第8話 鍛錬開始
色々あっても死なない限り明日はやってくる。明日がやってくる以上、普段やらなければならないアレコレもやる必要があるのだ。いまのわたしは学生である以上、学校に行ってお勉強をするのはその最たるものである。
結局のところ、よほどのことがない限り、もしかしたらよほどのことがあったとしても、自分にとってとてつもないなにかは他人には影響がまったくなかったりするなんてことは珍しいことではない。
だから、わたしのメイドが死んでもおかしくなかった事件に巻き込まれても、わたしがそれをぶち殺したのだとしても、なにも知らぬその他大勢には関係しないのだ。所詮そんなものだし、そんなものでいい。関係ない他人に必要以上に関わったところで、ただの徒労でしかないのだから。それがわからぬ馬鹿にかかわるべきではない。敵よりも恐れるべきは無能な味方であると、現当主のおじいさまはことあるごとに言っている。
というわけでいつも通り学校での懲役を済ませて帰宅したあと、わたしは適当に動きやすい服に着替えて、屋敷の裏にある庭へと足を運んできていた。
やっているのはちょっとした特訓だ。とはいっても、走り込みや筋力を鍛えるというようなごく一般的なものではない。
というか、いまのわたしに筋力を鍛える、体力をつけるなどという一般的に考えられるようなものは意味をなさないだろう。まあ、精神を鍛えるという意味ではなんらかの効果があるかもしれないが、そんなことで精神を鍛えてどうにかなるなら、精神科があれほど人にあふれ、一か月も予約待ちになったりするはずもない。身体を動かして鍛えられる精神などたかが知れている。時間をかけてやってもその効果がたかが知れている鍛錬なんて、時間の無駄なのだ。
なにしろ、いまのわたしは歩いて十分くらいかかるような場所にまで跳躍したり、人間を圧搾機にかけたかのようにすりつぶしたり、拳でぶん殴って上半身を破裂させたりするような存在である。そんなことができるのに、一般的な意味での身体を鍛えるなどやったところで時間を浪費するだけだ。金が命よりも重いのであれば、時間は金や命よりもはるかに重い。時間だけは、誰にだって嫌になるほど平等に与えられているものだから――
要するに鍛錬をするのであれば、いまの自分に合った効果的な方法とやり方でするべきなのだ。
いまのわたしがするべき鍛錬は、この圧倒的すぎる力の使い方を学ぶことである。今後、昨日のようにただ殺せばいいという状況ばかりではないだろう。そのとき、殺す以外の選択肢ができなかったら、色々と都合が悪い。
わたしが敬愛するおじいさまもよく、できることは多いに越したことはない、とよく言っている。できることが多いというのは、可能性の拡大なのだ。なんの意味もなく、可能性を狭めてしまうというのはただの枷でしかない。
いまのわたしにある力の流れを感じつつ、時おり身体をゆっくりと動かして、身体に満ちているそれをどのように調整し、どのように使えばいいのかをつかむ。身体的に激しいものではないが、不思議と充実感があった。そうすれば、この力を使っても殴っても殺さずに済ますことも可能であるはずだ。
これから味方を増やしていくのであれば、手荒なことも必要になってくるのは間違いない。人間というのは必ずしも自分に協力的なわけではなく、悪意を持っていることもままあることだ。
そうなったとき、殺す以外の選択ができないというのはとてつもなく始末が悪い。まさかこんなところでおじいさまの教えが役に立つとは。人生ってのはなにが必要になるかわからんものだね。
これから、この鍛錬は日課にしておくとしよう。特に身体の使い方というのは、しっかりと身につくまでそれなりに時間がかかるものだ。ここなら、多少力を振るっても被害はそれほど出ないだろうし。
『お前……自分から特訓なんてするようなヤツだったんだな』
「当り前じゃない。力づくで暴れているだけでいいわけじゃないのだから、それくらいやるわよ。わざわざ可能性を狭める必要性はないもの」
身体を動かしながら、アベルの言葉に返答する。身体を動かしながら、アベルと会話をするのにも慣れてきた。人間というのは慣れる生き物であるなんてよく言われるが、まさしくその通りである。人間の慣れる力というのは、想像以上にすさまじい。大抵のことは慣れればなんとかなる。
「大体つかめてきた気がするわ。ドゥルってやってバーンって感じでポポポーンね」
『なんだそれは。適当過ぎないか? もっと言語化しろよ』
「なに言ってるの。手加減なんていい感じに殺さないようにできればそれでいいのよ。誰かに教えるわけではないし。少なくともいまはまだ。誰かに教える必要が出てきたらわたしだってある程度ちゃんとするわ」
本当かぁ? などとふざけた口を叩くアベル。身体もない癖によくそんな口が叩けるものだ。
『ていうか、お前本当になんなの? 実は人生三週目とかだったりしない?』
「なに言ってるの。どこにでもいる普通の女子高生よ」
『お前みたいなのがどこにでもいたら、それは世界の終わりな気がする』
他愛もない話をしつつ、身体に満ちる力の流れを意識しつつ、身体に染みついている護身術の型を行い、それを何回か繰り返したところで――
「お前が運動とは珍しいな」
いつの間にか、おじいさまの姿があった。
「おじいさま……どうしましたか? お仕事中では?」
「久々に帰ってきたら、窓から孫の珍しい姿が見えたものでな。ちょっと抜け出してきた。しばらく俺がいなかったところでどうにかなるわけでもない」
スターゲート家の現当主であるおじいさまと顔を合わせる機会はほとんどない。というか、今日屋敷にいたことすらもいま知ったほどだ。それくらい普段から忙しくしているお人である。きっとちょっと抜け出してきたなんて軽い調子で言っているが、まわりはちょっとした騒ぎになっているだろう。
厳格でありつつも、お茶目で気のいい人を惹きつける魅力がある。この都市でいくつも産業に関わるスターゲート家の当主に相応しいひとだ。
最近はそろそろ俺も隠居してえなぁ、なんて言っているものの、いまだにいつ寝てるのかも疑問になるくらい精力的に動き回っているし、実年齢よりも十以上は若く見えるし、そんな様子はまったくないおじいさまである。
「最近物騒なので、少しくらい身体の感覚を取り戻しておこうかと思いまして」
敬愛するおじいさまであっても、本当のことを言うわけにはいくまい。仮にこちらの言葉になにか裏があるとわかっても、わざわざそれを聞いてくるほど無粋でもないのだ。
「いい心がけだ。やっぱ俺の跡取りはお前にするか?」
「なに言ってるんですか。嫌ですよ、そんなの。わたしは困らない程度に適当に生きるのが夢なので」
「はっはっは。そういうこと言われると跡取りにしたくなっちまうなあ。たぶん、お前向いてると思うぞ。俺以上にな。俺に対していまだにそういうこと平気で言ってくるのはお前くらいだし」
それがどこまで本気かはわからないが、おじいさまならやりかねないと思えてくるので油断ならない。
「まさか。そんなことあるわけないじゃないですか。買い被り過ぎですよ」
金よりも名誉よりも、適当に楽なほうがいい。必要以上のものを望んだところで、ろくなことにはならないのだ。
面倒な跡取りなんてやりたいヤツに任せておけばいい。そんなのは腐るほどいるのだし。
「ま、元気なことでなによりだ。たまに見かけたら話し相手にでもなってくれ。俺もかわいい孫と話をしたいお年頃なんだ」
そろそろ戻らねえと、うるさそうだからまたな。と言って手を振って離れていくおじいさま。
相変わらず元気なようでなによりである。わたしの知る限りでは誰よりも死にそうにないお人であるが、そんなひとでも突然死んだりするのが人間というものだ。おじいさまだって例外ではないだろう。たぶん。
『あれがお前のじいさんか? なんというかアレだ。血のつながりを感じる』
「どういう意味かしら。返答によってはぶっ飛ばすわよ」
アベルを痛めつける方法もなにか考えておくほうがいいかもしれないなんて思いながら、わたしは再び鍛錬へと戻った。
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