第38話 効率の星

 アンヘルは離脱していた自分の身体に戻ると同時に襲いかかるのは強い疲労感。長い時間、身体を抜けて作業していたときには付き物ではあるが、こればかりは何度やっても慣れなかった。


 身体を抜けて作業している間は、疲労を感じることはほぼないのだが、それは己の身体に戻ったときに一気に押し寄せてくる。身体を抜けて作業していたときに発生した疲れを踏み倒すことはできないのだ。


 しかも、普段は徐々に蓄積していくはずのものが一気に来るので、かなり厳しいものがある。一気に来るので、身体にかかる負担は通常よりもかなり大きいだろう。身体から抜けている間は疲労をほぼ感じないので、普段だったらできないような肉体的に限界を超える負荷をかけても稼働できてしまうこともかなり厄介である。最悪の場合、身体に戻った瞬間の反動で過労死することも考えられるだろう。


 そうならないようにするには、身体を抜けての作業で危険な域に達する作業量を見極めておく必要がある。これまで必要な作業をしつつその限界を確かめた結果、ある程度の余裕を含めて最大で連続六時間を超えないあたりが妥当であると判断した。まあ、身体を抜けている間も身体は残っているし、であれば当然生理的なものが起こるので、長時間抜けていると色々大変なことになってしまうので、ずっと抜けたままでいることはできないのだが。さすがにこれで恥を感じないほど社会性は終わってない。


「便利ではあるが、この辺は扱いに困るところではあるな」


 色々と試してみた結果、入り込める機械というのは情報端末の類だけでなく、電気的に接続されているものであれば可能であると判明したのも大きい。情報的な改ざんだけでなく、物理的な変更も可能だ。さすがに質量保存の法則を完全無視した物理的な改ざんは不可能であるが。それでも大抵のことは可能だ。というか、できないことのほうが少ないくらいである。


 これを利用して身体を抜けている間も己の身体を守れるようにできるだけの環境を整えた。身近にあるものを改ざんして殺傷力の高い罠へと作り変え、かつそれを無理矢理つなげることで、身体を抜けている間でも即時に切り替えられるようにしておいた。こちらが任意で起動しない限り、普段これらはなにか害することはないが、ひとたび起動すればここは一気に地獄へと変貌する。この家はいい値段だったし、設備を整えるのにもそれなりにかかったが、自分の身体を守ることのほうが大事だ。


 なにより、ソラネからは自分のことは自分で守れるほうがいいと言われている。だが、自分で戦うようにしろとは言われていない。であれば、自分を守れれば自分が戦う必要もないのだ。人にはそれぞれ適正というものがある。適性のないことを無理してやったところで、向いてるヤツよりもできるようになるはずもない。そういうのは、他の連中に任せておいたほうが効率的である。


 それに、自分が直接戦わざるを得ない状況というのは、ほぼ詰みに近い状況であろう。ならないように心がけていくよりほかにない。


「まあ、あのバケモンみたいなお嬢様がそうなるなんてとこは想像もできないけどな」


 現実というのはなにが起こってもおかしくないものである。他とは違うやり方ができるほうが色々と安全だ。手段というのはできる限り多く持っているに越したことはない。


 色々と試していって、いいやり方を見つけていけばいいだろう。自分たちはこうなってからまだ日が浅いのだ。自分の力を完全に把握しているわけではない。どこまでができてどこからが不可能なのかはしっかりと把握しておく必要があるだろう。情報収集がてらにそれを少しでも把握できるようにしておいたほうがいい。


 とはいっても、先ほどまで二時間ほどこもっていたので、やめておくのが無難であろう。別段、無理をしてまで進めなければならない作業もない。


 する必要のない無理など無駄でしかないのだ。そもそもとして根本的な部分で怠け者である。自分のような人間は根本的にそういう気質だし、そういう風なほうが向いているのだ。結果さえ出していればそれでいい。


 さて、今度は別件をしなければ。ソラネから言われている、学校に潜んでいる忌み者の調査だ。こちらからはそれが誰なのかわかっているが、だからと言ってそいつを即座に殺しにいくというわけにはいかない。


 法治社会であるこの都市で殺しというのは言うまでもなく重大な犯罪である。ごく限られた場合を除いて許されることではない。なにより、そいつが人間の身体を乗っ取った忌み者であることを普通の人間に証明することは不可能なのだ。自分たちがわかっていることが他人も理解、共感してくれることなどあり得ない。


 このあたりに関しても、今後はどうにかする必要があるだろう。自分たちが息をするように行っている判別を他の者たちにもできるようになればいいのだが――現状としてどういう理屈によってそれを理解しているのかわかっていない以上、それを再現することは難しい。


 これはそう簡単に解決できない問題である。今回の件でこれをどうにかすることは不可能だろう。であれば、相当の根回しと理由付けができればいいのだが――


 それも簡単なことではない。思っている以上に他人を想定通りに動かすのは難しいものである。


 難しかったとしても、これをなんとかしなければこの先に進むことはできないというのもまた事実。


 こちらにはこちらにできることをやるだけだ。こんなことになってしまった以上、どうにかやっていくしかない。なにより、あのイカレお嬢様を敵に回すなんて真っ平ごめんだし。あれを敵に回すくらいなら、無様に腹でも晒して命乞いをするほうがましだ。その程度の恥でそれを避けられるのなら安いものだ。


 しばらく休憩したところでメッセージが届く。送り主は雑務を頼んでいたブルースだ。頼んでいたことを済ませてくれたらしい。


 彼がまとめてくれたものに目を通す。素人だと言っていたが、その割にはなかなかいい仕事をする。これならばもうちょっと難しいことを頼んでもいいかもしれない。


 まあ、今日のところはいいだろう。二時間潜って作業をしていたので、かなり疲れている。やるのだとしても、しばらく休憩を取ってからでもいいだろう。ちゃんとした結果を出すのであれば、休みも大事だ。


 情報収集に関してはわざわざ自分で行わなくても自動化されている。有用かどうか選別するのまでは完全な自動化は不可能であるが、それでもだいぶかなりマシだ。やはり、自分でやらなくていいことは自動化するに限る。


 そこまで考えて、そろそろ寝るかと思ったところで、再びメッセージが届いた。送ってきたのはソラネである。


 それに書かれていたのは、うちの学校の生徒が二十二区で流行っている新型の薬物に関わっているかもしれないという情報と、それに関して探ってほしいという依頼であった。


 どうやら、入り込んでいる忌み者というのはなかなか悪知恵が働くらしい。こういうヤツらはえてして厄介なものだ。思っているよりも面倒な相手かもしれないなと思いながら、アンヘルはベッドに横になった。

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