第7話 楽しくて、にがくて、苦しい思い出

 マフィンを食べていたアリアが、肘で私の脇腹を突いた。目配せしてくる。

 アリアが言いたいことはわかっている。


「あの……私の話を聞いています?」

「ん?」


 オルランドの顔は、窓に向いている。その目に映っているのは、青空と白い雲。

 ベレッタの素晴らしさを説明しているというのに、彼は相槌一つ打ってくれない。


「聞いていませんね?」

「ははっ、ごめんごめん。ベレッタに興味がないもので。それよりも、ボードゲームをしよう」

「しません!! 今はベレッタに興味がないかもしれませんが、でもいずれは……」


 話を続けたい私と、従者に持ってこさせたボードゲームを広げるオルランド。

 アリアは、こそっと耳打ちしてきた。


「無理だと思うわ。ベレッタにちっとも興味がないみたい」

「ううっ」


 なんてことだ。オルランドの恋愛スイッチは、まだ入らないらしい。

 私は心の中で(お子ちゃまめ!)と罵り、ベレッタの話をするのを諦めた。

 だからといって、ボードゲームをする気にはなれない。苦い思い出があるのだ。

 二年前の記憶が、昨日のことのように蘇ってくる。



 十四歳の私はボードゲームが大好きで、家族や使用人相手にゲームをしては、勝っていた。私は強い。そのような絶対的自信があった。


 オルランドとの初めてのお茶会は、執務室で開かれた。秋の日差しが気持ち良い日であったにもかかわらず、部屋の中。

 オルランドは書類にサインをしていた。私だけがお茶を飲んでいた。


(お茶会って……お茶があればいいんじゃないよね? おしゃべりを楽しむものなんじゃ……)


 使用人は下がり、執務室には私とオルランドの二人だけ。

 オルランドは窓の前にある机に座って書類仕事をしており、私はソファーに座っている。

 私は横目でチラチラと彼を見ながら、お腹が膨れるぐらいに、紅茶を飲み、お菓子を食べた。

 これ以上、飲めない。食べられない。飽きた。退屈。眠い。この沈黙の時間はなに?

 暇を持て余した私。執務室の棚に置いてあるボードゲームが目に入った。それは、私が得意とする陣地取りゲームだった。

 私の屋敷にあるのと同じボードゲームが彼の部屋にあるのが嬉しくて、私はつい、はしゃいだ。


「ボードゲームをしませんか? 私、強いんです!」

「ふーん。ま、仕事がひと段落したから、付き合ってやるか」


 オルランドは仕方がないといった口調で、私の真向かいに座った。

 私はやる気十分。オルランドは渋々付き合っているといった惰性的な態度。

 それなのにいざ始まったら、オルランドは本気を出してきた。容赦なく私の陣地に攻め込み、占領し、圧倒的勝利をおさめてしまった。


「うそでしょー! 強すぎる。こんな負け方、したことがない!」

「ハハッ! どうだ、俺様の実力は?」

「ふーん! 強いなんて言ってあげないから!」

「そうか? おまえさっき、強すぎるって言わなかったか?」

「あ……。コホン。そうね、あなたは強いと思うわ。でも世の中には、たまたまって言葉があるの。次は絶対に勝つ!!」

「またやんのかよ」


 オルランドのうんざりしたような言い方に、私は我に返った。相手は王太子。友達ではないのだ。


「私ったら、なんてことを……。申し訳ありません! お仕事で忙しいのに、軽はずみなことをしてしまいました。帰ります!」

「いや、かまわない。二回戦をしよう」

「いいえ、そういうわけにはいきません。迷惑でしょうから、帰ります」


 腰を浮かせた私に、オルランドの表情が変わる。ツーンと澄ましていた顔が赤くなり、焦った声で私を引き留める。


「迷惑ではない! その……悪かった。父と口論をして、むしゃくしゃしていた。君はなにも悪くないのに、やつ当たりした」

「そうでしたか。ふふっ、親近感が沸きました。私も父と喧嘩します。おしとやかにしろって、よく怒られます」

「だろうな。そんな感じがする」


 オルランドの口は皮肉的に曲がっているけれど、宝石みたいに綺麗な緑色の目は笑っている。

 口が悪いけれど、本心ではない。この人は悪い人ではない。

 そう、私の直感は告げた。


 私たちは、二回戦を始めた。結果は惨敗。コテンパンにやられた。

 負けん気に火がついた私は、別のボードゲームを手に取った。


「陣地取りゲームって、一番苦手なゲームなんですよね。違うゲームにしましょう」


 ピースを並べるゲーム。反射神経を必要とするゲーム。戦略型ゲーム。役職を上り詰めていくゲーム。心理戦ゲーム。などなど、いくつものボードゲームで対戦した。

 だが、一回も勝てない。オルランドは強かった。


「私って、弱かったの? まさか、家族と使用人たちは手加減をしてくれていたんじゃ……?」

「ははっ! 超おもしれー!!」


 オルランドは腹を抱えて笑い、涙までこぼした。笑いすぎである。

 私のプライドは、ズタズタに引き裂かれた。しかしだからこそ、撤退は考えられない。私は拳を震わせた。


「私が勝つまでやります!!」

「はぁ? そうか、わかったぞ。だから大人たちは、わざと負けてやったのか。おまえって、めんどくさい女だな」

「腹立つー! でも自覚はあります!!」

「ハハッ! 夕食を用意させる。寝室の用意も命じたほうがよさそうだな」

「いいえ、そんなわけにはいきません。父に叱られてしまいます。明日に持ち越しませんか?」


 オルランドは寂しそうに、目を伏せた。


「明日、学生寮に戻らなくてはならない。冬休みまで、帰ってこられない」

「そうですか……。じゃあ、引き分けってことにしませんか?」

「はぁ? なんでだよ!」

「それが穏便な方法かと思いまして」

「却下だ。負けを認めろ」

「ううっ、嫌だ。せめて、一回は勝ちたい」

「譲歩してやろう。おまえが一回勝ったら、引き分けにしてやる」

「やったぁー!!」


 こうして私たちは、夕食後もボードゲームを続けた。

 たった一回でいいのに、勝てない。オルランドは私をちっとも勝たせてくれない。

 夜更けになっても、ゲームは終わらない。

 睡魔が襲ってきて、私はコクリコクリと頭を揺らした。


「負けでいいです」

「諦めるな。次はこのゲームをやるぞ」

「無理。眠い。帰りたい」

「……俺に会えなくなるんだぞ。寂しくはないのか?」

「寂しくないです。友達がたくさんいるので」

「腹の立つ女だな。嘘でも寂しいって言えよ。おまえ、モテないだろう?」

「モテます。笑顔が可愛いって言われる」

「……最悪」


 強烈に眠くて、瞼を開けていられない。ふらつく私の頭を、オルランドは自分の膝の上に乗せた。


「寝ろ。目障りだ」

「帰らなきゃ……」

「……俺のこと、少しは好きになったか?」

「全然」

「ふざけるな! 俺は……」


 怒鳴る声とは裏腹に、私の髪を撫でる手つきは優しい。深い眠りに入るその前に、彼の声が届いた。


「おまえって、いいな……」


 こうして私は婚約者候補から、正式な婚約者となった。


 私たちの関係はこれから始まっていくのだと思った。だって、オルランドは手紙を書くと約束してくれたから。

 けれど、オルランドから手紙が届くことはなかった。痺れを切らして、私から手紙を出しても、返事はこなかった。

 学校の長期休みは戻ってきているだろうに、連絡がなかった。

 離れていた一年間、一度も会うことはなかった。

 私はオルランドのいるユクシル貴族学院に入学し、彼を遠くから眺めては、寂しさを募らせた。

 

 

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