第7話 ツルツルナイトの奇妙な店主

「マスター!ここが目的地のツルツルナイトです!」


アイシャがようやく俺の手を離すと、目の前には西部劇の街並みとは全く似つかない、まるで日本の歌舞伎町から切り取ってきたような派手なネオンを光らせた建物が現れた。鼻をつく甘ったるい香水の匂いが風に乗って漂ってくる。


出入口の上には“turuturu nightツルツルナイト”とネオンで文字ごと光らせてあり、可愛らしいハートをあしらえている。その文字が妙にちかちかして、目が痛くなる。


(せめてそこは"tsurutsuru nightツルツルナイト"じゃないのか...そもそも、ここは本当に大丈夫なのか?)


俺は心の中でツッコミを入れつつ、この不思議な建物を見上げた。喉が乾き、手のひらに汗が滲む。こんな怪しい場所、現実世界なら絶対に近づかないのに。


「...入ってみるか」


今まで入ったことのない建物に好奇心と恐怖を抱えながら、俺は足を一歩ずつ進め、中に入っていく。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

アイシャも少し緊張した様子で、俺の後ろをついてくる。その大きな青い目が不安そうに辺りを見回している。


「マスター、大丈夫ですか?顔色が悪いようですが...」


アイシャが心配そうに俺を見上げる。


「ああ、大丈夫だ。ちょっと緊張しているだけだ」


店内は想像以上に派手で、目が眩むほどだった。甘ったるい香水の匂いに加え、アルコールの香りが鼻をつく。


奥には大きなカウンターテーブル、手前側には円形のテーブルが複数設置されており、1つのテーブルに対して木製の椅子が4~6個程度配置されている。中にも派手なネオンの光を焚いているせいで目が少し疲れる。

店内には、BGMが鳴っている。エレクトロ・スウィングで統一されており、不思議と場の雰囲気に合っている。その音楽が妙に神経を逆なでする。


(こんな場所に住むなんて...本当に大丈夫なのだろうか?)


客は誰もおらず、唯一いたのはカウンターに仁王立ちしている店主だけだった。

その店主の容姿は驚くべきものだった。ドラァグクイーンのような派手なメイクをしていて、派手な衣装を身に纏っているのに、髪の毛が一本もない黒人が立っていた。その姿を見た瞬間、思わず吹き出しそうになり、必死に堪える。


(ツルツルナイトっていうのはそういうことなのか?いやいや、まさか…)


「ツルツルナイトへようこそ。待っていたわ、アイシャちゃんと翔太ちゃん」


高めの作り声でくねくねと色っぽく話しかけてくる店主に、俺は思わず身震いした。しかし、同時に一つの疑問が浮かぶ。


「どうして、名乗っていないのに俺たちの名前がわかるんだ?」


アイシャが急いで口を挟んでくる。その表情には少し誇らしげな色が見える。


「あっ、それは私がジューシー様にダイレクトメッセージを送信しておいたからですね!マスターのために先回りして…」


(命じていないのに、察して行動してくれるのか。アイシャが段々とまともなのかポンコツなのかわからなくなってきたな…)


「そゆこと、話は聞いているわ。2階に空きが1部屋あるからそこなら貸してもいいわよ」


ジューシーと呼ばれる店主が言う。その声に含まれる甘ったるさに、思わず眉をひそめる。


「部屋の中を見てもいいか?」


「気にしないでどんどん見てちょおだい、カモーンカモーンよ」


店主は尻をこちらに向けて左右に振りながら、上下にゆっくりと腰を動かす。

俺は目をそらしながら、急いで2階の階段へ向かった。アイシャは興味深そうに店主を見ていたが、すぐに俺の後を追ってきた。


2階は意外にも西部劇の雰囲気を残した廊下と部屋の扉で構成されており、この場所にネオンは設置されていなかった。その急激な雰囲気の変化に少し戸惑う。一番奥の部屋が賃貸として貸し出している部屋らしく、その部屋の中に入る。


出入口に立つとアクセス権のコンソールが表示され、“フリー”と書いてある。

つまり、今は誰でも入れる状態だ。


中に入って、ざっと中を見る。部屋には質素な机にダブルベットが置いてあるだけだった。

窓も一応あるが、くすんでおり、外の景色があまり見えない。

本当に帰って寝るためだけの部屋という印象だ。


「...ちょっと待てよ。ここを借りると仮定してベッドが1つしかないから、誰が寝るんだ...?」


「...私とマスターで一緒に寝たら問題ないのでは?」


アイシャが迷いもせずぶつけてくる。その言葉に、俺は思わず赤面した。アイシャの大きな青い目が、まっすぐに俺を見つめている。


「おいおい、アイシャは嫌じゃないのか?」


「...どうして気にする必要があるんですか?」


アイシャは何かを察したのか、唇の端が不意に上がり、意味ありげな笑みを浮かべながら続けて言う。


「はっは~ん、マスターはそういう”うふんあはん”な展開を危惧しているのですね。私は、マスターとならいつでも万事おっけーですよ!」


また上目遣いをしながら色っぽい声を出したつもりでクネクネと動くアイシャの姿に、思わず笑いが込み上げてくる。


「いや、それはない」


俺はすぐに答える。その言葉に、アイシャの表情が一瞬曇った気がした。


「あっ、そうですかぁ」


何故か残念そうにするアイシャ。この反応にますます困惑する。


「まあ、仕方ない...ベッドは1つしかないから一緒に寝るしかないな。だが、変なことはするなよ」


「はぁーい」


アイシャが不貞腐れたような返事をする。その様子に、思わず苦笑してしまう。


あらかた部屋の中を調べたが、特に問題はない。気に入らないのは、部屋というより建物と店主だけだ。


「それで月にいくらかかるんだ?」


「えーっと、8000LUMルミナスとのことです。」


「…決済できる通貨はそれだけなのか?」


「はい、そのようです」


「どうしてLUMルミナスだけなんだろうな…」


「…料理に使う素材はLUMルミナス決済に偏っているのですよ。だから飲食店やバーでもLUMルミナス決済が好まれる傾向はありますね。」


「なるほど…ありがとうアイシャ。」


とにかく俺の所持金は20,000AXMアクシオム、50,000LUMルミナス、10,000EGNアイゲンだから半年は働かなくてもここに住むことは可能だ。

治安、住民、建物の見た目、店主以外は文句はないので、ここに拠点を構えることにした。

その決断に、少し不安と期待が入り混じる。


「よし、早速契約するか」


「では、マスター名義で代理として契約書にサインしてもよろしいですか?」


「...いや、俺が目を通してサインする」


アイシャが契約書を表示してくれて、片手で押し出すようにすると俺の方に近づいてきて、ぴったりと俺の前に止まる。俺は早速中身を確認する。書いてあることは現実の賃貸契約と何ら変わりないものだった。

最後まで確認し、サインしてアイシャへ返した。


一先ず、契約書を提出するために例の店主のところへ向かう。

正直、店主を見るだけでお腹いっぱいなのに話しかけなきゃいけないのはしんどい。しかし、これが俺とアイシャの新しい生活の第一歩なのだと思うと、不思議と胸が高鳴る。


QUANTERRAクォンテラでの生活、一体どうなるんだろうな…)

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