第18話


アンナが新しいお茶を運んできた。


「ありがとう。下がっていいわ」

「はい、お姫様」


アンナはいつものおどおどした仮面をかぶり、暗殺者の側面などおくびにも出さない。もし何かがあっても彼女がいてくれるなら大丈夫だ。アンナはゲームに登場していなかったから、ヒロインも手の内を知らないだろう。リュシヴィエールはいっそ気楽な気分だった。


ピンクの少女はもはや猫をかぶる気もないようで、組んだ足の上で頬杖をつく行儀の悪い姿勢だ。そのまま、ずずずと音を立てて出されたお茶を飲む。


(毒が入っているとは思わないものかしら)


とリュシヴィエールは思ってしまう。根っからの貴族なのだった。


「あんたさあ、火事にあったんだって? えー。不幸ぶっててウケる」


少女はにやにやした。サンドラの幼いがゆえに純度の高い悪意、悪意を向ける相手がいると言うことがなにより嬉しいと全身で表現するような生き生きとした笑顔を、リュシヴィエールは思い出した。


「神様って見てるんだね。プ。リュシヴィエールとかさあ、モブキャラじゃん。調子乗ったんでしょ? 何しちゃったのぉ? 悪役令嬢ルートでもやろうとした? 攻略キャラをあたしより先に攻略してハーレムぅとか考えてたぁ? 王太子より十個くらい年上じゃんお前。ないわー!」

「どうしてエクトルにしたの? 王太子様も天才魔法使いも王弟だっていたでしょう、攻略キャラはよりどりみどりだったはずよ」

「そのさ、貴族の喋り方やめろや。テメエ舐めてんのか!?」

「ひょっとしてうまくフラグ調整できなかったの? まあ、管理がめんどくさいものねえ、『ヒトキミ』」


ピンクの少女は苦虫を嚙み潰したような顔をして黙った。乱暴にカップをソーサーに戻した。あーあ、と派手なため息をつき、


「傷跡は治してあげる。エクトルをオトすのにおめーを治してやらなきゃいけないみたいだから。ゲームにないことばっかりで萎えるんですけど」

「エクトルがそう言ったの? わたくしを治療しなければあなたを愛することはないと?」

「は? もう愛されてるんだけどぉ!? テメエやっぱあたしのことナメてんだろ!? あァ!?」


少女は立ち上がって斜め上からリュシヴィエールの顔に顔を近づけた。早すぎるあまりピンクのボブカットの毛先がぷわぷわっと舞った。香水の甘ったるさの奥に、年若い少女の石鹼のように清潔な皮脂の香りがする。毛穴はひとつもなく、淡いピンク色の唇と頬は清らかさそのもの。まるっこい輪郭の中完璧に配置された大きな瞳が宝石のようにきらきらしたかと思うと、少女は大仰にのけ反って鼻を摘まんだ。


「おええっクセェ! くせえくせえー! お前顔腐ってるわ!」


リュシヴィエールは融けてなくなった唇の残骸に手を当て考え込む。頬の傷口からお茶の残りが垂れないよう首を傾けながら。


「妙ね。エクトルはそんなキャラクターだったかしら? 取引をいやがって暗殺術に頼ってしまう脆さがあると描写されていたはず。おかしいわね……。ともあれ、あなたとエクトルの間柄に手出しをするつもりはないわ。どうぞ弟をよろしくお願いいたします」


リュシヴィエールはにっこりした。少女は可憐に小さな鼻を両手で抑えたまま、げろろーっと舌を出した。


「笑うともっとキモいねー。ま、自分のクソ計画が破綻した報いってやつだよね。あたしに治してもらえて感謝しろよ」

「ええ、どうもありがとうございます」

「それだけ? えっえっ? それだけぇ?」


リュシヴィエールは立ち上がり、スカートの裾を広げて最敬礼をした。頭巾がずれなくて、ほっとした。


「ご恩情に心より御礼申し上げます。【癒しの歌の聖女】様のご慈悲に幸いあれ」


きゃははは。と少女は高い笑い声をあげた。嬉しくて嬉しくてたまらない様子だった。


「あたしの騎士になったらエクトルは二度とお前なんかに会わせないから。ざーんねぇーんでしたあー!」


そうして玄関扉を閉めることもせずぴゅうっと姿を消してしまったので、リュシヴィエールはとうとう苦笑した。


「……かわいそうに」


うっかり、本音がぽろりと漏れてしまう。貴族たる者、本音は家族以外に決して漏らさず複芸はお手の物、頭を下げるだけで足りるなら屈辱を耐え忍び面従腹背……は当然なので、思った以上に疲れたらしかった。


「まったくです。なんですかあのバケモノ」


音もなく背後にいたアンナが憤然としながら茶器を片付ける。


「エクトルが隣に連れてきたときはてっきり本物の恋人かと思ったのだけど。あれは、ないわね」

「ないですよっ、ないない! 頭の好みはああいうのじゃありません。あの人年上好みですから」

「あら、どこかで聞いた話ね?」


アンナはふふんと笑い、ティーセットをまとめて腕に抱える。


「頭は金髪で美しくて賢くて優しくて、高貴な貴族の女性を好いていますからね」

「アンナ……」


ハゲ隠しの頭巾を抑えながら、リュシヴィエールはじいんとした。にんじん色のお下げを翻し、アンナはくすくす笑って台所へ下がる。


残されたリュシヴィエールはソファの背もたれにもたれかかり天井を見上げる。


「かわいそうなエクトル、わたくしはほんとに、この傷をなんとも思っていないのに」


両手で顔を覆ってリュシヴィエールはしばらく、動けなかった。胸が熱く、心臓はとことこ音を立てて暴れた。


嬉しい。嬉しい。当たり前だ。


――傷が治る。


エクトルとピンクの少女はそのまま屋敷に滞在し、少女はどうしても彼と同じ部屋で寝るのだと言い張った。リュシヴィエールは呆れを表に出さず、アンナに一番奥の窓のない部屋の寝台を整えるように言いつけた。


もちろんエクトルはそこで何が起きたかを知っている。リュシヴィエールとしては、ささやかな意趣返しである。ほうれんそうをしなさいっての、まったく。


翌朝になってなんと小型ドラゴンの高速便がやってきた。そのドラゴンの首輪には王家の印があった。ピンクの少女が王都から最速で大きな包みをいくつも取り寄せたのだ。


「あたしが頼めば王太子様はなーんでもやってくれるのよ」


と少女は胸を張ったが、リュシヴィエールは彼女がストーリー攻略の中で起こるイベントで得た権利を行使したのだとわかった。キャラクターとしての王太子の命を救ったお礼として、ミミイ・フローチェは一度だけどんな願いも王家に聞いてもらえる手筈になっていたのである。貴重な権利をこんなところで使って大丈夫かこの娘。


エクトルは再び作りこんだ微笑でもってピンクの少女を褒めたたえ、愛してる、愛してると言葉をかえて何十回も囁いた。


えへへ、と少女は可愛らしく笑い、エクトルの肩ごしにリュシヴィエールを嘲る。そして少女が目を離した隙に、今度はリュシヴィエールとエクトルが目を合わせているのだから、まるで不倫夫婦と浮気女の三文芝居みたいだった。


(早く終わらないかしらね、これ)


とリュシヴィエールは天を仰ぐ。前世でもそうしていた気がする。


(エクトルはわたくしの傷を癒すために何を代償にしたのだろう……)


それを思うと怖かった。彼の策略するすべてが終われば、ピンクの少女と共に彼はこの屋敷を去るのだろうか?


(たぶんそのあと、専属護衛騎士の誓願の前に雲隠れしてわたくしのところに戻ってくるつもりなんでしょうね。もー。どうしてそういうややこしいことするのかしら。プライドを傷つけられて、ミミイ・フローチェは血眼であなたを探すでしょうよ)


思えば原作のリュシヴィエールは偉かった。本気でエクトルを憎み、彼の不俱戴天の敵として命を狙い立ちはだかったのだから。今のリュシヴィエールときたら、全然その片鱗もない。エクトルのすることなすこと、はいはいと受け入れること大甘の母親のごとし。


エクトルが学園内の政治闘争を勝ち抜いたのだとわかって安心した。学園卒業の資格も取れそうで、喜ばしいことだ。攻略ルート次第で別の攻略キャラが死ぬこともある『ヒトキミ』の世界を思えば、彼は本当によくやった。


(どんなドロドロがあったのか、だいたい想像つく己の記憶の鮮明さが恨めしくてよ、わたくしは)


さて、そうこうしているうちにエクトルによる少女の接待が終わった。


包みの中にはサクラと新しく名付けられた花の花びらが大量に詰まっていた。


若い二人はそれらをどこかへ運んでいき、すぐにリュシヴィエールを裏庭に連れ出した。


そこは屋敷の敷地の中だったが、あたりを囲う鉄の柵はずいぶん前に錆て朽ち倒れ、ほとんど外と区別できなかった。名前もわからない一本の木が生えている他、何もない。木は決して花を付けない。誰も手入れなどせず放っておかれても、一年中旺盛に葉を茂らせている。


ピンクの少女が得意げに大量のサクラの花びらをばらまき、その上に立った。魔法を使う者の能力を最大限に引き出す触媒だ。胸に手を当て、気取った新人女優のように元気いっぱいに、


「さあ、この上に立って! そしたらあたしが治してあげるからねえ!」


リュシヴィエールはエクトルを見た。彼は頷いた。リュシヴィエールは頷き返してピンク色の花びらの上にのぼった。


ピンクの少女、【癒しの歌の聖女】ミミイ・フローチェは歌い始めた。歌自体は子供でも知っている民謡で、音程はたどたどしく声は震えっぱなし、腐ってもいい歌とはいえない。けれどその魔力は本物だった。ざわり、とサクラの花びらが動き、舞い上がった。花びら一枚一枚を中心にして、聖女の魔力が空気に拡散する。リュシヴィエールの身体に花びらが群がり、ものの数分にもみたないその瞬間――聖女の力が温かくリュシヴィエールを包み込んだ。身体じゅうの火傷あとに、開いた穴に、虫食いのような凹凸に聖なる力が染みこんでいく。


温かいお湯に浸かっているようだった――前世で経験した温泉に似ている。そういえば、今世では温泉になんてぜんぜん入れていない。温泉が沸くのはロンド王国の外、もっと外国の、火山帯の特産だ……。


リュシヴィエールの心にちょっとした憧れが、未来への渇望が芽生えたそのとき。


麗しくも尊き【癒しの歌の聖女】の力はリュシヴィエールのすべての古傷を癒し、肌の凹凸、思い出したように破れては止まらない膿を出す太腿の大きな傷も、雨のたびに痛む骨、それらすべてがかつてのような状態に戻っていった。焼け焦げてハゲた頭には渦巻く金の髪の毛が生え揃い、ふさふさと顔の周りを覆う。動かなくなっていた足の指、生涯欠けたままだったはずの爪すら元通り。


正常な、生まれたままの、あのときのリュシヴィエールが魔法陣の真ん中に立っていた。


柱の影から見守るアンナが涙ぐんでいる。晴れ渡る空に光の残滓が踊る。


――奇跡は成ったのだ。


代償のサクラの花びらはみるみるうちに茶色く干からびて、ぱさぱさと風に吹かれて飛んでいった。


リュシヴィエールの目の前にエクトルがいた。


「何度も見てきたが、これは、この力は本当に……」


囁き声は震えている。リュシヴィエールはぎくしゃくと手を伸ばし、青年の身体を抱き締めた。記憶にあるのよりかなり大きく、分厚い、固い身体はしっかりと彼女を抱き留め、同じだけの力で抱き締め返す。


サクラの花びらは飛ばされていく。下草がざわめき、【暁の森】が囁き交わす。精霊の声、あるいは魔物の声。


温かい気持ちには程遠かった。永遠、じみたものがそこにある気がした。エクトルがここにいる。リュシヴィエールのすぐそばに。


もう前世だとか今世だとか、学園でどう過ごしていたの、【癒しの歌の聖女】がどうの、専属護衛騎士の請願は神聖なものでありうんぬん……どうでもよかった。


エクトルはリュシヴィエールの元にいる。今、ここに。


ピンク色の少女、ミミイ・フローチェはいらいらと足元の土くれを蹴っ飛ばす。褒めてもらえると思っていたのに、エクトルはちっとも称賛の声をよこさない。許せないことだった。彼は彼女を褒めたたえるべきである。


そしてそれ以上に――治療してやったリュシヴィエールが思った以上に美人だったのが不服だった。性悪のいじめっ子のくせに。


貴族の美貌は本人の努力ではなく血筋のおかげだ。たまたまだ。たまたま、美人の家系に生まれたから美人になった。お金があるから綺麗な服を着れて、化粧もできる。だから美人な家系の貴族の貴婦人は、その娘もそのまた娘もずっとずっと美人だ。こんな理不尽! 許していいはずがない。


少女は声を上げる。全部の間違いを彼女は正さなくてはならなかった。彼女こそが【癒しの歌の聖女】、この世界のヒロインなのだから。


「ちょっと!! あたし――」

「ああ、うん。どうもありがとう。姉上に代わって心から感謝する」


と静かな、低く聞き取りやすい乾いたエクトルの声が間近にした。えっと少女は目を見開いて上を見上げた。ぽかんとして。


晴天のように綺麗な青いエクトルの目に、銀色のふちがきらきらと浮かんでいる。ピンク色の少女はそれが好きで好きで、もっと見たかった。でも一番好きだったのは王太子キャラの目で……なんで選択肢間違えなかったのに攻略できなかったの。あいつの周りに婚約者だっていう公爵令嬢がチョロチョロしてて。ジャマすぎた。ひょっとして公爵令嬢、あいつも転生者だったんだろうか?


「許、せない……」


とピンクの少女は呟いた。身体はずるずると崩れ落ち、自分で蒔いたサクラの花びらの残骸の上にどさっと倒れた。


そういえば天才魔法使いもメイドにヘラヘラしてたし、ショタキャラもこっちに見向きもしなかったし、王様の弟の庭師はホモだった。おかしい、おかしいよ。ここはあたしのための世界のはずなのに。


――なんでキャラクターのくせにみんな、人間みたいな動きしてんの?


「待って」


と声がかかった。誰? 少女は出元を探す。こんな凛々しい声を出せるのは、マジの大御所声優しかいないはずだ。……新キャラ? あたしを助けにきたの?


リュシヴィエールはするするとスカートをかき分けてエクトルの背中に近づいた。杖なしで歩くのは、それができるのは不思議な気がした。それほどあの状態に慣れていた。


頬の傷から息が抜けることはもうない。手足は、指は自由自在に動く。背中に流れる金の巻き毛の感触。涙が勝手に流れることのない、垂れ下がって視界をふさぐ瞼のないこの目。


「――待って、エクトル。わたくしにやらせて」

「姉上?」


エクトルは不思議そうにリュシヴィエールを振り向いた。手に持った骨のナイフはよく研がれ、使い込まれて飴色に光り、そこは今新たに流された少女の血に濡れていた。


心臓付近、胸の真ん中を突かれてなお、少女には息がある。エクトルがしくじったとは思えない。原作の設定が、という話ではなくて、この冷静な男がそうするとは思えない。


「なぜ苦しませるの。かわいそうに」


エクトルは嬉しそうに微笑した。彼はリュシヴィエールの言動に、明らかに喜んでいた。


「姉上を侮辱したからね。俺はそういう奴のこと許さないと決めているんだ」

「ナイフをお貸し」


リュシヴィエールは厳しい表情で手を差し出す。エクトルは素直に大振りのナイフを渡してやったが、


「血脂で滑るよ、気を付けて」


と彼女の後ろに回って手に手を添え、持ち方を教えるのは怠らなかった。骨でできた獲物は使いづらい。金属の反応を魔法探知されづらいという利点はあれど。


リュシヴィエールは息を吸って、吐く。これだけの動作がこれほど支障なく行えたのは、いったい何年振りのことだろう?


リュシヴィエールは跪き、哀れな少女を見下ろした。少女はピンクの髪を振り乱し、ピンクの目を見開き、ピンクのドレスをぐしゃぐしゃにして地面に横たわっている。ぜいぜい、ひゅうひゅうと喉の音が大きく、恐怖に染まった顔は年相応に幼い。


そう、幼かった。彼女は幼い愚か者だった。


「た、す……け……」

「すぐに楽になるわ。弟が本当にごめんなさい……わたくしも、同罪よ。ごめんなさい」


リュシヴィエールは少女の肩を掴み、仰向けに姿勢を変えた。それだけで息切れがした。ナイフを両手で構え、大ぶりな切っ先を彼女の喉に突きつける。


体重をかけて、一気に下へ押し込んだ。がっつ、と硬い手応え、骨の切っ先が少女の首の骨に突き刺さる。だが残りの刃もまた、頸動脈を切断するに至った。


「がっふ! げぼぉ。ごぼぼぼぼっ!」


もはや意思は関係ない声が、身体が勝手に声帯を震わせた結果の音が、した。ピンクの少女は断末魔を叫び続け、手足はばたばたと不格好に踊り続ける。リュシヴィエールはその勢いに恐れおののき、


「危ない!」


とエクトルが腕をひいて立ち上がらせなければ、なぎ倒されていただろう。


リュシヴィエールはしばらく息を荒げて己の血で溺れる少女を眺めたが、やがてあれほど激しかった踊りも徐々に落ち着き、呼吸は終わり、命は終わった。リュシヴィエールは再び少女の頭の上にかがみ込んだ。


「もっと素晴らしい環境で、自分の力を試せるところで十分評価されて、生きていくつもりだったのよね。わかるわ。でもそれを得ることができなかった。実力はあったのに、発揮できなかった――それはあなたのせいじゃないわ。あなたのせいじゃない。でも、そういう場所にいる人たちがずるをしたわけでもない。あなたを貶めたわけでもないのよ」


ゆっくりした風が身を切るような冷たさで二人の頭を撫でていった。エクトルは息を呑んでリュシヴィエールのその金の髪を眺める。


「さようなら。治してくれてありがとう……」


リュシヴィエールは少女の手を胸の上で組み合わせ、短いが正当な祈りを捧げて死を悼んだ。


それで終わりだった。悲しみはあったしむやみに死なせてしまったという後悔もあったが、数々の侮辱への怒りもあり汚い言葉への軽蔑もあった。それらは両立していた。


「エクトル、彼女をきちんと弔って」

「あんたを罵った女を? なぜ」


彼は本気でわかっていなかった。彼女はもっと彼に倫理を、人の道を、教えるべきだった。煮詰まった愛がねじくれた先にある恋愛じゃなくて。


「それでもよ。わたくしはてっきり、あなたはもっと真剣に彼女と向き合うのだと思ったの。どうしてかしらね。母上たちのことを経験したんだったのに。――祈りなさい、エクトル」

「姉上……」


そうして彼はそのようにした。短いが正式な祈りの言葉とともに目を閉じて祈った。


リュシヴィエールが望めば、エクトルに拒絶することはできないのだった。


そして彼女は彼へ右手を差し出す。仕草は身内同士の気心知れた触れ合いの一部のようであり、求婚者へ了承を示す貴婦人のようでもあった。


エクトルはリュシヴィエールを連れて屋敷へ戻り、そのあとただちに少女の身体を言われた通りにしてやった。この件は事故として処理するとすでに決まっている。


悲劇のヒロインらしい最期を迎えられてよかったじゃないか、と彼は思った。


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