第12話 リリスの溜め息
そういえば原作でも、幸福花は登場した。
薬草学と魔法薬学の合同課題で、学院の温室で生徒たちが花を育てて、各々のタイミングで摘み取りお茶にするという話だ。
異世界から来たばかりの聖女様は温室で薬草学が苦手な第二王子と出会って、逢瀬を重ねる。けれど聖女様が、間違えて隣に生えていた同色のよく似た植物まで採取し、劇薬を作ってしまうという……。
「あ。もしかして〝リリスの溜息〟?」
そうだ! 原作に出てきた幸福花によく似た植物って、うちの庭園にもあるリリスの溜息だ!
幸福花はユリに似た花弁をしていて、リリスの溜息はアマリリスに似た花弁をしている。それぞれに毒性はないが、ふたつを他の材料と一緒に混ぜて魔法薬を作ると錯乱薬になる。
中毒性がある、危険な薬。
……原作の私が十六歳の時、第二王子と婚約した晩にアルトに盛った薬だ。
「流石、我が娘。劇薬にも詳しいとは将来有望だ」
「あ、あはは」
その錯乱薬を将来作るかもしれなかった悪役令嬢が私なので笑えない。
「お前の察する通り、ふたつを混ぜて煎じると錯乱薬になる。だが、幸福花茶を飲み続けた体にリリスの溜息で作ったハーブティーを摂取すると、錯乱して理性をなくすのではなく、いわゆる酩酊状態になり思考ができなくなる」
「なるほど。服従魔法は最上級の精神系魔法ですが、この方法で簡易な服従薬が作れるというわけですね」
私の後ろに控えていたアルトの言葉に、お父様が頷く。
「その通りだ。このところ、王立魔法学院の温室に外部からの不法侵入が相次いでいる。防犯魔法を強固にし、生徒の被害には至っていないが、リリスの溜息だけが盗まれていたらしい」
王立魔法学院はここ、王都にある王国内最高峰と謳われる高等魔法学術機関だ。貴賎や出自に関係なく魔力の質のみで入学許可証が発行され、十六歳から十八歳の子女が通っている。
そして言うまでもなく、原作の舞台である。
「リリスの溜息は妖精植物としては古代種に分類されるため、自生しないのは知っているな」
「はい。……えっ、まさか、リリスの溜息が生息しているのは、我が家と王立魔法学院だけなのですか?」
「ああ、その通りだ」
「ひぇっ。ということは……つまり、あのパーティーは、罠だった……?」
答えにたどり着き、背筋を凍らせた私は内心あわわわと震えながらお父様を見つめる。
花丸の回答に、お父様は満足げに口元に笑みを浮かべた。
「第一発見者はかの少年でね。明らかに不法に採取しようとしていた男らに、果敢にも声をかけたそうだ。正義感から固有魔法で威そうとしたところ、暴走してしまったらしい。しかし、彼が勇気を振り絞って我が家の庭園を守ろうとした事実に変わりはない」
炎のグリフォン三体に挟まれ、私とアルトが一瞬にして消えたのに驚いた少年は、その後すぐに正気を取り戻して、固有魔法の暴走を止めることができたらしい。
涙を止め唖然とした表情の少年を、お父様は『正義感と勇気に溢れた炎魔法の天才』として招待客に紹介し、一連の騒動を収めた。
怪我人がひとりも出なかったこともあり、招待客は拍手喝采。素晴らしい才能だと彼を褒め称えたらしい。
不法侵入していた男女二人組は、なんと招待客であったとある伯爵夫妻に宛てた招待状を所持しており、変身薬でなりすましていたとか。
しかしながら、少年の勇敢な行動により二人組は無事お縄になったので、パーティーは興奮冷めやらぬ状態でお開きになったそうだ。
……なるほど。思い起こせばおかしい部分がいくつかある。
ひとつ目は、侵入者が容易に入り込めたこと。
闇魔法の権威とも呼ばれるお父様、そしてご先祖代々様が何十年にも渡って編み継いでいる守護壁を突破するのは、かなり難しい。
それを招待状もなしに突破できるのは、よほどの手練れだ。
私が知る中で、それが可能なのは精霊族出身の奇才の錬金術師しかいない。
なのできっと最初から犯人の目星がついていて、それをわざと見過ごし、監視していたのだと思う。
ふたつ目は、侵入者が防犯魔法を解除できたこと。
防犯魔法の結界には、この家で妖精植物に携わる人間の魔力のみが登録されている。無理やり解除するには何重もの魔法陣を展開する必要があるし、時間もかかる。
きっと、最初からリリスの溜息を採取できるように、その周辺だけわざと防犯魔法を緩めてあったに違いない。
みっつ目は、少年によって召喚された炎のグリフォンを制圧する時に、少年自身を魔法で拘束したり隔離したりしなかったこと。
冷静になって考えてみれば、お父様ならあの場の制圧くらい簡単にできたはずなのだ。
「それじゃあ、もしかして、わざわざあの場に少年を立たせていたのは、グリフォンが縦横無尽に暴れまわる様子を招待客へ印象付けるため……?」
お父様はわかりやすく肯定はしなかったけれど、つまりそうなのだろう。
お父様が普通の貴族令息にそこまでするはずもないので、きっと王国筆頭魔術師として、王家に頼まれてひと肌脱ぐことにしたに違いない。
王太子殿下と同じく現在二十七歳のお父様は、幼い頃から王太子殿下と悪友だったと聞いているし。
……ということは。
「あの少年は王太子殿下が密かに溺愛しているという異母弟――第二王子のアルフォンス殿下ね?」
王太子殿下に敵対する派閥が、最近強力な固有魔法が発現したばかりの彼に取り入って、第二王子を担ぎ上げようとしていたらしいから……。
王太子殿下と王国筆頭魔術師の後ろ盾があることを示して、牽制したかったのかも。
それにしても、娘のパーティーと一緒くたにするとは恐れ入る。
「お父様ってそういうところがあるから……」
私は溜息をつく。お父様は前世で言うところの社畜なのだ。
「まったく、お父様はお母様の庭園をなんだと思っているの?」
「くくっ、お小言も愛しの妻に似てきたな。なに、時戻しの魔法で庭園全てを四年前の状態へ修復する手はずだった。可愛い娘の大切な林檎は、もちろん庭師に植え替えさせる予定でいた。心配はいらない」
……四年前って、病床に伏せる前のお母様が最後に自ら庭園の手入れをした時だ。
時戻しの魔法は禁忌の魔法のひとつとして数えられている。それは時戻しの魔法が、修復魔法や治癒魔法とは違い、直接術師の寿命を削ると言われているから。
四年分戻すのなら、お父様は四十年分の寿命を削ることになる。
あの日、私とアルトが加勢したことで妖精植物への直接的な被害は出なかった。
庭園への被害は主に壁や煉瓦、石畳だけだったので、時戻しの魔法に頼らず修復魔法や職人の手作業で元に戻すことができたのだ。
あの時……お父様が寿命を削るのを止められて、良かった。
私は今になってまたドキドキとしてきた胸を、ほっとなでおろす。
「お父様? お母様の分まで絶対に長生きしてくださらないと、ティアベルはグレますからね」
たとえ、お父様が愛しいお母様に会いたくて、あの日々に屋敷のすべてを巻き戻したいと考えていたとしても。
憂いを帯びた表情で私の頭を撫でたお父様に、私は子供らしく頬を膨らませて言った。
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