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 ルルちゃんの部屋から駅までの道のりを、私はミシマの後について歩いた。いつもなら、私とミシマの間には、目に見えないルルちゃんがいて会話は円滑なはずだった。でも、今日のミシマは無口だった。なにも言わずに私の一歩先を行く。私も言葉を探せずに、黙ってミシマの背中を見つめていることしかできなかった。

 いつもと、違う。

 私はそのことに不安を覚えていた。これが最後、なんてことだけはあってほしくなくて。

 ねえ、ミシマ、

 その先に続く言葉も思いついていないのに、ただ名前を呼びかけようとしたとき、ミシマがいつもと違う道を曲がった。

 「ミシマ?」

 自然にこぼれた彼の名前。ミシマは返事をしてはくれなかった。振り返りもせず、ただ淡々と足を進めていく。

 ミシマがどこに向かって行くのかも分からず、私はどうしようかと一瞬悩んだ。このままついていくのか、ここでミシマと別れて駅までの道をたどっていくのか。

 数秒悩んで、結局ミシマについていくことにした。私は、やっぱりミシマが好きで、一緒にいたくて、ここで、じゃあね、と背中を向けることができなかった。

 ミシマはそこから5分くらい歩き、小さなアパートの前で足を止めた。そして、やはり私を振り返ることもなく、一階角部屋の鍵を開ける。

 「ミシマの家?」

 間抜けな台詞だったと思う。それ以外の、なんだというのか。ミシマもそう思ったみたいで、肩越しに私を振り返ったミシマの顔は、少しだけ笑っていた。私のことを、変わってる、と言ったいつかの夜みたいな、微苦笑だった。

 そこで私はまた、躊躇った。ミシマの家に入るのが、怖い気がした。ミシマと、ルルちゃんの家以外の場所で向き合ったことは、これまでなかったから。ミシマがもし豹変したとしても、この家に入ってしまえば、私に逃げ場はない。よく考えたら、私はミシマのことをなにも知らないのだ。知っていることなんて、ミシマ、という漢字も知らない苗字と、ジントニックとルルちゃんが好きなこと、それくらいだ。

 躊躇う私に、ミシマが右手を差し伸べて来た。白くて大きな手。私がいつも、触れたいと願って触れられずにきたもの。

 ずるい、と思った。こうされたらもう、私にはその手を取る以外の選択肢はない。だから私は、ミシマの手に自分の手を重ねた。ミシマの手は、ひんやりと冷たかった。ミシマの手の上で、私の骨っぽく痩せて小さな手は、まるっきりこどものそれみたいに見えた。そのまま手を引かれ、アパートの中に入る。瞬間見上げた夏の空には、もう太陽がまぶしく照りつけていた。

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