第33話 目指すべきは
自分にできることは一体なにがあるのだろう? 時おり、そういう考えが頭をよぎるのだ。
確かに、いまの自分がこれまでの自分とは違うという実感は間違いなくある。だが、それで自分になにができるのだろう? 変わったからと言っても、自分の根本的な部分――精神性などといったものが変わったわけではないのだ。力や知識を得ても、それを用いる自分という部分が変化していなければたいして意味はない。
自分にはジャックのような度胸も、アンヘルのような優れた技術を持っているわけでもない。よくも悪くも、自分はこの学校によくいるような平均的な学生でしかないのだ。貧乏ではなく、学費の高い私立に通うことができる程度に裕福であるが、主たるソラネやアンヘルのような、生まれながらの富裕層にして上流階級ではない存在。
勉強は人よりもできるとは思うが、それ以外取り立てて目を見張るような部分があるわけでもない。
無論、自分に導きをくれたソラネにどこまでもついていく覚悟はある。しかし、それ以外に特筆したなにかを持っているわけではないというのもまた事実なのだ。
なにかできることがある、役割があるというのはとてつもなく大きい。よくそこにいるだけでいいなんていう意見もあるが、大抵の人間はなんの役割もできることもなく、ただそこにいるだけという現実には耐えられないのだ。
放課後、授業も終わりそれぞれの目的を持って動き出した生徒たちを横目に眺めながらそんなことをもんもんと考えるブルース。
本当に情けない。きっと、ジャックならこのようなことをうじうじと考えたりせずに、動いたりするのだろう。
どうして、彼女は特筆すべき部分のない自分のようなのを味方に引き入れたのだろう? この学校であれば、自分なんかよりも優れた人間などいくらでもいたはずなのに。
なにか自分にでもできることを見つけなければと思うが、その指標となるものがどうしても見つからなかった。自分のような別段優れた部分のない人間であっても、見つけられそうなもの。要するにわかりやすい目標が必要なのだ。
いつまでも一人で悩んでいても仕方ない気がする。だが、誰に相談するべきだろう? 前にジャックには似たようなことを話したことがあるが――
そんなことを考えて、少しだけ悩んだのち、通話をかけたのは――
『なんの用だ? お前から連絡してくるなんて珍しいな』
ダメもとで連絡をしてみたのはアンヘルであった。
「なんというか、僕はなにをしたのかいいのかって思ってさ」
『……別にいいんだけどさ、なんでそれをあたしに言ってんだ?』
特段不満そうでもない様子でそう問いかけてくるアンヘル。
「ジャックくんには似たようなことを前に話したし、セレンさんにはなんというか話すようなことじゃないなって思って」
こちらがそう返すと『あーね』と答えつつも『わかるけどさぁ』というのも言いたげに聞こえる声であった。
『悪いけど、あたしにそんなん話しても解決できるとは思えねえぞ』
「話したくらいで解決できるとは思ってないよ。それで解決できることならたぶん悩んでないと思うし。解決できなくても誰かに話せばなんとなくなんとかなったような感じがするでしょ」
『まあ、いいけどさ。どういう理由であれ、互いに命預けるような関係になっちまったんだからさ。話くらいは聞いてやる。けど、気の利いたことは期待するなよ。あたしにそういうのを期待されても困る』
「そこまで図太いことを言えるほどの間柄でもないでしょ僕ら」
こちらがそう返すと、アンヘルは『確かにそうだな』と軽い調子で笑い声をあげた。
『つーかあんた、意外とそういうこと言えるんだな。もっとまじめでお堅いヤツかと思ってたけど』
「あんまりそういう意識はなかったけど、僕ってそういう風に思われてる?」
『さあ、あたしがそう思ってるだけだから他は知らん。別に他所からどう思われていようがどうでもいいんじゃね? 表に出さないならどういう風に考えていようがなにか損するわけでもねえしな。他人にどう思われてるかなんて必要以上に考えたってただ労力の無駄でしかねえし』
「そういうきみはなんというか思った通りだよね。たぶん、そういうところがソラネさんが気に入ってるって感じがする」
うるせーと少しだけ恥ずかしそうな声で返答するアンヘルである。能力の高さに反して、意外とそういうことを言われた経験がなかったりするのかもしれなかった。
『で、話ってのはなんだよ。なんかあんだろ。くだらねえ話なんてしてないでさっさとそれを話せよ』
端末の向こう側で口をとがらせているのが想像できる声でアンヘルはそう返してくる。
「さっきも言ったけど、いまの僕にできることってあるのかなって思ってさ」
そういうと、少しだけ考えるような声を出して――
『別にそれも深く考える必要なんてないんじゃねーの?』
と、特段変わる様子もなくそう返答してくる。
『あのお嬢様がただの人助けをするようなのとは思えねえしな。なにかあって助けたのだとしても、あいつは自分に益がまったくなかったら助けないと思うぜ。あと、そこで助けたとしても、機会はやったんだからあとはそっちでなんとかしなとしか言わんだろうしな。あんたを味方に引き入れたのだって、それなりの理由があってのことだろ。あいつほど、善意の人助けからほど遠いところにいる存在はねえと思うぜ』
確かにその通りだ。主たる彼女は慈悲深いが、同時にどこまでも冷徹でもある。そういう徹底した存在ほど、無償の人助けからは遠いところにいるものだ。父と同期の弁護士にもそういったどこまでも徹底した人間いるのでよくわかる。その判断を容赦なくできる存在というのはどこまでも強い。
『しいてなんか言うなら、無理にできないことをやろうとする必要もないんじゃね? 人間ってのはできることはできるし、できないことはそうそうできるようになったりしねえんだからな。あたしだって、授業を真面目に聞くとか全然できねえし。あと、できねえことを背伸びしてやろうとすると大抵うまくいかねえしな。普通ならできないことを背伸びしてやろうとして失敗しても大抵はなんとかなるが、あたしたちの場合はそうとも言えねえし。そういうことをやるなら成功や効率と天秤にかけてやったほうがいいだろ』
「気の利いたことなんて言えないなんて言ってたけど、すごく参考になること言うね。助かったよ。なんとかなるような気がしてきた」
気のせいかもしれないけどね、なんて付け加えると『かもなー』とアンヘルは同意する。
『なにより、いまのあたしたちはあのお嬢様のおかげでよくわからない力が使えるようになったんだし、それをどう運用するのがいいのかを考えればなんとなく道は見えそうだしな。その時点で他のヤツらよりもマシだろ。よくいるだろ。たいして能力もないくせに自信と自己評価だけは馬鹿みたいに高いイキってるだけのアホなヤツ。あんたの力がどこまでのもんかはよくわかってねえけど、あたしからすると有効に使えそうに思えるし』
「まあ、なんとかやってみるよ。参考になった。ありがとう」
『ところでさ、あんたがよかったらなんだけど、特にやることないんなら手伝ってくれない? ジャックはあたしがやってることができそうにないし、セレンはやることあるみたいだしな。近場で頼めそうなのがあんたしかいねえんだよ』
「手伝うのはいいけどさ、きみについていけるほど専門的な技術も知識もないよ」
『一般的なことを知っていれば大丈夫だよ。コツやらなんやらはあたしが教えられるし。いまはアレコレあのお嬢様から頼まれたりしてとにかく手が欲しいんだ』
「そういうなら、手伝うよ。僕も手持ち無沙汰になっているよりはいいし」
『それなら話が早い。それじゃあ、家についたらまた連絡してくれ。自分用の端末は持ってるよな?』
「うん。わかった。それじゃあよろしく」
そう言って通話を切り、端末をしまって――
「それじゃあ、やれるだけやってみるか」
たいした話はしなかったけれど、漠然と自分のまわりを覆っていた霧が少しだけ晴れたような気がした。
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