第13話 オルランド目線①
執務室で書類にサインをしていると、侍従長が手紙を持ってきた。
その手紙の束の中に、エレーナとアリアの名前を見つけた。
俺は、楽しみは後にとっておくタイプだ。そういうわけで、アリアの手紙から開封した。
「婚約を受けるよう、勧めてくれただろうか?」
ロベルトを通して、アリアに手紙を出した。内容を要約すると、『エレーナは俺を嫌っている。だが俺は、エレーナが好きだ。妻にしたい。婚約を受けるよう、君からも言ってくれないだろうか?』
アリアからの手紙に目を通すと、失意のあまり、椅子の背もたれに倒れて片腕で目元を覆った。力が抜けて手から、手紙がするりと落ちる。
『婚約を受け入れるよう、エレーナの説得を試みました。一応は、成功しました。ですが、おかしな方向にいってしまったこと、お詫び致します。エレーナは貴方様への怒りが相当に強いようです。これ以上は私には無理です。エレーナの気持ちを変えるには、オルランド様の努力が必要かと思われます』
ため息しかでない。わかっている。俺がバカだった。
二年前。
貴族学院に戻った俺は、エレーナに手紙を書いた。エレーナからも手紙がきた。そこには、優秀な家庭教師の指導のもと、勉学と礼儀作法に励んでいることが書かれていた。
俺とエレーナは、手紙のやり取りを続けた。
エレーナの字は美しく、慎ましかった。文字や文章に謙虚な人柄が出ていることに、おかしいとは思った。だが、手紙を通して、彼女を知ることのできる喜びのほうが大きかった。
「おてんば娘だと思っていたが、実は謙虚な性格なのだな。意外だ」
冬休みになったら帰るから、会いたい。
そう、手紙を書いた。エレーナは喜んでくれると思い込んでいた。
だから、届いた手紙に心底驚いた。
『今の私では恥ずかしくて、お会いできません。貴方に見合う、立派な
「俺は会いたくてたまらないのに、エレーナは違うのかよ……」
王太子の婚約者になるということは、未来の王妃になることを意味する。エレーナはそのために必死に努力している。
わかっているが、それでも恋しさが募って、直情的な手紙を綴った。
『完璧を追い求めなくていい。そのままのエレーナで十分に魅力的だ。君の明るい笑顔が好きだ。会いたい。君のことばかり考えて、頭がおかしくなりそうだ』
エレーナと手紙のやり取りをして、三ヶ月。初めて、好きだと書いた。
だが、エレーナは強固な態度を崩さない。
『王太子の婚約者として、完璧な淑女でありたいのです。貴方様と並んで歩いたら、恥をかいてしまうでしょう。胸を張って貴方様と会えるよう、精一杯努力します。今はお会いできません』
寂しいが、エレーナの気持ちがわからないわけではない。会いたい気持ちを、ぐっと我慢した。
だが、冬休みばかりでなく、春休みも会えなかった。
俺は目立たぬよう、古い馬車に乗って、エレーナの屋敷の周辺を走った。
見かけたエレーナは、背筋の伸びた美しい姿勢で散歩をしていた。
物憂げな顔と、痩せている体が心配になったが、勉学に励んでいるのが本当だとわかって安心した。他の男に心変わりをしているのでは、と疑う気持ちがあったからだ。
「手渡ししたかったが、仕方がない」
エレーナの誕生日に俺は、彼女の髪色のように美しい、アメシストのブローチを贈った。
だが、俺の誕生日。彼女からは何も届かなかった。
誕生日であることを知らないのかと思い、誕生日パーティーをしたことを手紙に書いた。
エレーナから手紙が届いたのは、その一ヶ月後。『楽しそうで良かったです』とのつれない返事。
最初の頃は、手紙を送った一週間後には返事が届いたのに、次第に遅くなった。
夏休みも会えず、冬休みも会えない。手紙の返事は忘れた頃に届く。その手紙の内容は、いつも同じ。『立派な淑女になるよう、勉学に励んでいます』
この頃にはすっかり、諦めてしまった。エレーナは、つれない女なのだ。
それでも、他の女性に目を向ける気にはならない。
エレーナとボードゲームをした時間が、あまりにも楽しすぎた。あんなに笑ったのは、後にも先にも初めて。石のように無感動だった俺の心を、エレーナが動かしてくれた。
エレーナが好きだ。会えなくても、誕生日祝いをくれなくても。手紙をくれる間隔が開き、ついには届かなくなっても──。
それでも好きだった。
エレーナが貴族学院に入学したら、毎日顔を見合わせることができると心待ちにしていた。
だが入学してきたエレーナは、笑顔を向けてくれなかった。目が合うと、怒ったようにプイッと顔を背けた。
「なんなんだよ! 俺がなにをしたっていうんだ!!」
エレーナと話し合わなくてはならない。
寮母に、エレーナへの面会を申し込んだ。寮母はエレーナからの返事を伝えた。
「エレーナさんは勉強で忙しくて、お会いできないそうです」
「少しの時間でいい。五分でもいいから会いたいと、伝えてくれ」
「ごめんなさい、とのことです」
完璧な礼儀作法を身につけるまでは会えない。
勉強で忙しいから会えない。
体調が悪いから会えない。
彼女は会えない理由ばかり、並べる。
会えないのではない。彼女は俺に、会いたくないのだ──。
「もういいっ! そんなに俺が嫌いなら、婚約を解消してやる!!」
エレーナを嫌いになれたら楽なのに……。
葛藤していたある日。エレーナの悪い噂を耳にした。その噂は日に日に広まっていき、エレーナの悪行を知らない生徒はいないだろうほどに知れ渡った。
エレーナは、町で男友達と遊んでいるらしい。試験前なのに町に行ったのは、その男友達に会うためだ。エレーナのほうが、その男に夢中になっているらしい。エレーナは権力に興味がなく、王太子妃になるのを嫌がっている。気軽に付き合える男が好きだそうだ。ロダンという、男爵家の三男と図書室にいるのを見た。机の下で手を繋いでいた。エレーナはおとなしそうに見えて、男と遊ぶのが好きなようだ。意地悪な性格で、気に入らない女子を部屋に呼びつけては説教をしているらしい。傲慢で高飛車な女。だが、おしとやかな演技が上手い。オルランド王太子は女を見る目がない。エレーナに騙されていることに気がついていない。
噂など、くだらない。エレーナに嫉妬する連中がありもしないことをでっちあげたに違いない。
だが気になって寮母に訊ねてみると、エレーナは町に頻繁に出かけているとのこと。
さらには、図書室に行ってみると、エレーナはロダンと一緒にいた。
エレーナは髪飾りをつけていない。
入学祝いに、エレーナに黄金色のトパーズの髪飾りを贈った。同封した手紙に、
『髪飾りは校則で許可されている。エレーナは俺の婚約者だと周囲に知らせるために、この髪飾りを毎日つけてほしい」
そう頼んだにもかかわらず、つけているエレーナを一回も見たことがない。
悪い噂は嘘だと信じたいが、彼女を信じ続けることに疲れてしまった。
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