第14話 嬉しいのは(1)
◇◇◇
月日の流れは早いもので、あっと言う間にアルトが来てから一年が経った。
主人のピンチを見逃さずに悟ってくれる敏腕従者なアルトとは、ますます良好な関係を結べている。
……と、私的には思っている。
その証拠に、今日も互いの授業や鍛錬を終えた夕食前の自由時間に、アルトと読書の会を開いていた。
主人と従者ふたりきりの読書の会は、冬になる前から始まった。
きっかけは、書斎で私が長々と読書している最中も、護衛として室内側の扉付近に立ち続けなくてはいけないアルトの勤務状況に、私が耐えられなくなったせいだ。
屋敷内にも護衛騎士は幾人も配置されているけれど、彼らにはちゃんとしたシフトがあり、時間になると交代し、週休も二日ある。
しかし、アルトはそうではない。
封印の楔の対価として名を与えられ、私の唯一の従僕になった彼には、交代する人員がいない。
私のおはようからおやすみまでを立ちっぱなしで護衛をしなくてはいけなくて、その上、使用人としてメイドのエリーと一緒に給仕もする。さらに彼自身の授業や鍛錬もある。
お父様は私とアルトが結んだ主従契約のせいか、それ以外にも理由があるのかわからないが、アルトをとても重宝していて、かなりの信頼を置いている。
以前は私が廊下や庭園を移動するたびに、移動を守護するための護衛騎士が配属されていたけれど、アルトが来てからは全く配属されなくなったくらいだ。
『ねえ、アルト? せめて書斎で読書をしている時や二人きりでいる時は、少し休んだらどうかしら? 屋敷内に危険はそれほどないし』
『僕はお嬢様の従僕です。従僕としての仕事は好きですので、お気になさらないでください』
『でも……』
一蹴されて言い淀む。
私が活動すればするほど、彼には夜寝る時くらいしか休む時間がなくなってしまう。
だからと言って、新しい従僕を増やすなんて気力と魔力的にもできないし、アルトの誠意を蔑ろにするような気がして、したくなかった。
『あぁぁ、もう! ダメ、限界!!』
『お、お嬢様? 一体、なに……を……っ』
突然のことに驚いたのか、アルトの狼耳と尻尾がピンと立つ。
書斎の壁際に直立不動だったアルトに近づくと、私は彼の両手を取って、窓際に備え付けられた革張りのソファの横まで彼を引っ張った。
『毎日、毎日、私がアルトの時間を浪費してるみたいで嫌なの!』
『は……?』
『だから、その、せめて読書を一緒に楽しみましょうっ?』
私はローテーブルの上に置いてあった呪文書を、勢いよく彼の胸に押し付ける。
ひとつしか年齢の変わらない従者に対し、あまりにもブラックな環境すぎて、私の心が折れたのだ。
『あ、読書も、もしかして頭脳労働になるのかしら。疲れがもっと溜まるようだったら、何か他の案を――』
『いえ。読書は好きです。好きなので…………このまま、お嬢様の隣にいてもいいですか』
『もちろんよ! 良かった、少しでもアルトが気楽に過ごせる時間が作れそうで』
彼は胸に押し付けられていた本を、ゆっくりと手に取った。
まじまじとそれを見つめる彼の頬が色づいていく。
『……こんなに幸せでいいのでしょうか』
『アルトはもっと望んでもいいくらいだわ』
それ以来――書斎で読書をする時は、私の座るソファの隣でアルトも本を読んで過ごしている。
できればソファへ座ってほしかったけれど、『立ったままでも十分休息になっていますし、有事の際に動きやすいですから』と押し切られてしまった。
そんなことを思い出しながら、いつも通りソファに座って本を読んでいた私は、壁に背中を預けるように立ったまま本を読むアルトを、そーっと観察する。
窓から差し込む夕方の日差しに照らされて、頬には長い睫毛の影が落ちている。
黒皮の手袋をした片手に本を持ち、もう片方の軽く握り込んだ指先は、形の良い唇へ当てられていた。いつも通りの美少年っぷりだ。
彼が着たばかりの時に見せたような、危険な美しさはそこにはない。
あの獰猛な狼の顔は、あれ以来、随分と鳴りを潜めている。
……けれども最近は、なんだか少しおかしい。
アルトを甘やかしたいのは私の方のはずなのに、いつの間にか反対に甘やかされているというか……。
日に日に過保護さ? が増している気がするのよね。
主従としてビジネスライクでいるよりは、多少過保護な方がずっといい。
私付きのメイドのエリーも、私にはめっぽう甘くて過保護で、でも少し厳しくて。私にとって姉のような存在だ。
そんな様子をアルトもそばで見ていたから、我が家の主従関係としてそれをお手本にしているのかも?
でも。それだけじゃなくて、もしかすると――。
『……どうして、僕にそこまでしてくれるのですか。理由をお聞きしなければ、納得できない』
『理由なんて。ただ私は――お互いの心を大切にしあう、主人と従者になりたいの』
主従契約を結んだ日に宣言した私の願いを、叶えようとしてくれているのかもしれない。
そんな風に歩み寄ってくれて、頑張ってくれて、嬉しくないわけがない。
胸の奥底から大切な従者への愛おしさがこみ上げてきて、宝物を見つめるみたいに私は目を細めた。
「……お嬢様、そんなに見つめられると穴があきそうです」
「あっ」
まさか見ていたのがバレてたなんて、と私は視線を右往左往させる。
彼はふと読んでいた本から顔を上げた。そして狼耳をわずかに倒し、まるで地平線に沈む夕陽のようにやわらかく微笑む。
うわぁ、その笑顔は反則だ。こっちが照れてしまうくらい可愛い。
「集中力が途切れてしまったのですか?」
「……う、ぅ。まあ、その、ちょっとだけ」
「それでしたら。少しの間だけ、僕にお嬢様のお時間をいただけませんか」
「いいわよ。なぁに?」
私の返事を受けて、アルトが読んでいた本をパタンと閉じる。
「明日はお嬢様のお誕生日なので、前日ではありますが贈り物をと思いまして。明日は朝から時間がなさそうですし、今お渡ししてもよろしいでしょうか?」
「嬉しい、アルトから誕生日プレゼントをもらえるなんて!」
一年前の私が想像していなかった展開に心が沸き立ち、頬が熱くなる。
「ふふっ。喜ぶのはまだ早いですよ。こちらに来ていただけますか」
「ええ」
私はソファから弾むように立ち上がって、アルトの前へ向かう。
「お手をどうぞ」
そう言って彼が差し伸べた手に、私が手を重ねた瞬間……そのまま手を引き寄せられて、ふわりと抱きしめられた。
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