第10話 怖いけれど、怖くない

 ◇◇◇



「ん…………あれ? ここは?」


 どうやらいつの間にか気を失っていたらしい。ゴツゴツとした岩肌の冷たさを背中に感じ、炎のグリフォンと対峙した時との温度差に身を震わせる。

 不思議に思いながら身を起こそうとすると、「失礼いたします」と側からアルトの声がかかり、背中を支えてくれた。


 どこもかしこも強張っていて、全身に錘のついたような怠さを感じる。

 彼の支えがなかったら起き上がるのも一苦労だったかもしれない。


「助けてくれてありがとう、アルト。怪我はない?」

「はい。お嬢様こそ、どこか痛みはありませんか? 骨や神経に違和感は?」

「んん、そうね……痛みはないけど、まだちょっと眠たいかも。ふわわわ……」

「ゆっくりなさってください。あれから三時間ほど経ったので、事件も収束しているでしょうから」


 三時間も寝ていたのか。体力も魔力も底まで使い切ってしまったのかもしれない。今夜はよく眠れそうだ。

 私は手のひらを当ててあくびを隠し、きょろきょろと辺りを見回す。


 広い部屋だ。屋敷の敷地よりもずっと広く感じるくらい、終わりが見えない。

 檻のような鉄格子、飾りでしかない窓、岩肌がむき出しの石畳。申し訳程度に蝋燭が灯っている。

 薄暗くて太陽の光が届かないここは、まるで地下牢だ。

 隙間風など吹いていないのに寒々しくて、居るだけで心が凍えてしまいそうな場所だった。


 だというのに、アルトは落ち着きを払っている。つまりここは彼が知っている場所なのだろう。

 ここがどこであるのかすぐに説明しないのは、きっと……この場所を説明したくないからだ。


 ここへ来る直前、アルトが私を抱き寄せて静かに発した詠唱を思い出す。確か、そう……『檻の中はどこまでも暗く、昏く、幸せに満たされる――〝箱庭〟』。


 聞いたことのない詠唱だ。


 もちろん、まだ幼い私には勉強していない魔法もたくさんある。だけど、転移系統の魔法は魔力を凄まじく使うらしいし、一度で遠い目的地へ転移するなんて宮廷魔術師であるお父様レベルの高度な魔法だから、流石のアルトでもまだ使用できないはず。


 ということは……これはアルトの固有魔法?


「わっ! 私ったら、ごめんなさい。アルトの上着を」


 考えながら灰色の石畳に敷かれていたアルトの上着を見つけて、慌てて返す。

 きっと気絶した私を動かさないように寝かせてくれていたのだろう。外傷だけでなく、目に見えない内部の損傷まで考えての行動は流石だ。


「当然のことをしたまでです。むしろ、ベッドをご用意できず申し訳ありません」


 アルトは黒い狼耳を横に倒す。

 彼は上着を受け取ったあと、ポケットからハンカチを取り出して床に敷くと「お嬢様はこちらへお座りください」と私をエスコートした。

 彼の手に持つ上着を、無詠唱で放たれた二色の光が包む。

 座った私の肩に、床に膝をついたアルトがその上着をかけた。


「あったかい。ありがとう、アルト」


 さっきのは清浄魔法と、風魔法の応用である温風魔法だったみたいだ。

 完璧なエスコートをしてみせたアルトの気遣いと優しさを感じて、私は嬉しくなって頬を緩める。

 しかし彼は跪いた姿勢のまま、窺うように菫青石色の瞳をこちらへ向ける。

 言葉を発しない彼を不思議に思って首を傾げると、形の良い唇をそっと開いた。


「……怖くはないのですか」

「それは、この場所のこと? それとも……アルト自身のこと?」

「――どちらも」


 彼は苦しげな表情で目を伏せる。


「ここは僕の固有魔法である〝箱庭〟の中です。僕が意図した対象を魔力領域内に引きずり込んで、僕の意図したタイミングでしか出られないようにします」

「すごい。神域みたいなものね」


 高位の妖精や精霊、聖獣なんかが神域を持っていると読んだ本に書いてあったっけ。


「いいえ、神域の下位互換でしかありません。ここは魔力領域なので僕自身の肉体的活動は魔力で賄われ、食事も睡眠も必要なくなります。しかし、引きずり込んだ対象には適応されないため、このまま僕がお嬢様を外へ出さなければ……飢えて死ぬ」


 孤高の狼のごとく鋭い眼光が私を射貫く。


 きっと、私を〝引きずり込んで〟傷つけたくないからこそ、わざと突き放すような言葉を選んでくれたのだろう。

 そんな風に突き放しても、可愛い狼従者をとことん構いたいタイプの令嬢なので無意味だけれど。


「……そうね。正直に言うと、この場所はすごく怖いわ。暗いし、寒いし、寂しい」


 固有魔法には心の状態が反映される。置かれていた環境の再現する場合もある。

 つまりここは、アルトにとって実在した。


 過去のアルトが、暗くて寒い中、寂しい思いをした場所だ。

 そしてなにより……怖い思いを、した場所だ。


 完璧なマナー、上級魔法の知識、立ち居振る舞い……どこを見ても王侯貴族特有の空気を纏う彼のことだ、なんとなく理由は察せられてしまった。

 だからこそ、この固有魔法をこんな風に彼が捉えているのは、彼の置かれていた環境のせいにほかならない。


「でもね、アルトのことは全然怖くない。だって、こんなに」


 目の前にある美貌に両手を伸ばす。

 私は彼の冷たい頬を包んで、満月に照らされて仄かな光な帯びた菫青石の双眸を覗き込んだ。


「こんなに優しい瞳をしているんだもの」


 はっとアルトが息を呑む。

 彼の感情の機敏を表すように、長い睫毛が揺れた。

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