固有魔法は、実に稀有な固有魔法ですよ。今すぐにでも宮廷癒師団に入隊していただきたいくらいです」
「その誘いはお断りしておこう。我が娘はまだ八歳でね。見てわかる通り、まだまだ親に甘えたい年頃だ」
「うふふ。そうですか。戦場では役立ちますのに、実に惜しいです。ですが、ティアベル様の件は陛下のお耳には入れさせていただきますよ。私がお仕えしているのは、陛下ですからね」
「……致し方ない」
メローナ様はそれからも「本当に惜しい才能です」と何度も口にしながら、お城へ帰って行った。
◇◇◇
「……ん……っ……」
「あ、アルト? 起きたの?」
眠っていたアルトが身じろぎする。声をかけると、彼の睫毛が震え、ゆっくりと閉じられていた瞼が開いた。そこにあったのは、綺麗ないつもの色の瞳。
「……お嬢様。それに、旦那様も」
「アルト、起き上がらないでいいから寝ていて」
アルトが急いで上半身を起き上がらせようとしたので、彼の肩に手を添えて、ベッドへ横になっていていいのだと伝える。
しかし、彼は絶望に染まったような顔で「いえ。そんな場合では」と言い募ると、結局起き上がり、こちらに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません、旦那様。お嬢様の従僕として、最悪な事態を招きました。……僕にどうか、罰をお与えください」
「何を言う。お前はよく堪えた。あれほどまでに堪え抜くなど、普通の獣人にはできないだろう。罰など与えぬよ」
「しかし……!」
「…………そこまで言うのならば――……罰として、お前には一ヶ月の
「…………っ!」
「ティアベルの護衛は他の者に任せる。――それがお前への罰だ」
お父様は悪役顔でふっと笑うと、部屋から出て行った。
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