第53話 家族との葛藤

三途の川のほとりは、今日も霧が濃く立ち込めていたが、その中にはどこか重く沈んだ感情が漂っていた。少女は、今日訪れる魂が、生前に家族と深い葛藤を抱えていたことを感じ取っていた。その葛藤が未解決のまま残り、彼の魂をこの地に引き止めているのだろう。


「今日やってくる亡者は、家族との葛藤に囚われた者だ。」


脱衣婆の静かな声が霧の中に響いた。家族――それは最も近い存在でありながら、時に互いの理解が難しく、痛みをもたらすこともある。血縁で結ばれているがゆえに、逃れることもできない縛りが、魂に重くのしかかるのだ。


霧の中から現れたのは、中年の男性だった。彼の顔には深い疲れが刻まれていたが、その奥には未解決の感情がくすぶっているのが見て取れた。彼は、生前に家族と何らかの争いを抱えていたようで、それが彼の心に深い影を落としていた。


「彼は、生前に家族との関係に悩み、葛藤し続けました。その痛みと後悔が彼の魂をここに留めています。」


脱衣婆の説明に、少女は彼の表情をじっと見つめた。彼が抱える葛藤と未練の重さが、その魂を深く縛りつけ、今もなお家族との関係に囚われ続けていることが伝わってきた。


「あなたは、どんな葛藤を抱えてここに来たのですか?」


少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、しかしその言葉はまっすぐに男性の心に届くように響いていた。男性はしばらく何も答えず、ただ遠くを見つめていたが、やがてため息混じりに話し始めた。


「私は……父とずっと対立していた……彼は私のことを理解してくれず、いつも自分の価値観を押しつけてきた……私もそんな父に反発し、いつも言い争っていた……最後に別れた時も、怒りの言葉を交わしてしまった……それが心に引っかかっているんだ……」


彼の言葉には、深い後悔と無力感が込められていた。彼は、生前に家族との関係に悩み、解決の糸口を見つけられないまま別れてしまったことを悔いていたのだ。


「あなたが抱えていたのは、家族との深い対立と、別れる際に解決できなかった後悔だったのですね。」


少女はさらに問いかけた。彼がその葛藤にどのように苦しみ、何を感じてきたのかを理解するために、慎重に言葉を選んだ。


「そうだ……私は父にもっと理解してほしかった……けれど、彼も彼なりの生き方や考え方を貫いていて、私の気持ちには耳を貸してくれなかった……私も彼のことを理解しようとはしなかったんだ……そしてそのまま別れてしまった……」


彼の声は震えており、その言葉には深い後悔と哀しみが感じられた。彼は、自分が父との和解を望んでいながら、その一歩を踏み出せなかったことを悔いていたのだ。


「家族との関係は時に難しく、互いの思いがすれ違うこともありますが、あなたの心の中にある愛が彼に届けば、その葛藤も和らぐかもしれません。あなたが自分の思いを伝えることで、魂は救われるでしょう。」


少女は彼に向かって静かに語りかけた。彼がその未解決の葛藤を昇華し、父への思いを心の中で伝えることで、魂の救いを見出せるようにと、優しく言葉を紡いだ。


「でも……私は彼に何も言えなかった……ただ怒りと反発の中で言い争っていただけだ……彼が本当にどう感じていたのか、何も知ることなく終わってしまった……」


彼の声は弱々しく、その言葉には深い無力感と後悔が込められていた。彼は、家族との間にあった壁を越えることができなかったことに対する虚しさを感じていたのだ。


「言葉にできなかった思いも、あなたが心の中で語り続けることで、届くものです。あなたが父への感謝や愛を胸に抱き、それを心の中で伝えることで、魂は救われます。すれ違ったとしても、あなたの愛は永遠に彼と共にあります。」


少女は彼に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼が家族への感情を昇華し、心の中で和解を果たせるようにとの祈りが込められていた。


「そうか……私の思いが、彼に届くことがあるなら……私は父に感謝を伝えたかった……彼が厳しく育ててくれたからこそ、今の私がいる……その気持ちを忘れていたのは私の方だったのかもしれない……」


彼の言葉には、わずかながらも父との関係を修復したいという思いが感じられた。彼は、互いのすれ違いを越えて、父への感謝を見つけようとしていたのだ。


「あなたの感謝と愛が彼に届くことで、父もまたあなたの思いを感じ取るでしょう。家族の絆は、時を越えても決して消えることはありません。その愛があなたを包み、魂は安らぎを得るでしょう。」


少女は彼に対して力強く語りかけた。彼が家族への葛藤を抱きつつも、感謝と愛を伝えることで救いを見出せるようにと、心を込めて言葉を紡いだ。


しばらくの間、彼は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。


「私は……その道を選びたい……父に感謝を伝え、彼への思いを胸に抱きながら歩んでいきたい……」


彼の言葉に、少女は微笑んだ。彼が家族との未解決の葛藤を越えて、心の中で和解を果たすことを選んだことに、少女は安堵した。


「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」


脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼の姿を包み込んだ。彼の表情は次第に穏やかになり、父への感謝を抱いたその顔には、ようやく安らぎが訪れた。


「ありがとう……」


彼の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼の姿は光の中に溶け込んでいった。


「今日の裁きから、何を学びましたか?」


脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。


「家族との関係がすれ違っても、心の中で感謝や愛を伝え続けることで、魂は救われます。絆は永遠に続き、その愛が魂を支えるのだと学びました。」


脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。


霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。

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