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がちゃん、と玄関のドアが開く音がしたとき、ミシマは三杯目のジントニックを、私は三杯目のオレンジ色のカクテルを飲みながら、やっぱりルルちゃんの話をしていた。私は、ミシマとルルちゃんが中学生の時に一緒に家出をし、駆け落ちと間違えられて、駅のホームでミシマだけぼこぼこに殴られた話を聞いていたところだった。ミシマは、その話をしながら、懐かしそうに笑っていたけれど、私は笑えなかった。ミシマは、本当にルルちゃんと駆け落ちをしたかったんだろうな、と思って。
「ルルか。」
玄関の物音を聞いて、ぼそりと呟いたミシマの顔は、恋しい人が帰ってきたという割には、全然嬉しそうではなかった。むしろ苦しげにさえ見えるような、どこか険しい表情をしていた。ミシマの恋は、いつだってこんなふうに、苦しい顔で乗り切るしかないものだったんだろう。私はそう思って、胸が苦しくなった。元彼と付き合っていた間、私はずっと浮かれていて、一度もミシマみたいな顔をしたことはなかった。
「つきこさん? ミシマも来てるの?」
玄関の靴を見たらしいルルちゃんが、私の名前を嬉しそうに呼んだ後、ミシマの名前を、なにかを恐れるみたいな微妙な響きで発音した。
「来てるよ。」
ミシマが、立ち上がる素振りさえ見せずに、呟くように言った。その声は、玄関のルルちゃんまでは届いていなかったと思う。私は、私の名前を呼ぶルルちゃんの嬉しそうな声が、ミシマに聞こえなければいいと、そんな無理なことを願った。
「いらっしゃい。」
リビングに入ってきたルルちゃんは、いつもの白いシャツに黒いタイトスカート姿で、右手には薄茶色の小ぶりな紙袋を下げていた。
「つきこさん、今日あたり来てくれるかなと思って、鯛焼き買ってきました。」
しゃりしゃりと、掲げた紙袋を軽く振って、ルルちゃんが私に笑いかけた。私はルルちゃんに笑い返しながら、ミシマの表情を視界の端っこで確認せずにはいられなかった。
「ミシマが来てるとは思わなかったから、二個しか買ってないよ。半分食べる?」
ルルちゃんが、私に話しかける時とは全然印象が違う、砕けた口調でミシマに話しかけた。ミシマはちょっと苦笑して、食うよ、と言った。ルルちゃんは、その場で紙袋を開き、湯気を立てる大きめの鯛焼きを二つに割ると、片方をミシマへ寄越した。白い石でできた彫刻みたいなミシマに、鯛焼きの片割れは絶望的に似合わなかったけれど、ルルちゃんが寄越すものなら、ミシマはなんでも受け取るのだろうな、と思った。
「つきこさん、甘いの好きですよね?」
ルルちゃんが差し出してくれた鯛焼きの紙袋を、私は、ありがとう、と受け取った。ルルちゃんは、にっこりと笑った。完全無欠の、かわいい笑顔だった。私は、絶対にこの人には勝てないな、と、勝負を挑む気にすらなれずにそう思った。
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