毒林檎令嬢と忠実なる従僕〜悪役はお断りなので狼従者を甘やかしたら、独占欲を煽ってしまったようです〜
碧水雪乃@『後宮の嫌われ白蛇妃』発売中
第1話 7歳のお誕生日、従僕をもらう
私の七歳のお誕生日。最愛の妻の忘れ形見となった娘を溺愛するお父様が、『誕生日プレゼント』と称して私に与えたのは、なんと狼のような耳を持つ黒髪美少年だった。
「ティアベル。彼は今日からお前の忠実な従僕として、お前を守る剣となり盾となる」
「……えっ?」
ちょっと待って、意味がわからない。意味がわからないからもう一度言う。
私の七歳の誕生日祝いにプレゼントとして与えられたのは、黒い毛並みの狼耳をピンと立てて微動だにさせず、警戒心に満ちた菫青石色の凍てつく瞳でこちらを睨みつけている『絶世の黒髪美少年』だった。
……うん? やっぱり理解できないな?
よくわからない事態に内心大混乱だ。
まるで冥府の死神と見紛うばかりのおそろしき美貌と囁かれ、社交界で畏怖されているお父様は、悪役顔でニコニコしている。
銀灰色の長髪を一本の太い三つ編みにまとめた可愛い髪型をしているのに、色気のある切れ長の目元といつも眉間にシワを寄せているせいで誰にもニコニコしているようには見えないようだが、これは貴重な微笑み顔だった。
そんな『冥府の死神』と揶揄されるお父様の影響で、社交界ではいたいけな幼女の私まで『毒林檎令嬢』と呼ばれ、恐れられているらしい。
お父様譲りの白銀の柔らかな長髪と、透き通った紅玉の瞳。お母様譲りの可憐な面立ちに、日焼け対策に日々奮闘中の白磁の肌、そして真っ赤な林檎色の小さな唇。
どこをどう見たって、美形なお父様と美人なお母様の遺伝子を受け継いでいるのに……いや、二人の遺伝子を受け継いでしまったからか、白雪姫の童話に出てくる悪役魔女になぞらえて『ディートグリム公爵家の毒林檎令嬢』と、なんだか危険物扱いされているみたいなのだ。
まったく! 誰が言い出しっぺかは知らないけれど、私の髪は白銀であって、あの林檎売りの老婆のような
ドレスだって、当時はまだ喪に服したかったからあえて黒にしていただけで、断じて幼女のくせに後ろ暗いことをしていたせいではないのに。
社交界でコソコソ噂する時に使うにしたって、もっとマシな呼び名があったんじゃ……!?
なんて、謎の異名にはちょっとムッとしたので、お父様に付いてお茶会やパーティに行く時は、腹いせに林檎料理ばかりを狙って食べている。
ふっふっふ、間近でむしゃむしゃと林檎を食べる毒林檎令嬢に恐れおののくといい。ふっふっふ!
お茶会やパーティーで林檎料理を食べすぎたせいで、私はいつのまにか根っからの林檎好きに。その影響もあって、近年の誕生日プレゼントは珍しい種類の林檎の木だった。
だというのに、今年のプレゼントはあまりにも内容が突飛すぎでは??
まあ、単純に、年頃の近い彼が働き口を探していて、私専属の従者として選ばれたと思えば……なにも問題はないのかもしれない。
だが、彼の優れ過ぎた容姿や足の運び方などの仕草を見ても、彼が公爵令嬢の使用人になるような身分であるようには、到底思えなかった。
そんなことを考えていると、しびれを切らしたお父様が、暫定『誕生日プレゼント』くんの肩を押し出す。
その絵面は完全に大人の色気大爆発の死神様と、敵に捕まったが頑張って強がっているプライド高めな孤高の美少年と言ったところか。
私は驚きと心配で震えながら、改めて目の前に立つ美少年を見上げる。
「は、はじめまして。えーっと、ご機嫌いかが?」
まずは当たり障りのない挨拶をしてみたが返答はない。その代わりに、冷え冷えとした視線で睨みつけられただけだった。
こっ、怖い。合法なのか疑いたくなるレベルに警戒されているんですが、お父様……!?
「ティアベル。まずは彼がお前の従僕となる証として、名を与えてやりなさい。そうしなければ、彼は言葉を発することすらできない」
「お父様、それは一体どういう意味でしょうか? まさか、そんな。名前がないから喋れないだなんて……」
「数百年に一度、魔力に愛されすぎた獣人が稀に生まれる。そのような者は魔物と呼ばれ蔑まれ、親兄弟から『封印の楔』を施されて言葉や魔力を封じられるのだ。――彼のようにな」
親兄弟から……言葉や魔力を封じられる?
「彼の肉親は彼の名を奪い『封印の楔』の対価とした。魔物と呼ばれた者の末路は、血族からの追放だ」
私はようやく彼の置かれている状況の一端を知り、ハッと息をのむ。
「生涯『封印の楔』を外してやることはできないが、彼に声と、僅かな魔力を返してやれるのは主人であるお前だけだ」
お父様が憐れみを携えた視線で美少年の首を見やる。
……本当だ。鎖の首輪が付いている。
複雑に絡み合った複数人の魔力が感じられるところからして、ややこしい契約に縛られた魔道具なのかもしれない。
ひどすぎる! 声を奪っているだけでも極悪人の所業なのに!
僭越ながら、私が彼に名前を贈ることで少しでも助けになるのなら、今すぐ考えなければ。彼の置かれている状況の改善は、きっとそれからでも遅くない。
美しい彼に似合う、素敵な名前を贈りたい。なにがいいだろう。
うーん、と考えながら冬の湖の色をした双眸をじっと見つめる。
年齢は同じか……少し上くらいだろうか?
今日のために誂えられたらしい衣服は、我が家の伝統ある護衛騎士団のお仕着せだ。遊び心の無い格式張ったお仕着せだが、この賢そうな美少年にはよく似合っている。
伏せられた長い睫毛から覗く瞳は、満月に照らされた菫青石のように高貴な艶やかさがあり美しい。
間近に見つめると、透き通った菫青石の瞳の中に、宝石を砕いたかのような金の光彩が散っているのが見えた。
「……綺麗」
ため息が出るほどの美しさだ。
驚いたように僅かに見開かれた瞳と、私の視線が絡む。
その瞬間、どくんと心臓がひときわ大きく脈を打ち、身体の奥が熱くなった。
言葉に表現しがたい、温かな魔力が胸の内に広がる。そして……。
「あなたの名前は……――〝アルト〟」
私は脳裏に天啓のように降ってきた名前を自然と口にする。
それは不思議な感覚だった。
彼を私の従僕にすることになった経緯は、まだ全然飲み込めていない。
けれど、前世の分を含めれば彼の倍は生きている私に命を託されたからには、主人として彼を全力で大切にしたいし、公爵令嬢という立場を使ってでも守ってあげたいと思う。
それにせっかく我が家に来たからには、子どもらしく美味しいものをゆっくり味わってもらいたいし、お風呂で心ゆくまでぽっかぽかになってほしい。そうして夜にはふかふかの羽枕に包まれて、ぐっすり熟睡してほしい。そう思った。
――その時。
がしゃん、と大きな音を立てて、彼の首にあった『封印の楔』が崩れ落ちた。
…………えっ? あれ?
お父様の話によると、この楔は一生取れないみたいな感じじゃなかった?
普通に外れたみたいだけど……。
もしかして言葉のあやだったのだろうか。
周囲を見渡すと、使用人たちが「そんなまさか!」「お嬢様の詠唱破棄でしょうか!?」「前代未聞では」などとざわめいている。
はて? やっぱり外れないやつだったのか?
「これはこれは。流石、我が娘」
お父様が悪役顔で微笑んでいるから、外れても問題はなかったのだろう。それならば、生活に邪魔な首輪なんて絶対に無いほうがいい。
なにはともあれ良かった、良かった! と、私は鷹揚に美少年へ微笑む。
「私はティアベル・ディートグリム。今日からどうぞよろしくね、アルト」
彼は長い睫毛を震わせてから、『ありえない』とばかりに驚きに丸くした目を見開くと、そっと心臓のあたりをぎゅっと手で押さえた。
そうして、ゆっくりと私の前に跪く。
「ありがたき幸せ。
彼は黒革の手袋に包まれた手で私の手を取ると、落ち着きのある静かな声でそう告げた。
凍てつく美貌には親愛の情や忠誠心などカケラも浮かんでいない。
濃紺がかった黒い前髪の隙間から私を睨むように射抜く眼差しは、悪魔のように仄暗い懐疑心を爛々とたたえている。
その姿は、まさに美しい獣だった。
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