第15話 嬉しいのは(2)


「あっ」


 突然のことにドキドキする。

 昔こうされた時は必死だったのもあってか、ドキドキなんてしなかったのに。


 私の耳元で囁くようにアルトの固有魔法の詠唱が聞こえて、頬が熱くなるのがわかった。反射的にきゅっと目を閉じる。

 不思議な引力を感じると同時に光に包まれて、目を開けると――


「わあぁ……っ!」


 そこはお母様の庭園を、そっくりそのまま映したみたいな場所だった。でも、何かが違う。


 どこからか心地良い風が吹いていて、春にしか見られない妖精植物の甘い香りがする。満開の花々は燐光を放ち、風に吹かれてふわふわと揺れている。

 お気に入りのテーブルセットを照らしているのは、今年もたわわに実ったエルダーアップルの淡い燈篭。


「すごい……。まるで、春から秋までの季節を閉じ込めているみたい」

「お嬢様。上も見てみてください」

「えっ、上?」


 言われた通りに首を逸らす。以前は灰色の石畳が続いていた天井には、紫紺の幻想的な空が広がり、あふれんばかりの満点の星が輝いていた。

 雲ひとつない夜空を、数多もの星が駆け抜けていく。


「わあぁぁ……、綺麗……っ!」

「……この景色を、覚えていらっしゃいますか?」

「ええ、もちろん。だって――」


 だってこれは、アルトにいっぱい楽しい思い出を作ってもらいたくて、王国内を引っ張りまわして見せて回った、この一年間の景色だ。


 私はアルトから離れて、景色を目に映し、大空を仰ぐ。

 春に咲き誇る洋燈のように輝く妖精花、夏から秋に実り色づくエルダーアップル、冬にディートグリム公爵領のみで見られる紫紺の夜空と流星群。


 訪れるのは二回目となるアルトの〝箱庭〟は、暗くて怖くて寂しい場所ではなく――私がアルトに伝えた、〝美しいもの〟でいっぱいになっていた。


「……すごい、本当にすごいわ、アルト……っ!」

「お嬢様の予想通り、僕の箱庭は最も心に残っている記憶の投影のようです」


 なんでも、あれから自分の固有魔法の可能性に気がついたアルトは、忙しい毎日の合間に少しずつ〝箱庭〟の検証作業に入ったらしい。

 それで、読書の会を開いた時に彼が読んでいる本のジャンルが、『記憶魔法』『幻覚魔法と投影魔法』『拡張領域の作り方』だったわけだ。

 書斎での時間が少しでもアルトに役立ててもらえて嬉しい。


「でも、それなら私も手伝ったのに。上級魔法は扱えないけれど、魔力補給係くらいにはなれたわ」

「いいえ。僕の固有魔法は危険が伴うかもしれませんから、お手伝いは頼めません」


 むうう、年下だからと舐めてもらっちゃ困る。と、思ったけれど、よくよく考えたらアルトは上級魔法まで使いこなす天才なので、私は足手まといかもしれない。


「それに」

「それに?」

「お嬢様には驚いてほしかったので」


 アルトは狼耳をわずかに倒し、目元をやさしく細める。


「言葉では表せないくらい、本当に素敵。……ねえ、もうちょっと堪能してもいい?」

「堪能、ですか?」

「うふふふ」


 私は含み笑いをして駆け出す。そして妖精植物が咲き誇る小高い丘の上に、勢いよく寝転がった。


「はーっ! いつかこうしたいと思ってたのよね!」


 公爵令嬢という立場だし、はしたないって怒られるから一度もできなかったけれど。


「はぁぁぁ、幸せぇぇぇ!」

「おっ、お嬢様! こんなところで寝転がるなんて、いけません。旦那様に叱られますよ!」


 追いついてきたアルトが焦った様子で、真上から私を覗きこむ。

 寝転んでいた姿勢からごろりとうつ伏せになって、両手で頬杖をついた私は、「ここにはアルトしかいないんだから、アルトがお父様に伝えなければ大丈夫。ね?」と、アルトにも隣の芝生へ座るように促した。


「ね、じゃありません」

「せっかくのアルトが作った景色だもの、全力で楽しみたいじゃない。それに、妖精植物の花が目線の高さで咲いているのを感じられるなんて滅多にないし」

「それは、そうですが……目のやり場に困ります」


 私から視線を外し、アルトが小さな声で呟く。

 よく聞こえなかったが、多分『エリーには告げますよ』とかだろう。


 でも、なんというか、この姿勢こそ、満点の流星群もエルダーアップルも全て一緒に堪能できて『最高の贅沢』って感じがする。

 前世でたとえるなら、まさに家族と一緒に来たキャンプで星空を見る高揚感がある。


「アルトもどう?」


 その高揚感をアルトにも体験してほしくて、じーっと見つめて視線で促す。彼は「うっ」と息を詰まらせたあと、渋々といった様子で隣で同じようにうつ伏せになった。


「ふっふっふ。これで共犯ね、アルト」


 にやりと口角をあげる。

 彼はわずかに目元を赤く染めながら、「そうですね」と観念したように呟いた。



 沈黙が降り、ふたりきりの時間は静かに進む。


 現実世界では絶対にありえない、美しい時間だけが閉じ込められている世界。

 穏やかで、心地良く、脳裏にはこの光景を見た賑やかな思い出が過ぎ去っていく。


 ……アルトは、この箱庭をここまで変化させるのに、どれほどの精神力と魔力を使ったのだろう?

 きっと彼が自分の固有魔法と向き合うのは、とても大変だったはずだ。

 悲しみや怒り、苦痛を伴ったはずだ。

 それを、それをこんなにも変化させてしまえるなんて。


 ひとりで、すごく頑張ったんだなぁ……。


 気を抜いたら涙がこぼれてしまいそうなほど、目頭が熱くなる。


「……お嬢様がいたから頑張れたんです」

「え……?」


 ふと隣を見ると、熱っぽくこちらを見つめていたアルトと視線が合った。


「いつか、お嬢様をこの箱庭に招いた時に……この箱庭を見て喜んでくれるかもしれないと考えるだけで、僕は過去を乗り越えられた」


 星が降り注ぐ庭園で、アルトの美貌が幻想的な美しさを放つ。菫青石色の瞳には輝く流星が映り込み、この世のものとは思えぬほど綺麗だった。


「気に入っていただけましたか?」

「……ええ」


 彼の唇が吐息をはくようにこぼした言葉に、甘えるような甘やかな表情に、そっと息をのむ。


 贈り物も嬉しいけれど、いちばん嬉しいのは――……最も心に残った記憶が、我が家で過ごした日々だと感じてくれたこと。

 そして……悪役令嬢わたしと過ごした毎日を、心を交わした時間を、大切に思ってくれたこと。


「ありがとう、アルト。――大好き」


 どんな未来になるかはわからない。けれど、私は、


「あなたに出会えて良かった」


 胸いっぱいに広がる感謝の気持ちを伝えたくて、私は潤んだ視界でアルトへ精一杯、微笑んだ。

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