第16話 二人目の仲間

「新しい家はどうかしら?」


 自分を変えることになったあの日以降、復調して引っ越しが済んだところでジャックはスターゲート家のお嬢様に呼び出された。


 スターゲート家のお嬢様は相変わらずの様子で、いいとこのお嬢様とは思えない雰囲気を身に纏っている。


「二人とも喜んでくれてるよ。俺からすりゃ本当にいいのかって感じだが」


 あの後に届けられた契約書には、あの家を無償で使用させてもらうだけでなく、ジャックの学費すらも肩代わりしてくれることまで書かれていた。ある程度免除されているとはいえ、高い私立校の学費の負担がなくなるのはとてつもなくありがたいのだが――


「駄目なことをやるわけないじゃない。なに言ってるのあなた。なにより、命をかけてもらうのだから、それくらい当然じゃなくて?」


 素知らぬ顔で返してくるスターゲート家のお嬢様。金持ちというのはみんなこんな感じである――というわけではあるまい。このお嬢様がかなり異質の存在であることは間違いないだろう。


「状況が落ち着いたらあなたには住み込みで働いてもらいたいけれど、いまはまだいいわ。あそこなら屋敷から近いからすぐに呼び出せるし、そもそもわたしたち、同じ学校のご学友だものね」


 こんな得体のしれない人の姿をした怪物みたいなのと同じ学校で同じ学年というのは冗談のような話である。二十二区ではおかしなヤツも珍しくなかったが、そんなのとは比べ物にならない存在だ。どうやったらこのような存在が出来上がるのか。本当にわからないものだ。


「なにか要望があったら遠慮なく言いなさい。そのぶん、あなたには働いてもらうことになるけれど。期待してるわ」


 正直なところ、このお嬢様が自分にどこまで期待しているのかはわからない。だが、もう引き返せないところまで足を踏み込んでしまった以上、やるしかなかった。持たざるものでしかなかった自分がなにかをつかむためには、これしかできることはなかったのだ。


 やれることをやれるだけやってみよう。得体のしれない怪物じみたお嬢様であるが、同時になによりも信頼できる存在だ。こっちが不義理や契約違反をしない限り、裏切ることは絶対にない。そう断言できるほど、あのお嬢様は誠実だ。


 こちらとしても、母や妹のこともある。裏切るつもりなどまったくなかった。というか、わざわざ裏切る利点がそもそもない。それだけの条件を提示されているのだ。


「で、俺はなにをすりゃいい? というか、都市ん中に忌み者が入り込んでるってのは本当なのか?」


 百年前に建造されたいう防壁によって忌み者の脅威が取り除かれたというのは、この都市で暮らしている者であれば誰だって知っている常識である。


「ええ。あの日以降、あなたも見ているんじゃないかしら。他の人たちとは明らかに違うことが認識できる者を。アレ、全部ここに侵入してきた忌み者になんらかの形で繋がってる人間よ」


「……マジかよ。ってことは、ここにもいるってことか」


「ええ。とりあえずわたしたちに身の回りから処理をしましょうってことで、当面の目的はそれね。そのためにあなたにはやってもらいたいことがあるんだけど――」


「やるさ。ここまで世話になってんだから。それを反故にするほど、落ちぶれちゃいねえよ」


 迷うことなくジャックは即答する。その覚悟はとっくにできていた。選択肢の余地がない自分にとって、これ以上にない機会であることは間違いなかったから。


「威勢がよくて好ましいわね。とりあえず、あなたはこの前わたしが与えた力の使うための鍛錬をしなさい。欠かさず毎日ね」


「……そんなんでいいのか?」


「なに言ってるの。鍛錬は大事よ。勉強して選択肢を増やすのと同じで、いまのあなたにある力を十全に使いこなせるようになるのは確実に変わるわ。あなたには選べない不自由さというのは充分理解していると思ったけれど」


「いや、そうじゃねえよ。あんたのことだからなんか滅茶苦茶なことを言われるかと思っただけだ。意外と常識人だなあんた」


「なに言ってるの。わたしほど常識に造詣の深い人間はいないわ」


 たぶん、そういうことを平気で言えるヤツは常識とか関係ないだろ、と思ったものの口には出さなかった。思ったことをなんでも口に出すのは得策ではない。黙っていたほうがいいことなんて往々にあるのだ。


「なにかあったら遠慮なく相談してくれていいわ。そういうことをするのもわたしの仕事だし。あと、アベルとは話した?」


「ああ。あの変なのか。三日くらい前に話した。どこからともなく声が聞こえてくるってのは慣れない感覚だが、別に嫌じゃねえし、適当にやっていくよ」


「それならいいわ。ま、話しかけてきたら適当に相手をしてやりなさい。雑な扱いをしてもいいヤツだから」


 力の大元になっている存在になんて言い草だと思ったが、なぜか共感できた。自分としてもなぜそう思ったのかはよくわからないが。


「それで相談なのだけれど、あなた以外にあと二人ほど同じように使えそうなのを見つけようと思っているところなの。なにかいい感じのヤツ知らない?」


「いい感じって随分と雑だな。もうちょっと具体的にしてくれないと困るんだが」


「それもそうね。希望としては裏でなにかやってそうなヤツとか、誰かもめ事起こしてるヤツとか、いじめられていたりするのもいいわね。そういうヤツでよさそうなのいない?」


「よりにもよってなんでそんなのなんだよ。まあ、あんたの方針なら俺は否定するつもりはないが」


 そんなのいただろうかとジャックは考える。


 高等部からの進学組であるジャックにはこの学校において知り合いは多くない。初等部、中等部から上がってきたものたちで大体固まっている。はっきり言ってしまえば、この学校において高等部からの進学組は異分子なのだ。それ以前にジャックは人嫌いのため、高等部からの進学組とですらろくな付き合いはないのだが。


 少し考えたところで――


「俺の組に、一人だけそういうのがいるな。まあ、あんたのお眼鏡にかなうかどうかはわからんが」


 ジャックは、自分と同じ組の生徒のことを思い出した。


「いいかどうかはこっちで判断するから、とりあえず言ってみなさい」


「ブルース・ウェイグラッドってヤツだ。興味ないから詳しくは知らんが、同じ組の一部の連中からいじめられているらしい」


「いいじゃない。それじゃあセレン、さっそくお願いできるかしら」


 お嬢様がそう言うと、隣に立っていた背の高い女――セレンが済ました顔で「了解いたしました」と言ったのち溶けるようにその姿が消えた。


「彼女にそのブルースくんとやらについて調べてもらうわ。それでよさそうならあなたと同じように味方に引き入れる。あなたとしてはそれについてなにか意見ある?」


「ねえよ。よっぽどのことでもない限り、俺があんたの意向を否定しても仕方ねえしな。というかそれより、あんたの従者、どこに行ったんだ?」


「あの娘、自分の気配というか存在を限りなく他人に察知しづらくする能力を持っているの。たぶん、あなたもなにかしら使えるようになると思うわ。どういうものになるかはわからないけれど」


「それはまあ頼もしいし、なかなか厄介だな。俺のこともあいつが調べたのか」


「そうね。その様子だとまったく気づけなかったようだけど」


「別にいいさ。他人に知られて困るようなことをやってねえし。で、あんたの従者が次の候補者を見つけるまで俺はその力の使い方をつかむ特訓をしてりゃあいいのか?」


「ええ。もし、どこか場所に困るようならすぐ近くの屋敷に来なさい。わたしも放課後に毎日やってるからちょうどいいわ。あと、ひとつ言っておくけど――」


「あんたからもらったこの力は学校では極力使うな、だろ」


「理解が早くて助かるわ。この学校にも忌み者の手が入り込んでいることを忘れないで。しっかりと動き出せる準備が整うまではいつも通りしておくように」


「わかってるよお嬢様。そもそも俺は友達ってのとは無縁でね。べらべら喋るような相手はいねえんだ」


 自慢じゃねえけどなとジャックは付け足した。


「というわけでよろしくねジャック。長い付き合いになるかどうかはわからないけれど、わたしの期待に応えてくれると嬉しいわ」


 そう言って気品のある笑みを見せたお嬢様は、その気品さの奥に相変わらず底知れない異質さを感じさせた。

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