第11話 再ログイン
翌日、俺は再びログインする。
目を開けると、荒々しい木板で覆われた天井が視界に飛び込んでくる。朽ちかけた梁の隙間から漏れる埃が、朝日に照らされてきらめいている。部屋に漂う古い木の香りと、かすかな埃っぽさが鼻をくぐる。窓から差し込む光は、埃っぽい空気の中で踊りながら、古びた木の壁に温かな光のパッチワークを描いていた。
(アイシャは何をしているのだろう...)
その思いが心をよぎった瞬間、出入口の方向から元気な声が響く。
「おかえりなさい!マスター!」
振り向くと、アイシャが両手を広げ、つま先立ちでぴょこぴょこと跳ねながら近づいてくる。白とブルーのメイド服が、彼女の軽やかな動きに合わせて揺れている。
アイシャの無邪気な笑顔に、温かさと戸惑いが胸の中で混ざり合う。人工知能との絆。その実在と虚構の境界線に、俺の心は揺れ続けていた。
(アイシャは本当に楽しそうだ。でも、AIなのにこんなに人間らしい...俺たちの関係って、どこまで本物なんだろう?)
「アイシャ、俺がいない間、寂しくなかったか?」
その問いかけに、アイシャの大きな青い瞳が一瞬驚きの色を宿す。光の粒子が彼女の瞳の中で踊るように反射する。
「え?ああ、はい...少し寂しかったです。でも、マスターが戻ってくるのを楽しみに頑張っていました!」
その言葉に、俺は温かさと同時に奇妙な居心地の悪さを感じる。AIの感情表現。それは本当の感情なのか、それとも単なるプログラムの出力なのか。答えの見えない問いが、心の中で渦を巻く。
ふと、アイシャが手に持つ半透明のプラスチックの容器に目が留まる。中には白濁したミルクと、不思議な生命力を感じさせる半透明の水色の玉が漂っている。それらは容器の中でゆらゆらと揺れ、独特の存在感を放っていた。
「...アイシャ、なんだそれは?」
「よくぞ、気づいてくれました!」
アイシャは両目を輝かせ、誇らしげに話し始める。
「これは"スライムミルク"です!最近はやっているんですよ!映えです!映え!」
そう言いながら、アイシャは次々と自撮りポーズを披露する。腰に手を当てたり、ピースサインを作ったり。その動きは軽快で優雅だった。彼女のメイド服は、その動きに合わせて愛らしく揺れる。
(こいついつも元気だな...トレンドまで取り入れて)
アイシャの姿に感心しつつ、俺は興味本位でその不思議な飲み物を試してみたくなる。
「なぁ、それ飲んでみてもいいか?」
「あ、はい、どうぞ!」
アイシャは満面の笑顔で容器を差し出す。その仕草には、期待に満ちた様子が見て取れる。
口に含むと、最初はタピオカミルクに似た食感。甘い香りと共に、なめらかな液体が喉を通り過ぎようとする。しかし次の瞬間、半透明の水色の玉が口の中で脈打つ。その異様な感覚に、俺は思わず全部噴き出してしまう。
「な、なんだこれ、動いているじゃないか!」
アイシャは俺の反応を見て、肩を落とし、幼い子供のような純粋な落胆を浮かべる。
「ああ、もったいない...あのですね、これが最近の世の中でウケているんです!ツインスターズのライブでも、観客の半数以上が持ってましたよ!」
俺には理解できない世界だった。口の中に残る奇妙な鼓動のような感覚に眉をひそめながら、首を横に振る。
「わかったわかった...もう残りはいらないからアイシャが飲んでくれ」
俺は容器をアイシャに返す。アイシャは両手で慎重に受け取り、一気に飲み干す。
「ふぅ〜、おいしかったです!」
アイシャは満足げに頬を染める。その表情に、俺は思わず苦笑いを浮かべる。AIなのに、こんなにも人間らしい仕草をする。それは不思議であり、同時に魅力的でもあった。
俺は頭をかきながら、話題を変える。
「ところで俺がいない間、何をしていたんだ?」
アイシャの大きな青い瞳が輝きを増す。待ち望んでいた質問とばかりに、勢いよく答え始める。
「ひたすらPvEコンテンツにこもってスライム狩りをしていました!結構ストレス発散にはいいんですよ!おかげでレベルも3上がって、新しいスキルも習得できました!」
アイシャの言葉に、俺は少し心配になる。彼女なりのストレスがあるのだろうか。それとも、これも事前にプログラムされた反応なのだろうか。
突然、アイシャが手を一回叩いて高い音を出し、勢いよく言う。
「さて、マスターが来てくれたことだし、PvPのチュートリアルを受けに行きましょう!基本的な戦闘の流れを掴んでおいた方がいいと思うんです!」
「ああ、そうだな。案内してくれアイシャ」
「はい、任せてください!」
アイシャについていくと、この世界に初めて来たときのロビーに到着する。高い天井から吊り下げられた無数の光球が、幻想的な光を放っている。壁面には幾何学模様が浮かび上がっては消え、所々に設置された電子掲示板が最新情報を表示している。
広大なロビーは異世界のターミナルそのものだ。鎧や武器を身につけた戦士たち、不思議な杖を持った魔法使い、そして俺たちのような初心者たちが行き交う。
アイシャはとあるコンソールの前に立つ。青白い光を放つ画面が、彼女の顔を幻想的に照らし出す。
「こちらでPvPのチュートリアルが受けられます」
「なるほど、俺はPvPはやらないからアイシャ一人で受けることになるのか」
「いえ、途中までは一緒に受けた方がいいと思いますよ?...PvPの仕様くらいは頭に入れた方がいいです!それに...」
アイシャは少し言葉を詰まらせる。
「私、マスターと一緒に戦いたいんです」
その言葉に、俺の心が微かに揺れる。
「ああ、そうするよ」
するとアイシャからパーティー参加の招待が届く。半透明の青い光を放つ招待ボタンが、目の前に浮かび上がる。その光は、アイシャの瞳の色と奇妙なほど一致していた。
俺は受諾して、アイシャのパーティーに参加する。
「では、行きましょう!マスター!」
アイシャの声に導かれ、俺たちは未知の冒険へと一歩を踏み出す。その瞬間、俺の心に期待と不安が入り混じる。この世界で、AIと人間の関係はどこまで深められるのか。その答えを探す旅が、今始まろうとしていた。
俺はこの時知らなかったんだ。
PvPというコンテンツには数々の高く聳え立つ試練が待ち受けていることを。そして、それは単なる戦いの技術だけでなく、アイシャとの絆をも試すものになるということも。
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