婚約破棄されるようなので、惚れさせてから盛大に捨てようと思います

遊井そわ香

第一章 時間が戻った世界で、私たちはやり直す

第1話 婚約が見直されるらしい

 雨上がりの夕日が生徒会室を黄金色に染めあげ、オルランドに神々しさを与えている。

 宗教画の画家が神のイメージモデルを探しているとしたら、私はオルランドを推薦する。彼は威厳と気品と聡明さ、そして次期国王としてのカリスマ性を備えている。

 オルランドの容姿に見とれていると、形の良い彼の唇がゆっくりと動いた。


「婚約関係の見直しをすべきではないかと、考えている」

「……ん? あっ、えっと、ごめんなさい。今、なんて?」

「婚約関係の見直しだ。場合によっては、婚約破棄。君の悪行には耐えられない」


 私は意味が飲み込めずに、口をポカンと半開きにしたまま、彼を見つめた。そして、悪行とはなにかを考える。


(疲れていたからって、風邪だと嘘をついて勉強を休んだのがバレたのかしら? それともベレッタの誘いに乗って、町で買い食いをしたのがダメだった? でもあれはしょうがないわ。揚げパンって、熱々を食べるのが美味しいんですもの。でも別に、悪行というほどではないのでは?)


 反応を示さない私に、オルランドはイラついたのだろう。テーブルに置いていた右手の人差し指を動かして、トントンという忙しない音をたてた。


「心当たりがないのか? それとも、しらばっくれているのか? どちらにしても、君には失望した。おとなしくて従順な女のふりをして、裏では遊んでいたとは」

「あぁ……」


(遊びって……やっぱり揚げパン? それしか心当たりがないわ。だって、勉強で忙しくて遊ぶ余裕なんてないもの。たまの息抜きぐらい許してほしいわ)


 オルランドは西日を背にして座っており、私はテーブルを挟んだ向かい側に立っている。

 将来の結婚が約束されている仲といった親しげな空気は微塵もない。まるで彼は裁判官で、私は罪人のよう。

 彼を騙し続けたきたことを、ついに、白状するときが来たのだ。


(家庭教師の指導に従って、おとなしくて従順な女性を演じてきたけれど、そうではない。本当の私は、おしゃべり女で気が強い。いつまでも隠し通せるものではないとわかっていたわ。言いたいことを我慢するのに疲れたから、本音をぶちまけちゃおうかしら? ……オルランドを好きじゃない。王太子妃になんてなりたくない。私は自由に生きたい。婚約破棄なんて上等だわ。それこそ私の望み。今すぐにお別れをして、違う道を歩きたい)


 私はすべてを手放す覚悟を決めると、抑揚も感情もない声音で告白した。


「私は、おとなしくて従順な女ではありません。演じていました。申し訳ありません」


 オルランドの、一直線にスッと上がっている眉がピクリと痙攣し、エメラルド色の瞳にじわじわと嫌悪感が広がっていく。


「婚約破棄を受け入れます。オルランド様の未来に幸多いよう、祈っております。では」

「なっ⁉︎」


 冷静沈着なはずのオルランドが、あるまじき行為に及んだ。テーブルに拳を叩きつけ、声を荒げたのだ。


「婚約破棄ではない。婚約関係を見直すと言っている!! それでいいのか⁉︎ 言い訳するなら今だぞ! 聞いてやる!」

「ご心配なく。私は私の道を行きますので」

「ふざけるなっ! 俺に捨てられたら、嫁ぎ先などないぞ! 修道女にでもなるつもりか!」


 私は子供が大好き。王太子妃になれば孤児院運営に関わることができると考えていたが、修道女として子供と触れ合えるのなら本望。実にいい提案だ。


「はい、修道女になります。両親の許可を取り次第、修道院に向かいます。今までお世話になりました」

「なっ⁉︎ 待てっ!!」


 生徒会室から出た私を、オルランドが追ってくる。階段を三段ほど降りたところで、彼に腕を掴まれた。


「どうして君はいつもそうなんだ! いつもいつも、そうやって……」


 激昂していた声が静まり、語尾が震えて消えた。それが泣いているように聞こえたものだから、私は驚いて振り返った。

 オルランドは泣いてはいなかった。けれど、力なく私の腕を離すと、沈痛な表情を浮かべた。


「君のことがわからない。君は……俺のことをどう思っている?」


 厳しい王妃教育は、私に根を張っている。所作や言動だけでなく、心にも深く。

 家庭教師のローザは、鞭で私を打つのが好きだった。人に見えない、そして人に見せるのを躊躇する場所。腰やお尻を打たれた。

 ローザは私に刷り込ませた。──王妃は慈愛の象徴。国母。愛を与える存在。オルランド王太子との結婚は義務的なものによる契約なのだから、愛を求めてはならない、と。


 私は呼吸を整えると、姿勢を正した。


「……素晴らしい方だと思っています」

「そういうことが聞きたいんじゃない。君はどこまでも、俺を突き放すのだな。……そんなに、ロダンが好きか?」


 どうしてロダンの名前が出てくるのだろう? 彼は同級生。勉強が苦手だから、図書室で教えているにすぎない。

 胸にモヤモヤが広がる。図書室で勉強する関係を疑っているのなら、そっちはなんなのよ、と生来の勝気な性格が顔を覗かせる。


(そういうあなたは、ベレッタが好きなのでしょう? 私の親友に手を出すなんて最低だわ)


 私がなにも知らないと思ったら大間違いだ。ベレッタから、「オルランド様に言い寄られて困っている」との相談を受けている。 

 それに、私は見た。

 学園の庭を二人きりで歩く、オルランドとベレッタを。一度だけでなく、何度も何度も。


 私は黙り込み、オルランドは表情が抜け落ちた顔で、冷たく笑った。


「修道院にもロダンのところにも行かせない。残念だったな。誰にも君を渡さない」


 それって、どういう意味? そう問うより早く、オルランドの背後に黒い影が飛んだ。

 カラスだ。

 カラスはけたたましく鳴きながら、急降下してきた。鋭いくちばしで私たちを突こうと襲ってくる。

 オルランドは片手で目を守りながら、もう片方でカラスを追い払おうとし、私は悲鳴をあげながら、思わず後ずさった。そこが階段であるにもかかわらず。

 アッと思ったときには、遅かった。

 風景がゆっくりと流れていく。思考はクリアで、(私は階段から落ちていくのだ。下手したら死んでしまうかも)と状況を冷静に見極めていた。

 オルランドの双眸が見開かれ、私へと向かって腕が伸ばされた。その手を取ろうとしたが、届かなかった。

 私は宙を舞い、落ちていく。


 もしここで死んでしまったら、後悔するだろう。聞きたかった。


 ──ねぇ、オルランド。どうして、「誰にも君を渡さない」なんて言ったの? それってまるで、私を好きであるかのように聞こえたよ。

  

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