第22話 最悪の日
「……本当に最悪だ」
自分の席に座りながらアンヘルは、いまの自分を取り巻く状況に頭を抱えることしかできなかった。
表では適当に息をひそめつつ、いい感じに小遣い稼ぎをしてかったるい学校生活を適当に過ごそうとしていたのに、とんでもないヤツに目をつけられることになるとは。
同じ学校に通う同年代の娘とは思えない、この学校における最大級の怪物じみた存在――スターゲート家の令嬢のことを思い出した。自分からなにがあっても関わることはないだろうと思っていた相手である。
関わることを拒否すればいいと思っていたが、あんな怪物じみた存在を目の前にしてそれができるものなどそれだけでかなりの傑物と言えるだろう。なにより、こちらは自分の弱みを握られている状況だ。そんな状況でアレを拒否するなど、神に中指を立てるに等しい。
結局のところ、自分もあいつから見れば社会を形作る馬鹿の一人でしかなかったのだ。あいつに関わることがなければ、自分は賢い側にいると思えたというのに。
だが、文句を言ったところでそうなってしまった以上、その現実を受け入れるより他にない。どうにかして、自分ができる限り損をしない選択をしていく以外できることはなかったが――
「しかも、なにをしやがったんだあいつ……」
スターゲート家の令嬢と遭遇したあの日、あいつに額を触れられた瞬間、流れ込んできた誰のものかも判別できない記憶のようなもの。
この都市へ現在進行形で襲いかかっている世界の真実。人類の脅威たる忌み者が都市に人知れず入り込み、ゆっくりと確実に社会を蝕んでいる――らしい。
そんなことあり得るはずもないと信じたいところであるが、アレに直接触れてもなお嘘であると言えるほどの強さは自分にはなかった。というか、あれを強く否定できるのは、完全な狂人であろう。
三日ほど高熱が出て寝込み、いまだに身体に熱が残っている気がする。いまは頭が回るようになったものの、そうなった結果それがどうしようもなく真実であるということを思わざるを得なかった。
このまま逃げてしまおうかと思ったが、ただの人間ならともかく、あの怪物じみた令嬢から逃げられるとも思えない。それどころか、どんなに遠くにまで行っても、逃げた先に何食わぬ顔で現れるような気もする。
どうあがいても詰みだ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。自分は適当に楽して生きられればそれでよかったのに。
「いつだって現実ってのは嫌なもんだな」
「確かにそうね。それでもやめられないのが現実ってものよ。諦めることね」
「……あんた、いつからそこに」
いつの間にか、自分の席の前にスターゲート家の令嬢の姿があった。
「ついさっき。随分と深刻そうな顔をして考えごとをしているようだから邪魔したらいけないかと思って」
「……お気遣いどーも」
悩みがあるとしたらその原因はいま目の前にいるヤツに他ならないのだが、それを言ったところでどうにかなるはずもない。
「で、しばらく考える時間はあったはずだけど、答えを聞かせてほしいところね」
それは予想通りである。そうでなければわざわざこっちまで出向くことなどあるはずもない。もしかしたらそのままうやむやになってくれるかもしれないとわずかな希望を抱いていたが、それも泡と消えてしまったようだ。
答えるの嫌だなぁ。このまま逃げてぇと思うが、こちらとヤツの関係は対等ではない。こちらは凶暴な猛獣に狙われている小動物である。そんな相手と対等な話し合いなど成立するはずもなかった。
「あら、そんな嫌そうな顔することないじゃない。別に悪いようにするつもりはないわ。まあ、死ぬかもしれないけれど。でも、それだけの待遇は用意するつもりよ」
「わかってるよ。あんたの子分になったヤツを見りゃあな」
先にヤツの配下になったジャックへの待遇を考えれば、自分にもかなりのものを与えてくれることは確かである。
それでも、死ぬかもしれないってのは嫌だよなぁ。しかも、脅しじゃないってのがなによりも性質が悪い。だって死んだらどれだけいい待遇でも関係ねえし。死後まで福利厚生を用意してくれるとは思えなかった。
「そのあたりを調べておくのはさすがね。慎重なのはいいことだわ。二人ともそういう慎重さはなかったようだから」
それはそうだろう。ジャックは家庭環境を考えれば選択の余地はなかったとしか言えないし、もうひとりのブルースはこいつに助けられている。慎重に調べるなんてしようともしなかっただろう。
「で、どうなの? 答えを聞かせてちょうだい。はっきりとしてほしいわ。駄目なら他を探さないといけないし」
「やるよ」
即答したこちらを見て、スターゲート家の令嬢は意外そうな顔を見せた。
「前置きからして、断るかもしれないと思っていたけれど、即答するなんて意外と度胸あるじゃない」
「違えよ。断る度胸も意地もねえからあんたの誘いに乗るんだ」
「面白い答えをするじゃない。結構なことをやっておいて断る度胸も意地もないなんて言えるの、そうはいないわよ」
「度胸も意地もねえから、いままでうまくやってこれただけだ。悪いことやって金を稼ぐ輩なんてのはそんなもんだよ」
そう答えると、興味なさそうに「ふーん」と返してくるスターゲート家の令嬢。
「まあ、あなたの思想は別にどうでもいいし、これからの話をしましょうか。なにか必要なものとかある? 大抵のものは用意してあげるけれど」
「いまのところは特にねえな。いままで稼いだ金で設備は整ってるし。どういうことをするのかもよくわかってねえしな。必要になったら言われなくても頼むよ」
方向性がわかってない状況でなにかを頼んでも無駄になりかねない。どういうことをしていくのかある程度わかってきたところで、存分に利用させてもらおう。
「で、あたしはなにをすりゃいいんだ? 見ての通り、あたしは運動とかそういうのは得意じゃねえんだけど」
「基本的にあなたにはその能力を駆使してわたしたちの補助をしてもらおうと思っているわ。自分から前線に出て戦ってもらおうとは思ってないけれど、後方にいるあなたが直接狙われることもあるかもしれないから、最低限自分の身は守れるくらいにはなってほしいわね」
都市の防壁が持つわずかな脆弱性を突き、危険も承知で入り込んでくる忌み者が敵であることを考えると、後方にいるからと言って安全とは言えないのは間違いない。敵が後方で支援している自分のことを直接狙ってくるということは充分考えられるだろう。
「この間、あなたにわたしが使っている力と同じものに接続できるようになっているはずだから、ある程度特訓すれば普通よりは動けるようになってると思うわ。自分の身の安全にかかわることだから、ちゃんとやっておくのがおすすめね」
いまのところ、自分の身体になにか変化があったような感覚はなかったが、熱を出して復帰してから、身体はだるくないのになにか熱っぽい感じがあったのはそのせいか。もしかしたらそのうちなにかしら変化があるかもしれない。ある程度備えておくことにしよう。嫌なことをやらずにいたせいで死んだら意味ないし。
「そういえば、あなたがやっていたアレはどうしたの?」
「カジノのことか? アレなら売ったよ。あんたと話したときにはもう退き時かと思っていたところだったし。なにか問題だったか?」
時間をかければ高値で売ることもできたが、さっさと処分したかったところなので、売ったことによる利益はまったくないどころか損しているが、いままで充分すぎる利益は稼げているので特に問題はなかった。
「いいや別に。やってるなら利用しようかと思ったけれど、ないならないで困るわけでもないし」
悪いことやって金を稼ぐのなら同じことをやらないのと危ない気配がしたらさっさと手を引くのが大事だものね、などというこいつ本当にいいところの令嬢かと思うような発言をする。
「というわけでよろしくねアンヘル。ところであなた暇な日はある? わたしが集めた面子でささやかな顔合わせでもしようと思っているのだけど」
「別にいいよいつでも。いま手を出してたのは大体整理したし。なんかやるなら、できれば近場にしてほしいね。外出るの面倒だし」
「わかったわ。あとの二人は――まあ、男どもだから別にたいしたことは言わないでしょう。楽しみにしておくといいわ」
そう言い残して去っていくスターゲート家の令嬢。この世で最も静かな嵐のような存在である。本当になんなんだ。アレが人間ってのはどう考えても調整がおかしいだろう。ゲームだったらバグが疑われる修正案件である。
どちらにしても、引きずり込まれてしまった以上、自分にできることをやっていくしかない。なんとかなると信じよう。アレは怪物の類であるが、同時に信用できる存在であるのは間違いないのだから。
なにかあっても、明日の自分がなんとかしてくれると信じよう。所詮人間なんてそんなものである。
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