第61話 声にならなかった告白

三途の川のほとりには、今日も静かな霧が立ち込めていた。その中には、伝えるべき言葉を飲み込んでしまった者の哀しみが漂っていた。少女は、今日訪れる魂が、生前に伝えられなかった思いを抱えた者であることを感じ取った。その未告の思いが彼を縛りつけ、この地に導いたのだろう。


「今日やってくる亡者は、言葉にできなかった思いを抱えた者だ。」


脱衣婆の静かな声が霧の中に響いた。言葉――それは人と人とを繋ぐものだが、時には口にする勇気が出せず、そのまま喉に引っかかることもある。その言葉が伝えられなかったことで、後悔と未練が生まれ、魂を重く縛る鎖となる。


霧の中から現れたのは、痩せた若い男性だった。彼の顔には疲れと切なさが滲み、その目には何か伝えられなかった思いが宿っているようだった。彼は、生前に伝えられなかった言葉が重荷となり、魂をこの地に留めていたのだろう。


「彼は、生前に愛する人への告白を伝えることができませんでした。その未告の思いが、彼の魂をここに留めています。」


脱衣婆の説明に、少女は彼の表情をじっと見つめた。彼が抱える未練と後悔の重さが、その魂を深く縛りつけていることが伝わってきた。


「あなたは、どんな思いを伝えられなかったのですか?」


少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、しかしその言葉はまっすぐに男性の心に届くように響いていた。男性はしばらく何も答えず、ただ震えるように立ち尽くしていたが、やがてかすれた声で話し始めた。


「私は……彼女が好きだった……でも、臆病だった私は、ずっとその思いを胸の中に閉じ込めたまま……彼女に伝えることができなかった……そして、彼女は別の人と結婚してしまった……もう、二度と伝えることはできない……」


彼の言葉には、深い後悔と哀しみが込められていた。彼は、生前に愛する人に思いを伝える勇気を持てず、その未告の思いが未練となって彼を縛りつけていたのだ。


「あなたが抱えていたのは、愛する人への思いを伝えられなかった後悔と、その未練による孤独だったのですね。」


少女はさらに問いかけた。彼がその思いにどれほど囚われ、何を感じてきたのかを理解するために、慎重に言葉を選んだ。


「そうだ……私は彼女の幸せを願うこともできず、ただ彼女を遠くから見つめているだけだった……自分の思いを伝える勇気があれば、何かが変わっていたかもしれない……でも、今となってはもう遅い……」


彼の声は震えており、その言葉には深い孤独と無力感が感じられた。彼は、自分の臆病さを悔い、その思いを伝えられなかった自分を責め続けていたのだ。


「伝えられなかった思いも、あなたの心の中に生き続けています。その思いを胸に抱き、彼女の幸せを願うことで、その愛は形を変えて永遠に続くでしょう。愛は伝えることで育まれるだけでなく、思い続けることで昇華されるものでもあります。」


少女は彼に向かって静かに語りかけた。彼がその後悔を昇華し、心の中で愛を形にすることで、魂の救いを見出せるようにと、優しく言葉を紡いだ。


「でも……私は何も伝えられなかった……そのせいで、彼女の記憶の中には、私は存在していない……」


彼の声は弱々しく、その言葉には深い無力感と哀しみが込められていた。彼は、伝えられなかったことが、自分の愛を無意味にしてしまったと思い込んでいたのだ。


「あなたの思いは、伝えられなかったとしても、あなたの中に生き続けています。そして、その愛を未来に繋げることで、魂は安らぎを得るでしょう。愛が形を変え、あなたの中で輝き続ける限り、それは消えることのない真実なのです。」


少女は彼に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼が未告の思いを胸に抱き、それを昇華させて新たな希望に繋げられるようにとの祈りが込められていた。


「そうか……私の愛は、たとえ彼女に届かなかったとしても、私の中に残り続けるのかもしれない……そして、それを未来に繋げることで、彼女への思いを形にできるのかもしれない……」


彼の言葉には、ほんのわずかながらも希望が感じられた。彼は、伝えられなかった愛を未来への力とする方法を見つけようとしていた。


「あなたの愛は、未来を照らす光となります。その光を胸に抱き、愛を未来へ繋げることで、魂は救われるでしょう。」


少女は彼に対して力強く語りかけた。彼がその後悔を超え、未告の思いを未来に繋げる力を得られるようにと、心を込めて言葉を紡いだ。


しばらくの間、彼は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。


「私は……その道を選びたい……彼女への思いを胸に抱き、それを未来へ繋げたい……」


彼の言葉に、少女は微笑んだ。彼が未告の思いを未来への希望に変える道を選んだことに、少女は安堵した。


「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」


脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼の姿を包み込んだ。彼の表情は次第に穏やかになり、その愛を胸に抱いたその顔には、ようやく安らぎが訪れた。


「ありがとう……」


彼の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼の姿は光の中に溶け込んでいった。


「今日の裁きから、何を学びましたか?」


脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。


「伝えられなかった思いも、心の中で生き続けます。その愛を未来に繋げることで、魂は救われるのだと学びました。」


脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。


霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。

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