第2話

 陸斗は手のかからない子だった。

 親の言うことをしっかりと聞き、指示を素直に受け入れた。

 危険な行動は教えれば二度とやらないし、危害を与える行動も教えたら二度とやらない。


 加えて、頭も良く、好奇心旺盛でもあった。

 翌年に入った幼稚園で行われた勉学ではクラスの中でトップ5に入る成績だった。

 また、メディアや現実で触れた情報で気になったものがあれば俺たちに強請った。高い物を買ってはやれなかったが、お値打ちの品物であればすぐに与えてあげた。


 そうして陸斗は健やかに育ち、やがて中学生になった。

 依然として彼は立派で優秀な子だった。テストでは全教科90点以上を取っており、学年全体でトップ10入りを果たしていた。また、クラスの代表を務め、運動会、音楽会ともにクラス1位という結果を出した。陸斗は「みんなのおかげ」と言うけれど、俺としては陸斗のリーダーシップ能力が高いがゆえだと思っている。


 なぜなら、俺がそうだからだ。

 5年前に課長となり、リーダーシップを取ることになった際、俺は才能を開花させた。それが認められ、今では部長へと昇格している。部署の貢献度は上昇傾向にあり、来年頃には執行役員に選出すると社長から伝えられている。


 兎にも角にも、俺たち家族は順風満帆な日々を送っていた。

 陸斗が15歳で成人になり、高校へと入学する前まではの話だが。


 ****


「なんだ……これは?」


 家で仕事をしていると、急に数多の荷物が家に届いた。

 妻が内緒で爆買いしたのかと思ったが、それは間違いだった。

 宛名を見ると『鳳 陸斗様』と書かれていた。荷物の内容は『機材』が多数を占めていた。


 俺は思わず、自分の電子マネー残高を確認した。昨日までに減った履歴はすべて身に覚えのあるものばかりだった。だが、妻に履歴を確認してもらうと、身に覚えのない数十万の引き落としの履歴が見つかった。一体、陸斗はどういうつもりでこれらの商品を買ったのだろうか。


 就業時刻である17時に仕事を終え、陸斗の帰りを待った。


「ただいま」


 陸斗はいつもどおりの様子で挨拶をしてリビングに入ってくる。


「陸斗こっちへ来なさい」


 俺は椅子に座りながら腕を組んで陸斗に指示をする。陸斗はポカンとした様子で俺を見る。威厳のある態度を振る舞っているにも関わらず、全く動じる様子はない。甘く育てすぎたのだろうか。


「どうしたの?」


 陸斗は俺の向かい側に腰をかけた。


「さっきお前宛に多くの荷物が届いた」

「あ、ほんと? それは今どこに?」

「邪魔だったからお前の部屋に全部持っていった」

「ありがとう。それだけ?」


 秘密裏に届けられた荷物の存在がバレても息子は全く動じていなかった。

 少しだけ息子に怒りが湧く。思春期なのは分かるが、あまりにも自分がしたことの重さをわかっていない。


「おい、陸斗! それだけとはなんだ? 俺がせっせと働いて稼いだ金を無断であんなものに使いやがって! どういうつもりだ?」

「ああ、そのこと。それなら大丈夫だよ。あと3日もすれば母さんの口座に同じ金額が振り込まれるはずだから」


 陸斗は簡単にそんな事を言ってのけた。俺は息子の言葉が信じられなかった。


「どういうことだ? どうしてそんなことができる?」

「僕の口座から母さんの口座に送金したからね」

「お前の口座だと。そんなものを作った覚えは……」


 言いかけてハッと思い立つ。陸斗は高校に入学し、成人となったのだ。

 今の彼は自分の申請のみで口座を開設することができる。


「お前……金はどうしたんだ?」

「ネットの収益。中学3年生の時に稼いだ。1年経つと失効になるからそのタイミングしかなかったんだよね」

「稼いだって……受験は?」


 陸斗の高校受験は第一志望を不合格となり、苦しくも第二志望に入学することとなった。一生懸命頑張ってのことだから慰めていたが、その裏で稼ぐためにネットをやっていたのかと思うと途端に許せなくなった。


「大事な時期だっただろ?」

「わかってる。だから、稼ぐ以外の時間は勉強に費やした」

「なぜ稼ぐ時間を勉学に注ぎ込まなかった? そうすれば第一志望の高校を受かったかもしれないだろ」

「稼ぐために勉強しているはずなのに、どうして稼ぐ時間を勉学に注ぎ込まないといけないの?」

「それは……」

「自分の息子が第一志望落ちだと、近所に何か言われるから?」

「……」


 息子に返す言葉もなかった。

 陸斗と同じ成績トップ10以内の奴らは皆第一志望の高校に受かった。陸斗だけが受からなかったことに負い目を感じていたのは事実だ。妻も他のママ友と話す時に劣等感を感じたらしい。


「ねえ、父さん。今の父さんの年収は?」

「いきなり何を聞く?」

「いいから教えて」

「……1000万だ」

「そっか。昨年僕が稼いだ額を教えてあげる。1500万」


 戦慄が走った。中学3年の時点で陸斗は俺が汗水垂らして働いた約20年で得た年収を優に超えてしまったのだ。体に力が入らなかった。

 何も言わない俺の姿を見ると、陸斗は席を立ち上がり、「俺、今から機材組み立てないといけないから、それじゃあ」と言ってリビングを後にした。


 部屋には、水道から流れる水の音のみが響き渡っていた。


 ****


 それからというもの、陸斗の俺に対する態度が徐々に変わっていった。

 今までは素直に聞いていた俺の指示も全く聞かなくなった。そのくせ、仕事中の会話を盗み聞きしたのか、俺の言動を指摘するような発言をするようになった。


 俺は今までなかった陸斗への怒りを感じることとなった。

 ただ、その怒りがすべてただの自責逃れだということをどこか客観視している自分がいる。陸斗の言うことは正論だった。正論だったからこそ、俺は怒りを治められず、同時に恐怖を抱いた。


 陸斗が家にいる間の仕事はとてもやりづらかった。下手なことをすれば彼になんと言われるだろうかと悪しき考えが頭の中をよぎる。それによって俺のパフォーマンスは徐々に下がり、執行役員としての役目を果たせないでいた。


 そんなある日の出来事だ。


「父さんの会社、最近株価が下落気味だね」


 食事中に放った息子の言葉に背筋が凍った。

 俺の勤める会社は社長の不祥事により、メディアで大きく取り上げられることとなった。世間から信頼を失い、売上が衰退。今のうちに株を売りたい人が増えて株価が下落した。


「それがどうした?」

「いや、社長さんってどんな人だったの?」

「良い人だったさ。今回の不祥事もきっと何かの間違いなはずだ」

「そっか。でも、社長自らが認めている時点で間違いではないと思うんだけどね。役員ならもっとちゃんと見ておかないと。暴走するよ」

「うるさい! お前に言われる筋合いはない。俺だって、頑張ってやってるんだ」

「頑張ってやってこれか。もうそろそろ『ミキリ』をつけたほうがよさそうだな」


 息子の言葉に俺の中にある糸が切れたような気がした。

 糸が切れ、自由に動けるようになった負の感情が漏れ、理性を覆い尽くす。

 席を立ち、気づけば彼の頬を殴っていた。呼吸が乱れる。妻の「あなた」と言う声でようやく我に帰った。


 だが、時はすでに遅かった。

 息子は虫を見るような目で俺を見ると食事中にもかかわらず、部屋を後にした。

 そして、明け方にはもう家にはいなかった。テーブルには「今まで育ててくれてありがとう」と言う手紙が置いてあった。


 陸斗が成人した時、俺と妻は第二児を作生するかどうかの話をしていた。

 だが、息子の家出をきっかけにその話はすっかりとなくなってしまった。

 今は二人、息子の空白を埋めるように仲良く一緒に暮らしている。陸斗は二度と帰ってこなかった。

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