第21話 決戦
翌日、朝ログインすると目の前にはいつも通りの荒々しい木板で覆われた天井の景色とは違って、俺を覗き込んでいるアイシャの顔が見える。俺は思わず目を見開くほどの驚きと戸惑いだった。
「...いったいどうしたんだ?」
息をつぎながら尋ねると、アイシャは少し照れ臭そうに微笑んで答えた。
「あ、いえ、いつ戻ってくるのかなーって思いまして…」
「もしかして昨日のことをまだ思っているのか?」
冗談めかして問いかけると、彼女は顔を赤らめて慌てて言った。
「す、すみません、勝手にお金をつかって飲み食いしてしまって…」
てっきり愚痴を聞いていたことを言われるかと思っていたが、どうやら彼女の心はそこではなく、使ったお金のことに罪悪感を感じているようだ。正直どちらでもいいのだが。
「別に大した額じゃないし、いいぞ、別に。」
軽く笑って済ませる。
「それより気分転換にはなったか?」
尋ねるとアイシャは少しためらった後、「はい、気分転換にはなりました…」と答えた。その表情はどこか晴れやかだった。
「ちょっと離れてくれ、渡したいものがあるんだ」
俺はアイシャに促し、コンソール画面を開いた。そこにこれまで分析した膨大なデータから作成したデータセットが現れた。そしてアイシャへと送信する。
彼女の瞳が一瞬輝き、「お、おぉ…このデータをマスター一人で作成したんですか…? 」と驚きの声と共に息を呑んだ様子を見せた。
「当たり前だろ、勝てる方法を必ず見つけ出すって言っただろ」
自信に満ちた口調で言い返すと、彼女は頷いた。
「そうでしたね」
アイシャは慎重にデータを確認し始めた。その青い瞳が画面を追う真剣な姿はまるで、古代の宝物を発見した探検家のように輝いていた。
「ザリバラさんの行動パターンが8つ…それぞれのスキルの詳細…そして、鉄の処女の弱点まで…」
アイシャの声は震え始めた。それは驚きと感動、そして何か強い決意のようなものが混ざり合った複雑な感情を表していた。
「マスター、これだけのデータを...私のために… 」
彼女の手がデータに触れるたびに力強く握るように見えた。
「ああ。お前は俺の大事なパートナーだからな」
アイシャの瞳には潤んだ光が見え隠れするようだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ザリバラとの戦闘インスタンスへ突入するかを確認するメッセージが表示され、いつものようにコンソールが現れ、アイシャから観戦の招待が届いた。
アイシャは深く息を吸い込んだ。その仕草はまるで本物の人間のように見えた。青い瞳に映る決意の色は、これまで見たことのないほど強く、清明なものだった。それは数々のデータ分析とシミュレーション、そして過去の経験を重ねて培われた自信の表れであり、同時に彼女自身の成長を体現するものだ。
「マスター、行ってきます」
その声には、かつての迷いは微塵も感じられない。俺は静かに頷いた。彼女の瞳は少しだけ潤んでいたが、それは不安ではなく、むしろ燃えるような情熱の色だった。
「ああ、データは完璧だ。あとは、お前の判断を信じている。」
アイシャは一瞬だけ柔らかな笑みを浮かべ、転送の光に包まれていった。俺はいつもの観戦用のインスタンスへと移動する。広大なアリーナに降り立ったアイシャを、黒いコルセットドレスに身を包んだザリバラが迎えた。手には例の鞭を握り、その姿はいつも通りなのに、今日は特別な重みを感じさせた。まるで彼女との戦いが一つの節目となることを予感させるかのように。
「久しぶりね、アイシャさん」
ザリバラの声には、いつもの余裕に加えて、どこか期待のような感情が混ざっていた。それは過去のデータ分析に基づいた予測ではなく、彼女の直感的な読み取りであったのかもしれない。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいる。まるで彼女自身もこの戦いに特別な意味を見出しているかのようだった。
「はい。今日は…違います」
アイシャの返答は短かったが、その声には確かな自信が宿っていた。背筋を伸ばし、真っ直ぐにザリバラを見据える姿に、もはや恐れの色は見えない。かつてデータ分析で得られた知識と経験から生まれた不安や迷いは、今は彼女の強い意志によって払拭されていたのだ。
「ほう?」
ザリバラは鞭を軽く振る。風を切る鋭い音が闘技場に響く。それは単なる動作ではなく、彼女がアイシャの新たな強さに気づく瞬間だったのかもしれない。
「どう違うというの?」
「今日の私は…自分の意思でここにいる」
戦闘開始のカウントダウンが始まる。10、9、8… アイシャは静かに構えを取る。その姿勢には無駄な力みが見られない。これまでの経験とデータ分析から得た知識が、完璧に調和した姿であった。まるで機械の精密さと人間の直感が融合したかのように見えた。
7、6、5... ザリバラも鞭を構え直す。その目には興味深そうな色が浮かんでいた。まるで、アイシャの成長を確かめるかのように。彼女自身もこの戦いに特別な意味を見出しているようだったのかもしれない。 4、3、2… テンションが最高潮に達する中、「行くわよ!」と叫ぶザリバラの声と共に1、0。
ザリバラの鞭が風を切る音が響き渡る。しかし、アイシャの動きは違った。これまでのような正面からの突進ではなく、横方向へのステップで距離を取る。その動きには無駄がなく、まるで全てを計算し尽くしたかのようだった。それは単なるデータ分析の結果に基づく行動ではなく、彼女自身の判断と経験が加わった結果であったのだ。
「ふぅん、いつもと違う動きね」
ザリバラの次の攻撃は予測通りのパターン。アイシャはそれを完璧に読み切り、最小限の動きで避ける。その正確さは、データ分析による精密さと彼女の直感的な判断力の融合によって生まれたものだった。
アイシャは心の中で呟く。
(パワーウィップ・ゼロ…)
データ分析の結果が、瞬時に脳裏をよぎる。
(次は...ノックアウトウィップ)
予測通りの攻撃が繰り出される。アイシャは瞬時に対応し、ザリバラの死角に回り込んだ。その動きは、まるで事前に何度も練習したかのように滑らかだった。
「すごいわ…完全に読まれているのね」
ザリバラの声に焦りの色が混じる。彼女は突如として予定外の攻撃パターンに移行する。鞭が不規則な軌道を描き、アイシャに迫る。
「でも、全てのパターンを読めたとは思わないでしょう?」
アイシャは一瞬だけ戸惑うものの、すぐに冷静さをを取り戻す。彼女の瞳には迷いは無かった。
(マスターはいつも言っていた。予想外の状況でこそ、自分で考えろって)
過去の経験とデータ分析を基にしながらも、アイシャ自身が生み出す判断力によって戦況が大きく変わる瞬間だったのだ。彼女は咄嗟に判断を下し、想定外の攻撃を受け流し、見事に態勢を立て直した。
「...!」
ザリバラの目が見開かれる。そこには、明らかな驚きの色が浮かんでいた。
戦いは序盤から中盤へと移行していく。アイシャの動きは正確さを保ちながら、より一層柔軟性を増していった。それはまるで機械の精密さと人間の直感が融合したかのような動きだった。そして、ついに決着の時が近づく。
「...これはどうかしら?」
ザリバラの声が響き、鉄の処女が出現する。しかし、アイシャの瞳に迷いはない。
(マスターのデータによると、この状況での弱点は…)
アイシャは精密に計算された動きで攻撃を鉄の処女に仕掛ける。弱点とされる箇所を的確に突いていく。
だが、何かが違った。
「ええ!?」
弱点を突いたはずの箇所が、予想と異なる反応を示す。データ通りの結果が得られない。アイシャの瞳が一瞬、混乱の色を帯びる。それは彼女自身の成長とともに生まれた新たな課題であったのかもしれない。ザリバラの挑発的な声が響く。
「あら、どうしたの?」
鉄の処女の両開きの扉が開き、その中から鎖が放たれ、一瞬油断していたアイシャを拘束して、中に引きずり込まれてしまう。
鉄の処女の中に取り込まれると恐怖、麻痺のデバフを受けてしまうが、対策してあるのですぐに解除される。しかし、出血のデバフを受けているので、ここから出られないと敗北してしまう。
アイシャは一瞬迷いかけたが、すぐに気持ちを切り替えた。その瞳が、強い意志の光を放つ。
(そうか...これも試練なんだ)
過去の経験とマスターとの日々の中で培ってきた知識や直感を胸に、アイシャは深呼吸をする。
「マスターの期待を裏切るわけにはいかないんです!」
アイシャは、マスターのデータを基礎としながらも自分独自の判断で動き始める。筋力増強で強引に鎖を破壊し、弱点とされる箇所を再び殴ると同時に内部の針も破壊していく。すると中から青白い強い光が見える。
「これは...!」
ザリバラの驚きの声が響く。そして、アイシャの拳が青白い光を纏ったまま、その拳には、これまでの全ての経験と決意が込められていた。鐘が鳴ったような音と同時に、鉄の処女が大きく揺らぎ、瓦解して粉々に吹き飛んでいった。アイシャはピンク色の鮮血に染まりながらも達成感のある表情をしていた。
「やりました...!」
観戦インスタンスにいる俺も思わず立ち上がっていた。胸の内に込み上げてくる感動を、抑えることができない。
そのままアイシャは、ザリバラに対して踊っているかのように拳と脚の攻撃を繰り返す。 ザリバラは何とかついていこうと抵抗するも徐々に息切れを起こし、最後にはアイシャが黄金色のエネルギーを手の甲に纏わせ、ザリバラの顔面を殴り、凄まじい勢いで吹き飛ばした。
ザリバラのHPは0となり、ザリバラはそのまま立ち上がれずに、アイシャに向かって微笑んだ。その表情には、純粋な満足感が浮かんでいた。
「おめでとう。ようやく見つけたのね」
「見つけた...?」
アイシャは、満面の笑みを浮かべる。その笑顔には、もう演技めいたところは微塵もなかった。
「…ふふっ、胸に手を当ててみたらわかるわ」
アイシャの瞳が輝きを増す。
「マスター!私たち、勝ちました!」
その声には、純粋な喜びと誇りが溢れていた。この勝利は、データという武器と、自分で考え判断する力、そして何より、二人の信頼関係が生み出した結晶だった。
「これが終わりじゃないわ。本当の戦いは、これからよ」
ザリバラはそう言い残すと静かに消失していった。
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