「私」の秘密
入学式の後、僕は感動の余韻に浸っていた。入学式は多くの時間を長々と使うものではなく、1時間ほどの時間を要したのち、自由解散となっていた。
入学式で見せられたあのケラシーの魔術。美しく、華々しく、それでいて儚く、努力と才能を融合させた素晴らしいものだった。思い出すだけでも、家が掲げる剣を捨てて魔術の道を選んだかいがある。静かなところで、素晴らしい幻想の思い出に浸ろうと、僕は人気のない方を選んで歩く。
思わず頬を緩めながら、めったにない上機嫌で歩いていた。だから僕は、ついこの身の上を忘れてしまっていたのだ。この腕を、ぎりぎりと締め上げるように強く強くつかまれるまで。
顔の血の気が引く感覚を味わいながら、腕の持ち主を見やる。振り返れば、大男が複数人、僕を取り囲むような位置でにやにやと笑っていた。
「ようやく見つけたぞ……あの時の落とし前、つけてもらおうか……」
どうして僕が、このように男装をして、男として過ごしているのかを。
ーーー
僕は、いいや、私は、シーカ・ラーミナ。
王族以外に苗字を持つことを赦された「御三家」の「騎士」の名を冠する貴族のうちの一人。そして、父上の十番目の子供であり、長女である。
私が命を狙われる原因は、我が家が誇り、極めることを奨励する剣のせいだった。
当時私は模擬剣を持ったばかりの六歳。対して長男でもある一番上の兄は、剣を極めること十年。その長い年月で開く実力差は歴然で、私と長兄の稽古は試合にすらならないと思われていた。
私の家、ラーミナ家は少々力にものを言わせるところがある。剣の腕がよいものは偉く、筋力があるものは偉く、より身体的に優れたものは偉い。要するに、とんでもない体育会系の一族なのだ。
だから当然、家を継ぐ候補となる男兄弟たちの訓練は厳しかったし、家を継がずとも女性騎士として出世するべき私の稽古も辛いものだった。女性騎士の最高の誉は、王族の女性の方の室内警備。私はその地位を目指し、がむしゃらに剣を振った。
私は剣を持った時から、筋がいいとほめてもらうことが多かった。型をすぐに覚える記憶力、それを瞬時に再現できる身体能力。稽古を見に来た父上に、「お前が女であるのが惜しくてならん」と言わしめたほどだ。
そんな私と、兄弟の中で一番腕がいい長兄は一度だけ、試合稽古をしたことがある。
教育係の父上の部下が、戯れに提案したのだ。
「長兄様、そろそろ部下の指導をする際の剣も学んでいただきたいもの。そこで、長女様に試合形式で剣を手ほどきされてはいかがでしょう。」
私は当時、剣を学ぶのが楽しくて仕方がなかった。頑張れば普段は厳しい父上や兄弟がほめてくれ、無心に何かに打ち込むというのも私の性に合っていたから。
だから私は、長兄との練習試合でも全力で挑んだ。込められる限りの力を剣に乗せ、練習した型を正確に繰り出す。振り下ろされる長兄の剣を素早くかわし、見切られた攻撃から体制を立て直し、埋まらない体格差を俊敏さと思考力で埋めようとした。
しかし私の攻撃は全く当たらず、「さすがは兄上だ」と尊敬の念すら抱いた。手加減している長兄の剣も私には当たらず、試合は長期戦となる。
結局、その時に勝敗はつかなかった。私は勝てなかったことを当然だと思いながらもどこか達成感を得ていた。あの長兄に、負けなかった。そのことは私の中で、大きな自信と貴重な経験として積み上げられたのだ。
しかし、長兄の方はそうはいかない。十年も差がある、一番幼い女兄弟に簡単に勝てなかった。それどころか勝利とも呼べない形で試合を終えた。後から聞いた話だが、私の攻撃があまりにも型を忠実に再現していたために避けられていたというだけで、長兄は速すぎる攻撃を見切ることなどできていなかったそうだ。
そのせいで、一番の跡継ぎ候補だった長兄の信頼は地に堕ちた。女だろうと騎士を目指せるこの国では、別に家長が女ではいけないという風習は存在しない。私を当主にと望む声が高まった。
私を推す声を素直に受け止め、長兄は剣を捨てた。努力では埋まらない才能の差と、自身の行く末を考えての懸命な判断だ。幸いにも、長兄はよき頭脳を持ち合わせていた。だから文官として、家に尽くそうと立派に決意を固めたのだ。
困ったのは、今まで長兄を推していた分家の有力者たち。その中には、いくら才能があっても所詮は女、膂力も体格も男には敵わない、などと豪語していた者も多くいたのだ。その者たちの評判は決して良くはなく、一族の中でも彼らは疎まれていた。
そんな彼らの頼みの
もう、彼らが家の中で権力を握る未来もない。
「お前さえ、お前さえいなければ!」
そういわれて、私は命を狙われるようになった。あろうことか、歴史ある私たちの誇りである剣で。
父上は、私を心配した。礼節と伝統を重んじる厳格な性格の上に王宮の中核を担う方だから、あまり優しくもなかったし、長く言葉を交わすことも顔を突き合わせることもない。それでも、父上は確かに家族を愛する人だし、剣が苦手な兄弟にも別の道を赦す優しい人だ。
「お前が、命を捨ててまで剣を極める必要はない。当主の座を望むような性格でもないだろう。もちろん、命を懸けたいというのならその意志は尊重する。お前が本気で極めた剣はさぞかし鋭いだろう。」
屋敷ですれ違う時に挨拶を交わす程度だった父上と、あの時初めて顔を見て長く話した。普段は感じずとも、確かに私は愛されている。それを実感してしまったら、ただでさえ多忙な父に心配をかけることはためらわれた。
「では、私は剣を捨てましょう。この家を継ぐことも目指しません。その代わり、魔術を極めたい。かねてより、精霊たちの世界に興味があります。少々遅い年齢ではありますが、魔術ができるものが家にいるのも、またこの家の利益となるはずです。」
私の言葉に、父上はほっとしたように眉尻を下げた。私は、いつも厳めしい「騎士」の父上の顔が、あんなにも「父」になるところを見たことがない。
その後、私は魔術を極める環境を与えられた。魔術の基礎から応用まで、全てを頭に叩き込む。生まれてから大事にしていた剣をなくした喪失感を埋めるように、私は魔術の世界にのめりこんでいった。
「お前が剣を捨てたことを疑う連中も多い。私の大切な娘が、命を狙われるのも落ち着かない。そこで、お前には苦労を掛けるが、男として育てることをゆるしてはくれまいか。幸いにもお前は上背があるし、華奢な体格の男性として扱うことに無理はない。嫌だというのならそれでももちろん構わん。ただ、せめて護衛をつけさせてはくれないだろうか。」
相変わらず不器用に私を愛してくれる父上の提案を呑み、私は「男」としてふるまうようになった。本来の淡白な性格を押し隠し、少しひょうきんかつ遊び人のような軟派な男を演じた。
誰もが、私を男として扱った。本当の性別が女である私として、思うところがないわけではない。中世的な容姿に惹かれる女は山ほどいたし、才能と家柄に擦り寄る男も山ほどいた。そのすべてが気持ち悪くてうらやましくてしょうがなかった。
ただ、自分を偽るように演じるというのは中々に面白いことだ。
何しろ、普段じゃ考えられないような感性で物事を見られる。
だから僕は、特に不満じゃなかったんだ。
ーーー
「っ、離してくれ!」
叫んで、腕を大きく振る。ねじ切るような痛みを伴うまで腕をひねっても、振り回しても、まるで呪いのように、力強い腕は離れない。
「はは、誰が離すかよ!なあ、なんてざまだ、『王子様』?当代随一の剣の使い手。悔しかったら体で反撃してみろよ!いったい今まで、何人のご令嬢を手玉に取って弄んだんだ、え?」
「僕の、せいじゃ、ない!向こうが勝手に寄ってくるんだ!」
「ふん、何とでも言うがいいさ!どっちにしろ、お前はここでおしまいだ!」
何人かが、銀に鈍く光るサーベルを抜く。午後の光に反射して、刃が鈍く煌めいた。
「っ、展開!『風の
僕の声に応え、男たちを暴風が襲う。何本ものサーベルを巻き込んで風の中に捕らえ、生み出された風は竜巻となって空の彼方へ飛んでいった。
だがしかし、空っぽの手でも男たちの拳は重い。風で、土で、雷で、防戦一方となる僕を追い詰めるように、にやにやと笑いながら男たちは迫ってくる。倒しても、倒しても、きりがなかった。魔術を多く使用するたび、肉体にも脳にも疲労がたまって体の動きも展開も精彩を欠いていく。
「はっ、剣だけでなく魔法までお得意とは、大した才能だな!だが、単純な膂力で女は男に適うはずはない!ざまあみろ!お前の体を痛めつけて再起不能にした後、俺たちが満足するまで、もう二度と才能をひけらかして余計なことをしないように躾てやるからなあ!」
ふりかぶられた拳をよけることも防ぐこともできないと悟った僕は、ぎゅっと目をつぶって、この後来るだろう衝撃と痛みに備えた。
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