第2話 従僕を幸せにする最適解

 ……それにしてもこのシーン、どこかで…………?

 って、ああああ――――っ!!


 転生して七年目の今日、この時。

 今さらながら私は、乙女ゲームの世界に転生していたことに気がついた。

 しかも最悪なことに、私こそが、異世界から来る聖女様をいじめ抜く悪役令嬢で……無残に暗殺される、ティアベル・ディートグリム本人では?


「あ、ああっ」


 少し想像しただけで、私の顔からはさあっと音を立てるように血の気が引く。

 まだ見ぬ恐怖で手足がぷるぷると震えるのを抑えられない。

 毒林檎令嬢などと勝手に危険人物扱いを受けている間は、笑って済ませられていたけれど。まさか、まさか……っ。


「ほ、ほんものだったなんてぇぇええ……うぐぅっ!」

「ティアベルお嬢様!?」

「お嬢様! お嬢様しっかりしてください!」

「……ダメだ、失神なさっている!」

「まさか先ほどの詠唱破棄の反動で……!?」


 ありえないと頭を抱えていた私は、そのまま息を詰めて一瞬で気絶してしまったのだった。



 ◇◇◇



「じゅ、十年後に死ぬ悪役令嬢になってしまった……」


 意識が浮上し、自室のベッドの上に寝かせられているのだと知った私は、唖然とした顔で天井を見上げた。


【白雪姫とシュトラールの警鐘】は、前世でプレイしていたスマホアプリゲームだ。

 猛暑のあの日、壊れたエアコンの修理業者を待つ間に熱中症になっていて、さらには意識不明になるとは思ってもいなかった。悔いしかない人生の終わりである。


 その影響で、今世では少しだって日焼けすらしたくないと思っていた。

 なので私の選ぶドレスはいつも流行に逆らって露出がゼロの、古典的な正統派ばかり。

 そのせいでお茶会では『毒林檎令嬢には違法魔法薬を作って火傷した痕がある』だのと噂されたり、『近づくと呪われる』と遠巻きにされたりして、ぼっちを極めているのだけど……。


 と、まあ前世の後悔はさておき。


 原作の内容はと言えば、異世界からやってきたヒロインが『聖女』として魔法学院に通いながら七人の男性と恋愛を楽しむ王道学園恋愛もの。

 中でも、私の最推しは魔力チートでハイスペックな絶世の美青年・アルトだった。

 他人へは冷厳に接するくせに、ヒロインには優しく甘い態度に変化する狼従者は、私を容易に沼へ突き落とした。

 可愛いヒロインと、その隣に並ぶ優しい顔をしたアルトの柔らかい雰囲気に何度癒されたかわからない。


 でも、だからこそわかる。……私、絶対に殺されるわ。と。

 なにを隠そう原作のアルトは、悪辣の限りを尽くして虐げてきた私を心の底から憎悪していた。

 その憎しみがさらに勢いを増して燃え盛った原因は、主にしか破棄できぬ〝主従契約〟、そして――死別まで消えぬ〝番契約〟のせいだろう。


『かわいそうに。この世界でただひとり、私だけがあなたの味方よ』

『私だけがあなたを愛している。だから私の命令には絶対に従いなさい』


 アルトの回想の中で悪役令嬢ティアベルは、魔物と呼ばれて家族から追放された彼に対し『かわいそうな子』という言葉をよく使った。


 優しい主のふりをして同情して見せ、甘美な毒を吹き込む。

 そして彼女は、自分に与えられた従僕をペットのように扱い、ひたすら承認欲求や自尊心を満足させるためだけに虐げたのだ。


 それは年々エスカレートした。

 彼が十六歳の時……第二王子とティアベルの婚約が決まった晩、ついに事件は起こった。


『これだけは、どうか……! お願いです、お嬢様。おやめください……っ』

『いいえ、やめないわ。だって、私の従僕には、私だけを一生愛していてもらいたいから』

『やめてくれ……こんな、絶対に許さない……!』


 ――がぶり。


 ティアベルの盛った魔法薬……錯乱薬で身体が言うことをきかなくなってしまったアルトは、必死に抵抗したがその本能に抗えず、用意周到に魅了薬を飲んでいたティアベルのうなじに噛み付いてしまった。


 獣人は一生のうちに〝最愛〟と呼ばれる、ただひとりしか愛せない。

 彼女が何食わぬ顔で婚約者と過ごす裏で、アルトは最愛でもなんでもない……この世で最も憎悪する人間を〝番〟と認識して、生涯を生きていかなくてはいけなくなってしまったのだ。


 そんな心に癒えない傷を抱え続けたアルトを救うのが、異世界からくる聖女様である。


 だからこそ、どのルートに進んでもティアベルは暗殺されてしまう。

 アルトルートでは、主から不本意に結ばされた〝番契約〟を断ち切り、聖女様と番になるために。

 他の攻略者ルートでは、従僕として彼の自由を奪っていた主との〝主従契約〟を破棄して、聖女様と主従契約を結ぶために。


 ……だけど十八歳になった未来のアルトさん?

 まさか本当に、私を殺せば、契約の何もかもがリセットされて幸せになれるとお思いで?


「そんなの、普通に考えてありえないでしょぉぉ!!」


 だってだって! 転生した今だからわかるけど、この世界の魔法理論上『殺害による魔法契約の破棄』は、私が死ぬだけじゃなくてアルトも対価が発生して大変なことになるよね?


 とくに主従契約は裏切りを許さないためのものだ。従者が主人よりよほど技術が優れていて魔力的にも格上でないと、契約破棄は成功しない。格上だろうと、破棄には相応の対価が必要になるだろう。

 となると、アルトの寿命があと数年になるとか、片腕が持っていかれるとか、臓器不全になるとか……最悪命を落とすこともあるはず、だよね?


「ええっ、ちょっと待って。本当に最適解なのそれ!?」


 原作ではハッピーエンドにしか見えなかったけど、現実世界で同じことをやったらハッピーエンドの後がお先真っ暗なんですけどっ!


 主従契約は主人であるティアベル主導で破棄を行えば対価は発生しない。

 だが、わがまま放題に育ったせいか『わたくしが世界で一番愛されるべき』だと信じて疑わない悪役令嬢が、アルトを手放すはずがなかった。


 それでも世界中で方法を探せば、どうにかしてティアベル主導で主従契約を破棄できただろうに。それを行わなかったのは、聖女様と過ごすための時間を費やすのが惜しかったというのもあるだろうが。多分、きっと。


「元主人への哀れみ……?」


 あんなに酷いことされたのに、主を手にかけた責任を負おうとするなんて……。

 って、いやいやいや。だからこそ、幸せを眼の前にして必要のない自己犠牲に走るのはよくないと思う。


「お願いだから、もっと穏便な契約破棄の方法を探してよぉぉぉ。ちゃんと幸せになってぇぇぇ」


 私は両手で顔を覆って、感情のままにベッドの上でゴロゴロと左右に寝返りを打ちまくりながら叫ぶ。

 だからと言って、今すぐ主従契約の破棄を告げてはアルトと聖女様の出会いを阻止することになりかねない。それは絶対にしてはいけないことだ。

 だって聖女様以外の誰がアルトを幸せにできるというのだろうか。


「残念だけど、悪役令嬢の私ではないことは確かね。でも暗殺はされたくないし、させたくない。それなら、もう、私が責任を持って『最高の主従契約破棄』ができるようにアルトを導くしかないのでは?」


 そうよ。アルトが誇れるような、清く正しく立派な主人に私がなればいいのだ。


 むしろお姉さんポジションからアルトをめちゃくちゃ可愛がりたい。お砂糖たっぷりで、とろとろくたくたになるまで甘やかしたい。

 それから『自立できる年齢になったら主従契約の破棄はいつでも受け付けます』って折を見て伝えよう。


「うんうん、そうと決まればたーくさん可愛がって甘やかして大切にして、十年後には主従契約を破棄してきっぱりお別れして! アルトをハッピーエンドに導くんだから!」


 私はベッドから飛び起きると、グッと拳を握りしめて気合いを入れた。

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