第2話 十四歳の朝

「……お嬢様。エレーナお嬢様。朝ですよ」

「う、うーん……」

「起きてくださいませ。今日は、オルランド王太子の誕生日パーティー。おめかしして、顔を覚えてもらいましょう」

「なにを言っているのよ。顔なんて、とっくに覚えてもらっているわ」


 私は気怠い体を反転させると、枕に顔を埋めた。ラベンダーの香りがスッと鼻に入ってきた。

 私の実家は、リネンにラベンダーの香りをつけていたことを思い出す。


(実家に帰りたい。学生寮って息が詰まる。みんなが私をオルランドの婚約者として扱うんだもの。本当はグータラ娘なのに)


「グータラして生きていきたーい」

「はい、私もです。けれど、生きていくためにはやるべきことはやらないと。エレーナお嬢様はまず、目を開けてください」

「ふふっ、なんだかミアンナみたいなことを言うわね。声もミアンナそっくり」

「はい。ミアンナですから」


 夢にしては生々しい会話のやり取り。

 学生寮に私は、マリーという侍女を連れてきている。ミアンナには家族がいるからだ。子供と引き離すは可哀想なので、独身のマリーを選んだ。

 私は重たい瞼を開けると、のっそりと上半身を起こした。あくびをしながら両腕を伸ばす。


「ふわぁー。今日の予定はなに?」

「オルランド王太子の誕生日パーティーです」


 私は目を瞬かせた。両目を擦り、三度ほどパチパチと瞬きをし、部屋を見回した。


「あれ? 実家の私の部屋なんだけど……。って、うわぁ! ミアンナがいる!!」

「今日は忙しいですよ。婚約者に選ばれるといいですね」


 ダークブラウンの髪を、後頭部できっちりと一つにまとめた侍女。目尻にある小皺と、薄い唇。身長が高い割には、細い体。

 神経質そうな外見をしているが、実はおおらな性格のミアンナがいる。


「え、え、えっ? どういうこと? なんでミアンナがいるの?」

「エレーナお嬢様は寝起きが悪いですから。起こすは、私の役目です」

「そういうことじゃなくて……」


 どうして学生寮にミアンナがいるのかと聞いたつもりだったのだが。しかし部屋を隈なく見るに、私は実家に戻って来ているらしい。


「あ、そうか。階段から落ちて、それで……」


 目覚めた脳に、記憶が鮮明に蘇ってきた。攻撃的なカラスに襲われて、私は階段から落ちたのだ。

 意識を失った私が運ばれた先が、実家というわけだろう。


 ベッドから降りると、足裏に床のひんやりとした冷たさが伝わってきた。

 体に力を入れられるし、背筋を伸ばして立ってもどこも痛くない。思考も働いている。


「怪我をしなかったみたい。頑丈で良かったわ」

 

 素足でペタリペタリと歩いていると、クローゼットの前に置かれた全身鏡が目に入った。

 幼い顔をした、ラベンダー色の髪の少女がこちらを見ている。


「あれ? 子供の頃の私……って、え? えぇーーーっ!!」


 鏡に駆け寄って、木の枠組みを掴む。


「どういうこと⁉︎ ちっちゃくなっている!!」

「そうですか? 十四歳にしては大きいほうだと思いますが」

「十四歳……」


 鏡に映っているのは、丸顔の少女。自然な笑顔を浮かべている。頬にできたえくぼが愛らしい。

 みんなから、


「エレーナの笑顔は太陽のようだ。見ていると幸せな気持ちになるよ」


 そう絶賛された笑顔。

 胸が詰まって、ぶわっと涙があふれた。


(そうだ。私はいつもニコニコと笑っていた。だって、楽しかった。食べるのも遊ぶのもおしゃべりするのも寝るのも、全部が楽しくて、生きているだけで幸せだった)


 けれどオルランドの婚約者に正式に決まって以降、楽しくなくなった。

 王家が寄越した家庭教師のローザは、私に淑女としての素質がないことを嘆いた。


「あなたほど粗野な人を見たことがありません! オルランド様は見誤ったのでしょう。ですが私は王家から派遣されておりますから、意向に沿うしかありません。あなたがどんなに泣こうが厳しく指導しますので、覚悟なさい」


 その宣言通り、ローザは厳しかった。私の言動、時間、友人関係、表情、思考、感情、意識。すべてに口を挟んだ。

 私は自分が変わってしまうことを恐れて、抵抗した。そうすると、鞭で打たれた。泣いて謝ってもローザの気が済むまでそれは続き、私は彼女の従順な人形になった。

 ローザは人前では朗らかで思いやりあふれる女性だったから、家族の誰も、彼女の冷酷さを信じてくれなかった。鞭で打たれるのは嫌だと両親に訴えたら、だったら叱られないようにもっと勉強に励みなさいと、叱咤された。

 次第に笑顔を褒められることがなくなり、気がつけば、笑えなくなっていた。

 いや、正確に言うのなら、笑うことはできた。口角を上げ、その筋肉に従って頬を緩め、目から力を抜けばいいのだから。


 鏡に映る、太陽のような笑顔の少女に、涙が止まらない。私はミアンナを下がらせた。

 一人になった部屋に、嗚咽が響く。


 震える指を伸ばして、鏡に触れる。泣き濡れた少女の、ピンク色に染まっている頬を撫でる。


「時が戻ったんだ……。オルランドに初めて出会った、二年前に……」


 私が十四歳ということは、オルランドは十六歳。

 彼はユクシル貴族学院の寮に入っているが、誕生日ということで城に帰ってきている。

 

「誕生日パーティーに行きたくないけれど、王命だったはず。家の体面を汚すわけにはいかないわよね。だったら、ベレッタが婚約者になるよう、動けばいいのよね。よしっ!!」


 未来に向かって進むはずの時間が、逆行した。信じられないが、私の外見が十四歳に戻っているのは事実。

 自由への渇望を、神様が叶えてくださったのだろう。

 今度は未来を間違えない。自由を勝ち取ってみせる!

 

 

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