第10話 自分にできることを

 ――その日、私は真実を知った。


 忌み者の脅威が去ったはずと都市に忍び来る驚異のことを、それとソラネお嬢様が戦おうとしていることを。


 ソラネお嬢様が額に触れた瞬間、流れ込んできたのは脳を焼き切るかのような情報の奔流。それは、これまで生きてきた自分を容易く飲み込み、塗りつぶすかのようなものであった。


 だが、それでも耐えなければならない。それができなければ、自分に多くのものを与えてくれたソラネお嬢様に真の意味で仕えることはできないと思ったから――


 なによりも怖いのは、ソラネお嬢様が与えくれるものをまったく返すことができず、それでも良いと甘えてしまうことだ。それだけは耐えられない。あってはならぬことだと思う。


 ――でも、私にできることはあるのだろうか?


 恐ろしい存在に立ち向かおうとするソラネお嬢様のために、できることならなんだってする覚悟はある。しかし、自分にできることがなかったらと思うと――


『そんな思いつめる必要はねえよ。あれでもあいつはお前のことを評価してるぞ。お前が考えている以上にな。できることからやっていきゃあいい。人間なんてそんなもんだし、そんなもんでいいんだよ』


 突如響いてきたのは、不思議な声だった。男性とも女性ともつかず、年齢も判然としない。


「……あなたは?」

『お前とソラネに接続された存在の大元だ。抑止なんて言われてる。アベルとでも呼べ。これから、お前とも話をする機会はあるだろう。なにか疑問があれば遠慮なく訊け。答えられるものであれば答えてやる』


「このところ、お嬢様が時々話していた誰かというのは、もしかしてあなたですか?」


『ああ』


 道理で姿が見えないわけだ。しかし、その存在がはっきりと感じられるのはとても不思議な感覚だ。その存在が、自分やソラネお嬢様に接続されたという抑止なのだろう。


「こういうのはアレなんですが――お嬢様のお相手、大変じゃありませんでした?」


『……否定はできんな』


 聞こえてくる声から、その苦労がはっきりと感じられた。


 ソラネお嬢様は誠実だし寛大であるが、面白がって振り回しだすと手がつけられない。そのあたりは、現当主である彼女の祖父とそっくりではある。


「なんというか……お疲れ様です」


『悪気はないのはわかるが、そういう風に気を遣うのはやめてくれ』


 とてつもなく強大な存在のはずなのに、どことなく感じられる情けなさ。親近感が湧く人らしさである。偉そうな喋り方をしているが、実はそういうのに慣れていないのかもしれない。


「わかりましたアベル様。これからよろしくよろしくお願いいたします」


『様なんていらねえ――って思うが、お前にはそういうのが性に合ってるんだろうな。無理して呼び方を強要するのもよくねえし、まあ好きに呼べ。俺も敬われて悪い気はしないし』


「ところでアベル様、こうして話しておられますが、私はいまどうなっているのでしょう?」


 裏庭でソラネお嬢様とお話ししてから、どうなったのかまったく覚えていない。とてつもない情報と力が流れ込んできて、耐えきれずに意識が途切れたのだろう。


 なにより、周囲がどう考えてもおかしな空間だった。夢の中というか、心象世界というか。


『寝てるだけだから安心しろ。しばらく本調子ではないかもしれんが、二日三日すれば復帰するはずだ』


「お嬢様もそんな風に?」


『……あいつは何故かピンピンしてたな。長い付き合いのお前に教えてほしいんだけど、実際のところアイツなんなの? 色々おかしくない?』


「そりゃ、私のご主人様ですし。それくらい当然では?」


『……お前もお前でなかなかだよな』


 この全肯定従者め、とかいう謎の罵倒される。確かにその通りなので否定できないし、否定する意味もなかったのでなにも言い返さなかった。


『これから色々なことがあると思うが、よろしく頼む』



「大丈夫かしら」


 目を覚ますと同時に視界に入ったのは、こちらをのぞき込んでいたソラネお嬢様だ。


 まわりを見る。どうやら、自分の部屋にまで運ばれて、寝かされていたらしい。


「申し訳ありません。ご迷惑をおかけして」


「気にする必要はないわ。そうなることはわかっていたもの。強い決意を見せてくれたのだから、それくらいやるのは当然でしょう」


 身体を動かそうとしたが、鉛のように重く、思うように動かせなかった。ひどい風邪を引いた時のようなだるさが身体を支配している。これがアベル様が言っていた力に接続されたことによる反動なのだろうか? 身体の中でなにかがせめぎ合っているような感覚だ。


「元気になるまでちゃんと休むのよ。続きは元気になってからでも遅くないでしょうし」


 それじゃあね、とソラネお嬢様は立ち上がった。


「なにかあったら呼びなさい。文句を言われたら、そいつのことをしばき回してやるから」


 そう言い残してソラネお嬢様は部屋を出ていった。


 部屋に一人となり、天井を見ながら、これからどうするべきかを考える。


 忌み者が都市の防壁をすり抜けて侵入し、人間をたぶらかしてその身体を乗っ取っている。最近の治安の悪さはどこか異常さを感じていた。それが、忌み者によるものであったとするなら――


 都市の安全が根底から脅かされていることになる。それが暴発することになったら、どうなるか、想像もつかない。


 自分にできることがあるのかは不明だ。それでも、ソラネお嬢様と歩むことを決断した以上、できることをやっていくしかないのだろう。


 いまは、ソラネお嬢様が言ったように、身体を回復させることだ。幸い、この間の件で、しばらく休みをもらっている。夢の中でアベルが言っていた通りなら、その間に復帰できるだろう。


 見慣れた天井を眺めながら、しっかりと身体を休めることにした。

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