第2話 ユウヒの今昔
大学生の多くは夏休みという、人生の中でも一番長い休みに突入する時期。
私は同級生とお茶をするために、喫茶店に足を運んでいた。
遠くではセミが鳴き、じりじりする陽射しが照り付ける。
あまりに強くなった紫外線は大気の間に漂わせたフィルターで吸収されるようになったが、私はその効果に疑問を持っている。
だって、暑い。
「やっと、着いた」
扉を押し開けば、カランカランとベルの音が鳴った。
喫茶店という営業形態は、早々になくなるように見せて、ずっと続いていくものらしい。
生身の人間も減って、店員にアンドロイドが増えてきても、喫茶店は変わりなく変わりながら続いている。
私は同級生の姿を探した。
「死んだような顔してるじゃん」
「昨日、徹夜で研究してたからね」
そう広くない店内。
目立つプリン頭はすぐに見つかった。
鳥越マモリ。目の下にはうっすらと隈が見えている。
店員さんにアイスココアを頼みながら、腰かける。
「好きなことなら止めはしないけど……体には気をつけてね」
「優しいねぇ、ユウヒは。アカリに振り回されているだけあるわ」
「それは余計」
机に肘をついてメロンソーダを飲むマモリの顔は、ニヤニヤしていた。
この友人は会うたびにアカリとの関係についてからかってくる。
何も答えない私にマモリはストローを回しながら、話を振ってくる。
「バンドの調子はどうなの?」
「おかげさまで、人気が出始めているかな。マモリの知り合いの多さには、ほんと助かってるよ」
チケットが売れない時、マモリに頼むとあっという間。
自分の宣伝は何だったんだろうと思うほどの売れ行きになる。
「どういたしまして。知り合いだけは多いからねぇ。役に立てて嬉しいなぁ」
「役に立ってるよ。私にもアカリにも」
マモリの薄緑の瞳が、楽しそうに月の形になる。
ちょっとだけ身構える。こういう時のマモリは大抵恥ずかしいことを聞いてくるのだ。
「アカリの夢は、ユウヒの夢?」
「まぁ、そうだね」
「そんなに人を好きになれるなんて、羨ましい」
マモリが窓の外を見ながら呟く。少しだけ寂しそうに見える横顔。
「そんなに」と言われても私には分からない。
私には気づいたらアカリがいたから。アカリにとってもそれは同じだろう。
「……私よりモテてる人に言われても」
「モテるのと、人を本気で好きになれるのは違うと思うなぁ」
私は顔をしかめた。マモリは両肩を竦めるだけ。
マモリは知り合いが多い。それは、誰でも拒まず受け入れてあげるからだ。
友人も多いが、恋人関係だった人も多い。
別れてからも続くのは、私には分からない関係だけど。
店員さんが持ってきてくれたアイスココアに口をつけながら、しばらく雑談にふけった。
「あ、ミズキからだ」
「バンドについてじゃない? 出ていいよ」
「ありがとう」
腕時計の上に、ホログラムが浮かぶ。ミズキの名前と着信の文字が踊っていた。
何だろう?と思いつつ、マモリの言葉に甘えることにする。
鞄から端末を取り出し耳に当てた。
「もしもし――」
『ユウヒ?! 大変、アカリがっ』
「えっ?」
出た瞬間に飛んできた声に、世界が止まる。
聞こえていたのかマモリが心配そうにこちらを見ていた。
この時から、私の世界は灰色になったまま。動くことなく止まっていた。
*
夏の学校は、色々なことを私に思い出させる。
校舎の独特な匂い。学生がいるかどうかで、雰囲気ががらっと変わるところ。
何よりふとした瞬間にアカリを見つけられる気がして、私はこの職場を好んでいた。
「先生はなんでスクールカウンセラーになったの?」
「え?」
目の前には私の時と同じセーラー服を着た女の子。
彼女から飛び出してきた言葉に、私は目を瞬かせた。
夏休みに設けられたカウンセリング時間。
誰もが自由に相談することができる。内容は自由。
恋の相談から、勉強、進路と、その内容は、私の頃とそう変わっていなかった。
「学校が好きだからかな?」
私は当たり障りのない答えを口にした。
人を良く見るこの年ごろの子は、敏感にその壁を感じ取って、にんまりと口角を上げた。
「疑問形なんだ。自信ない感じ?」
「こら、一応、先生だから」
面白がるような態度に、一応の注意を返す。
自信はある。口に出すのが嫌なだけで。
――この学校は私の人生で一番眩しかった場所だ。
なんで、と聞かれれば、アカリがいたから。
だけど、それを答えるには、まだ私の中で時間が足りなかった。
「人で学校に就職って、今すごく少ないじゃん」
「教えるのはアンドロイドの方が上手だからね」
「優しくて、すごく助かるんだけど……人じゃないんだよなぁ」
噛みしめるよな言葉は、生徒の話でよく聞くものだった。
私の学生時代から、更にアンドロイドの活用は進み、教師の大半はアンドロイドの仕事になった。
学習的な面での教師はアンドロイドにピッタリの仕事と言える。
もちろん、情緒面の問題は取り出され、そこを補うようにスクールカウンセラーは増えた。
「教育用のアンドロイドは、人らしさより、教えることだけ優先してあるからね」
「そうなんだ。芸能界で活躍してるアンドロイドは、怒ったり泣いたりするもんね」
教育用のアンドロイドは、教えることに徹底している。
怒ったりはせず、優しくわかるまで根気強く教えてくれる。
その姿が逆に人らしくないと不評な部分もあるが、大抵は好評だ。
それに比べて、芸能界で用いられるアンドロイドは、いかに人間に近づけるかを目標としているようだった。
「芸能界用アンドロイドも、大変らしいよ」
「あれ、ユウヒ先生、アンドロイドに詳しい?」
「友達が研究してるから、愚痴聞いてるうちにね」
意外だったのか、目をぱちぱちとさせて私を見てくる。
そんなにアンドロイドに疎そうに見えるのかな。と、私は苦笑した。
「へぇ、じゃ、この子知ってる?」
「動画? 顔出しなしか」
「いい声なんだ」
取り出した端末を生徒がタップする。
ホログラムの画面にアニメーションを使った動画とそれに合わせた音楽が流れてくる。
懐かしい。昔、私たちも作ったものだ。
「へぇーーえっ?」
歌が流れ始めて、耳を疑った。
なんだったら、心臓は変なリズムになったし、息もどうすればいいか分からなくなる。
良い声。知っている。だって、ずっと聞いていた声だから。
だけど、ずっと聞けなくなった声で――私は言葉を失っていたのだ。
「どうしたの?」
不思議そうな顔をした生徒に顔を覗き込まれる。
じんわりと額かいた汗をそっと指で拭う。
口元を歪に歪ませるのが精いっぱいだった。
「……知り合いの声に似ててびっくりした」
「えー、じゃ、その人なんじゃない?」
私の気を知ってか、知らずか。
瞳を好奇心で満たして、明るい声でそう言ってくる。
今度こそ、苦笑して首を横に振った。
「それはないかな」
だって、アカリはもういないから。
その曲が終わるまで、私はホログラムから目を離せなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます