第16話 毒林檎令嬢の本領発揮(1)


 八歳の誕生日当日。今年は家族だけで過ごすことになった。

 女神の祝福と言い伝えられている固有魔法は、八歳の誕生日を迎えたその日に発現する。私は魔力量が多い方なので、固有魔法発現時に万が一暴走したら大変だ。


 アルトも、自分が仕える主にどれほど危険な固有魔法が発現するかと警戒しているのかもしれない。

 誕生日会が始まるまでの間、自室に控えている私のそばで彼は背筋を伸ばし、ぴしりと時々もふもふの尻尾を打っている。


「どんな固有魔法が発現するか楽しみね」


 少しでも場を和まそうとそう口にすると、アルトの唇が小さく弧を描く。


「心配なさらずとも大丈夫です。お嬢様には僕が付いていますから」


 どうやら彼には、私が緊張を隠して落ち着いているフリをしていたのがバレていたらしい。

 そう。実のところ私は別の意味ですごくドキドキしていた。


 というのも、この世界では絶対にあり得ないことだが、前世の記憶がある私は、まだ発現していない自分自身の固有魔法を知っている。

 白雪姫のごとく可憐な聖女様を害する魔女の老婆、いや、悪役令嬢が使う固有魔法と言ったらあれしかないだろう。


 私の固有魔法は、他人を仮死状態にできる禁忌の果実の生成……『毒林檎』の召喚だ。


 白髪のごとき長い髪、紅玉の瞳、そして両手でうっとりと毒林檎を持つ十七歳の少女――

原作の悪役令嬢ティアベル・ディートグリムは、王立魔法学院でも極悪非道の『毒林檎令嬢』の異名で恐れられていた。


 貴族生徒の中には、虎の威を借る狐状態で悪役令嬢の取り巻きをしていた子たちも多く、派閥があるような描写もあったっけ。

 なんだかんだ彼女はお友達が多かった。いわゆる恐怖支配というやつだ。


 どんな因果か私は幼い頃からすでに危険物扱いを受けていて、さらに社交界ぼっちもキメているので、原作軸ではどうなってしまうのか……と戦慄してしまう。


 ……ん? 待って?? 前世の記憶があったからこそ、今の私が幼い頃から恐れられているのだとしたら……やっぱりシナリオは変えられるってことよね??


 主従契約を結んだアルトとの関係はすごく良好だし、第二王子レグルス殿下との婚約も結んでいない。

 ここまで過去が変わってるのだから、私の固有魔法にも多少のバタフライ効果があってもおかしくない! はず!




 ……そう期待してから数時間。

 とうとう固有魔法が発現しないまま、夕食の時間になってしまった。


 そんな時、「旦那様。王宮から使者が来ています」と執事が慌てつつお父様に一通の手紙を渡す。どうやら急な呼び出しみたいだ。


「王城内演習塔の魔法に不具合が起きたらしい。まったく、ティアベルの固有魔法も発現していないんだぞ。絶対に呼び出すなと、あいつにはあれほど伝えていたのだが」


 休暇を申請していたお父様は、冥府の死神と見紛うばかりの恐ろしい美貌を歪め、「こんな時に」と眉間のシワを五割り増しにする。

 ほっかほかの料理を前にして、お父様は軍服を羽織った。


 今夜は例年の誕生日とは違い、お父様と家族団欒ができるかと思っていたのに。……なんて、考えちゃダメね。

 足早に屋敷を出て行くことになってしまったお父様を、私は使用人達と一緒に玄関先まで見送る。


「……ティアベル、すまないが」

「ううん、いいの。私は大丈夫だから、お父様はお仕事を頑張って。行ってらっしゃい」

「ああ、行ってくる。良い誕生日を。……アルト、ティアベルを頼んだぞ」

「かしこまりました旦那様。行ってらっしゃいませ」


 私の背後に控えていたアルトに声をかけて頷くと、お父様は大きな手のひらで私の頭を撫でた。



 長いテーブルにぽつんと一人で着席した夕食は、家族団欒はないものの、エリーやアルトが近くにいるから楽しく過ごせた。

 シェフやキッチンメイドも来て、「今年はこんな風に誕生日ケーキをアレンジしました」などとこぼれ話をしてくれるので面白い。

 八歳の誕生日は、和やかに過ぎ去っていこうとしていた。――その時だった。


「うっ……!」


 背後で、唐突にアルトのうめき声が聞こえたのは。

 私は慌てて振り向き、マナーも気にせず慌てて椅子から立ち上がる。その瞬間、ふらりとアルトが床へ倒れ込んだ。


「きゃっ! あ、アルト……! どうしたの、アルト! 大丈夫!?」


 彼の上半身を抱き起して、揺らさないように声をかける。


「…………う、ぐう……っ!」

「だ、誰か、癒師を呼んできて! お父様に連絡も、早く! アルト……っ!」


 赤い顔で苦しげに息を詰める彼の額には、玉のような汗が浮かんでいた。


「アルト、アルト……っ」


 私は闇魔法が得意な分、治癒魔法を代表とする光魔法が壊滅的だ。

 いくら呪文を正確に暗唱できたとしても、光魔法の適正がない者の詠唱は役に立たない。


 聖女様だったら、すぐに治癒魔法でアルトを治せるのに……!


 私はこんな時、焦燥に駆られながら弱々しい声を出すことしかできない。魔力が人よりたくさんあったとしても、こんな時には少しも意味がないのだ。

 アルトの命を預かる主人としてあまりにも無力すぎて、悔しくてたまらない。


「誰か、使用人の中に光魔法で応急処置ができる者はいないか!?」

「お、おりませんッ!!」

「癒師はまだですか!」

「今、エリーと数名が呼びに行って……っ」


 明らかに原因不明、しかも唐突で急激な病の進行。

 賑やかだった夕食の時間は一瞬にして混乱に包まれ、執事やメイド長の叫ぶような指示が飛ぶ。


 彼が倒れてから、まだ三分も経過していないだろう。

 だがその間にもアルトの顔色はどんどん赤く、荒い息はひどくなるばかりだ。

 彼の上半身を支えている腕から伝わってくる温度は、衣服越しにも上がっていき、急激な高熱に侵されているのがわかる。


 私はハンカチで、アルトの額の汗をできる限り優しくぬぐう。

 ここで癒師の到着を待つ時間は、とてつもなく長い時間に感じられた。


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