第6話 初戦を終えて
セレンを抱えながら夜空をぶっちぎって、屋敷までたどり着いたわたしたちは他の者たちに見られないようにして部屋で着替えを取って身体を流した。
浴びた血は時間をかけて入念に洗い流したが、ちゃんと落とせたのかどうかはよくわからない。さすがに血の匂いをそのまま漂わせているのは社会的にまずい気がする。今後は返り血を極力浴びないようにするべきだろう。いまの段階では必要以上に目立つことをするべきではないと思うし。
「そういえばあなたの制服を駄目にしてしまったわね。助けるためとはいえ、悪いことをしてしまったわ。弁償の費用はこっちで持つから気にしないで」
セレンの髪を拭きながらそう言うと、セレンは申し訳なさそうな声で「すみません。なにからなにまでやっていただいて」と返してくる。
「なに言ってるのよ。あなたはスターゲート家の使用人であり、なにより、わたしのメイドなのだから、身内を守るのも主人の仕事。普段から世話になっているし。まあ、その見返りというわけではないけれど」
セレンの色素の薄い髪を拭い終わり、今度は梳かしながらわたしはそう告げる。
「それと、明日からは学校を休んでおきなさい。あんなことに巻き込まれたのだから、何日か休んでも文句は言われないと思うわ。病院にも行っておきなさい。スターゲート家で領収書を切って構わないから」
助けるためだったとはいえ、人間を四人過激な方法でぶち殺したところを見せてしまったのだ。あんなものを見ないで済むのなら、それに越したことはない。だが、それはできなかったことだ。過ぎ去ったことをどうこうしたところで、いまの現実が変わることはない。これからどうするかを考えたほうが建設的だ。
「本当に身体は大丈夫? 変なものを見てしまったせいで気持ち悪くなったりしてない? 少しでもおかしなところがあったらすぐに言うこと。黙って我慢したら承知しないわよ」
「本当に大丈夫です。あの四人に、なにかされる前にお嬢様に助けていただきましたから」
それからセレンの髪を梳かしながら無言の時間が続く。
長い付き合いゆえに、お互い沈黙する時間というのはそれほど珍しくないが、あれだけのことがあったせいか、妙な雰囲気に支配されている。
「……ねえ、あなたはわたしがやったことになにも言わないの?」
これは、彼女の主人たるわたしから切り出すべきだろう。それが主人として誠意ある対応であると判断した。
「はい。少し驚きましたけど、お嬢様が私を助けていただいたことは間違いないですし、あそこで助けていただかなければ、どうなってかわかりませんから。命の恩人であるご主人様になにか言うことなんて、感謝だけです。あそこでなにをしたかなんて些末なことでしかありません。なにがあったとしても、私はお嬢様のことを裏切るつもりはありませんので。なんの理由もなく、お嬢様があのようなことをするはずありませんから」
「ホント、信頼してくれているようで嬉しいわ」
「なに言ってるんですか。お嬢様が素晴らしく最高だからそうできるのです。今度はお嬢様の髪を梳かしますので、座ってください」
座っていたセレンは立ち上がった。
「お願いするわ」
わたしとしても、ここまで好意を向けられるのは悪い気はしないなと思いながら先ほどまでセレンが腰かけていた椅子に腰を下ろす。椅子に残っている彼女の熱が心地いい。
セレンは手馴れた手つきでわたしの髪を梳かしていく。
「……もしよければでいいのですが、お嬢様にはなにかあったのですか? さすがに、アレは、そのう……」
さすがに人間の身体能力で、人間を圧搾機にかけたみたくすりつぶしたり、上半身を破裂させたり、街中から屋敷まで跳躍などできるはずもない。そう思うのは当然のことだろう。あの場でわたしがやったことはあまりにも人間離れしすぎていた。
「つい最近にね。わたしとしてもなんでそうなったのかはよくわからないけれど、そういうことらしいわ。どうせ他にたいしてやることもないし、不愉快だから全力でやるつもりだけれど」
「あの、それなら――」
「待って。あなたがなにを言うつもりかわかるけれど、今日のところはここで止めておきなさい。それを聞いたら、もう引き返すことはできないわ。だから、最低でも一日はじっくり考えてから答えなさい。それでも、あなたがそれを選ぶというのなら、わたしも否定するつもりはないけれど」
答えようとしたセレンを遮って、わたしは言う。
わたしに関わるということは、今日のように命の危険に襲われることも多々あるだろう。それを一切考えさせずに即答させるのは、あまりにも誠意を欠いている。人生を変えかねない重要な問題を判断するときはちゃんと考えなければならないのだ。
「……わかりました。どうするか、じっくり考えてから、そうするようにいたします」
まあ、彼女のことだ。一日どころか何日猶予を設けたところで答えは変わらないだろう。であっても、自分で選ばせるというのは大事なことだ。それが形式的なものに過ぎなかったとしても。なにがどうであれ、人間というのは結局自分のことは自分で決めなければならない。
「もう大丈夫よ。今日はすぐに休みなさい。しばらく休むことは他にも伝えておくから。それじゃあね」
わたしは立ち上がり、部屋を出る。ひとりで歩くには広すぎる廊下を進んで自分の部屋へと戻ったところで――
「あの娘がわたしについてくるって言ったらどうすればいいのかしら。確かに有用な味方が必要だと言ったけれど、危険な目を合わせるのは気が引けるわね。最低限、あの娘にも自分の守れる力くらい与えられればいいけれど――なにかいい案はない?」
わたしの中にいるアベルへと問いかける。
『簡単だ。お前の力をあの女に分け与えればいい。そうすれば、自分の身を守るどころか、大抵の個体に遅れをとることはなくなるはずだ』
「そんなこともできるのね。もうひとつ訊くけど、それをやるとなにかわたしやあの娘になにか悪影響があったりする?」
『お前にはなにも影響はない。あの娘に、俺の力に接続して使用する権利を与えるだけだからな。どこまで使えるようになるかは個人によるが。無制限のお前とは違って、その権利はかなり制限されているが、それでも大抵の忌み者に対抗できるだけ力は得られる。力を得たときに、何日か熱を出したり寝込んだりする可能性はあるが、それさえ乗り越えれば、あとはなにも問題はない』
「じゃ、あの娘がわたしについてくると言ったら、それをやりましょう。あの娘を味方に引き入れるのは想定外だったけれど、それはそれで都合がいいわ。変なのを引き当ててしまうよりはいいし」
『あの女、お前のためだったらお前を殺したりしそうだしな。そういうとてつもない強度で信頼できるヤツってのが身近にいるってのは重要だ』
「ま、あの娘がわたしについてくるのなら、それなりの扱いをしましょう。かなり危険なこともやらざるを得ないでしょうし」
覚悟しておきなさい。あなたが選ぼうとしているのは修羅の道よ。覚悟をしておくことね。
『なにをするつもりかは知らんが、あんまりいじめるなよ。お前以外はお前と同じようにできるわけじゃあないからな』
「わかってるわ。でも、鍛錬だってギリギリまで追いつめてこそ効果があるんだから、きっちりやらないとね。さて、どういうことをやろうかしら」
わたしがそう言うと、アベルは『がんばれよ』と小さく漏らしたのであった。
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