第34話 異常で異質なお嬢様

「どうもこんにちは、マービンくん。わたしがジャックくんの同級生兼雇い主のソラネ・スターゲートです」


 目の前に現れた相手の所作を見ただけで、自分とは明らかに生きる世界が違う人種だとはっきりと思わされる相手であった。


 先輩であるジャックからお前の話を聞きてえってのがいるんだけどと言われ、先輩の言う相手なら信頼できるかと思って来てみたら、まさかそれがスターゲート家の令嬢であるというのはあまりにも理外にすぎる。


「緊張しなくてもいいわよマービンくん。今日はわたしがお願いをしたほうだもの。礼儀正しくするのはこちらのほうだから」


 そうは言うものの、二十二区という警察もろくに機能していないような場所で生まれ育った自分と、六盟主の一角であるスターゲート家の令嬢、どちらが上であるかなど誰の目から見ても明らかだ。


「それじゃあ、話が終わったら呼んでくれ。それまで俺は適当に時間を潰してるから」


 そう言ってジャックは立ち上がった。


「え……あの、マジっすか?」


「マジだ。初対面の、よりにもよってアレと話をするのはお前でも大変かもしれんが、あいつの意向だ。大人しく諦めてくれ。俺にはどうすることもできん」


 少しだけ申し訳なさそうな顔をしてそう返してくるジャックである。


「まあでも、アレだ。いきなり頭にかぶりついてきたりはしないはずだから。たぶん」


「あの……滅茶苦茶不安になるようなこと言わないでくださいよ」


「そうよジャック。わたしをなんだと思ってるかしら。そんな頭にかぶりつくなんて野蛮な真似するわけないじゃない。人間を食うなら丸のみ一択よ」


「え」


「え」


「冗談よ。少なくともいまのところは生きている人間を食べたいという欲求も趣味もないわ。だって人間なんてわざわざ食べる必要なんてないし。特に理由もなく、うまいかどうかもわからないものを食うより、おいしいとわかっているものを食べたほうが満足感が高いでしょう?」


 どうやら冗談だったらしいが、あまりにも真顔で言うものだからまったく冗談とは思えないのが性質が悪い。なんなんだこいつは。本当に金持ちのお嬢様か? 異常というか、異質というか――


 なんというか、ギャング連中の中にたまにいる、普段は飄々としているくせにいきなりわけのわからないことをやりだす絶対に関わってはいけない類と似たようなものを感じる。


 振る舞いも穏やかだし、こちらに対して明確な敵意を向けているわけでもない。


 それにもかかわらず、自分の本能はいまだかつて経験したことのないほど強く警鐘を鳴らしていた。


 なんというか、やばいとしか言いようのない存在である。せっかく金持ちと接触できたというのに、何故こんなことになっているのだろう? こんな機会、次に訪れるかどうかもわからないというのに。


「そういうことだから、頑張ってくれ。なにかあったら遠慮なく呼べよ。力になれるかはわからんが」


 そう言い残し、部屋から出ていくジャック。静かに閉めたはずなのに、その音がやけに重苦しく聞こえた。普通の木製の扉のはずなのに、冷たくて重い鉄扉を閉めたかのよう。いまの自分は、間違いなくこのよくわからない異質さに飲み込まれている。


 はっきりとそう自覚できるのに、それを振り払うことはできなかった。一度足を踏み入れたら二度と出ることができないような暗黒の中に足を踏み入れてしまったかのようだ。気を抜いたら、一瞬でそれに飲み込まれて跡形もなくつぶれてしまうのは間違いない。


 いままでやばいなと思う相手と話したことは何度かあったが、まさかそのすべてを超えるうえに今後も長らく超えそうにない相手が六盟主のお嬢様というのだから驚きである。


「楽しくゆっくりお茶しながらお話――と言いたいところだけど、今日は他にも予定があるから単刀直入に言うわね。まずひとつめ。二十二区で流行っているという新型の薬物に関してどこまで知ってる?」


 まわりにうっすらと広がって、自分の身体にまとわりついていた異質さが急に鋭くなる。その変化は、お前をいつでも殺せるという意思表示に他ならない。口調はどこまでも穏やかなのに、その外側にはこれだけの鋭さを向けられるというのは呼吸が荒くなるほどの静かな恐怖を感じる。下手を打てば――というより、向こうを害するようなことを言ったら、どうなるかなど容易に想像できた。


「俺は、薬は使うつもりも売るつもりもないんでたいしたことは知らないんですが――値段がべらぼうに安くて危険性が少ないって触れ込みってのは知ってます。使ってる連中の話は聞いたことがありますが、めちゃくちゃトんだりはできないけど、依存性も中毒性もいままでのと比べるとかなり弱いから、気軽に楽しめていいって」


 こちらの言葉を聞いたお嬢様は、周囲ににじませている雰囲気は一切変化させることなく、考えるようにする。


「じゃあ、次のことを訊くわね。それを売ってる連中についてはなにか知ってる?」


「詳しいことはよく知らねえっす。とりあえず、二十二区で幅を利かせてるギャング連中が積極的にかんでるってわけではないってのは間違いなさそうなんですけど」


 オーロラはいままでの薬物の相場からは考えられないほど安い。住民のほとんどが貧困層の二十二区の人間が気軽に楽しめるくらいだ。薬を作るのだって、金がかかる。いままでの薬物の生成かかっていた費用を考えれば、オーロラの値段はどうやっても商売が成り立たない。


「ギャング連中があんな風に互いの縄張りを荒らすようなことを積極的にするとは思えないので、他から流れてきた連中じゃないかって言われていますけど」


 そこに関してはよくわからない。最近話題の匿名流動型と呼ばれる集団が関わっているというのもよく聞くが、実際のところ、その全貌はよくわかっていない。


「それで、どうしてあなたはうちの学校の生徒がそれに関わってるって知ったの?」


「二十二区では、そこらで薬の売買なんてしょっちゅうだし、そういうところには情報が集まるんで、仕事上足を運んだりするんですが、そこにいた一人が妙に浮いてたんです。このへんにいるはずのない育ちのよさそうのが薬を使って遊んでいるわけでもなくそこにいて、ちょっと気になって調べてみたら、先輩が通ってるところの生徒だってわかって」


「へえ。ところで、その浮いてるヤツがうちの学校の生徒だってわかったのは何故?」


「これでも俺、顔はそれなりに広いんで、結構知り合いが多いんですよ。そういう伝手を使ったり、そいつがそこに顔を出したときにつけてみたりして、それでわかったって感じっす」


「それはなかなか興味深いわ。そういうことって簡単なように思えて素人にすぐできるってものじゃないし。探偵でもやってるの?」


「探偵っていうか、情報屋っす。何年か前に母親が男作って蒸発しちゃって、当時の俺にできそうなのがそれくらいだったんで。尾行のやり方とか伝手の作り方とか独学ですけど、いまはなんとか死なない程度に生きていけるくらいにはやっていけてます」


「なかなか大変な人生を送っているのね。わたしが言うようなことではないとは思うけど。それでさらに訊くわ。あなたがこの話をジャックにした理由ね。そのわたしが通ってる学校の生徒が、ギャング連中と顔を合わせたってのは本当?」


「……はい。それを知ったのは偶然だったんですけど、オーロラを売ってるのがギャング連中は自分たちのシマを荒らしてるんで、この情報を売ってやろうと思ってどこかしらの組織と接触しようと思ったら――」


「そのとき、たまたまそれを見つけてしまったと」


「そうっす。見つかるとやばいって思って即その場からは離れちゃったんで、ろくに話は聞いてないんですけど、すみません」


「いや、すぐに逃げたのは正解だったと思うわ。それまで情報屋をやってた直感なのかしらね。即座にそういう判断はなかなかできないものだから」


 そう言ってお嬢様は柔らかい笑みを見せる。


「もしあなたがよかったらの話なんだけど、情報屋としてわたしに協力してみない? 無論報酬はちゃんと払うわよ。どう?」


 お嬢様の予想外の言葉に、マービンは言葉を失うことしかできなかった。

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