第51話 偽りの仮面

三途の川のほとりには、今日も淡い霧が立ち込めていたが、その霧には冷たさとは異なる、どこか重たい圧迫感が漂っていた。少女は、今日訪れる魂が、生前に偽りの自分で生き続けてきたことに囚われているのを感じ取っていた。自分を偽ることがもたらす虚無が、彼をこの地に導いたのだろう。


「今日やってくる亡者は、自分を偽って生きてきた者だ。」


脱衣婆の静かな声が霧の中に響いた。偽りの仮面――それは、自分を守るために被るものでありながら、次第に本来の自分を見失わせ、魂を空虚にしてしまうことがある。自分に嘘をつき続けることで、内なる本当の心が閉ざされ、最終的に行き場を失ってしまうのだ。


霧の中から現れたのは、上品な服装をまとった中年の男性だった。彼の表情には冷ややかで硬い笑みが浮かんでいたが、その奥には深い孤独と虚しさが隠されていた。彼は生前、仮面を被って自分を偽り、他者に合わせて生き続けてきたが、その代償として本当の自分を失ってしまったようだった。


「彼は、生前に自らの本心を隠し、他人の期待に応えるために偽りの仮面を被り続けました。しかし、その仮面の奥にいる自分を誰にも見せることなく、その虚しさに囚われてしまいました。」


脱衣婆の説明に、少女は彼の表情をじっと見つめた。彼が抱える偽りの重さが、その魂を深く縛りつけ、今もなお本当の自分にたどり着けていないことが伝わってきた。


「あなたは、なぜ偽りの仮面を被り続けたのですか?」


少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、しかしその言葉はまっすぐに男性の心に響いていた。男性はしばらく何も答えず、ただ遠くを見つめていたが、やがて苦々しい表情で話し始めた。


「私は……人から認められたかった……誰からも愛されるために、自分を押し殺して、彼らが望む人物を演じ続けたんだ……でも、その結果、誰も私の本当の姿を知らなかった……本当の私は、誰の記憶にも残っていない……」


彼の言葉には、深い悲しみと孤独が込められていた。彼は、自分を偽ることで周りからの愛と認められることを求めたが、そのために本当の自分を隠し、孤独を深めてしまったのだ。


「あなたが抱えていたのは、偽りの自分を生き続けた孤独と、誰にも本当の自分を知ってもらえなかった悲しみだったのですね。」


少女はさらに問いかけた。彼がなぜその仮面を被り続け、何を失ってきたのかを理解するために、慎重に言葉を選んだ。


「そうだ……私は愛されることに飢えていた……だから、自分を隠し、彼らが望む人物像を演じ続けた……でも、それは結局、私自身を孤独にするだけだった……」


彼の声は震えており、その言葉には深い後悔と自己嫌悪が感じられた。彼は、偽りの自分で生きることによって得た名声や愛が、何の意味も持たない虚しさを伴っていたことに気づいていたのだ。


「人は本来の自分を偽らず、素直な心で生きることが、自らの魂を救う力となります。周りの期待に応えるために自分を失うのではなく、自分の心と向き合い、本当の自分であることを恐れないことで、あなたの魂は救われるかもしれません。」


少女は彼に向かって静かに語りかけた。彼がその偽りの仮面を脱ぎ捨て、素直な心で自分を受け入れることで魂の救いを見出せるようにと、優しく言葉を紡いだ。


「でも……私は本当の自分を見せることで、誰からも愛されなくなるのが怖かった……」


彼の声は弱々しく、その言葉には深い恐れと不安が込められていた。彼は、本当の自分が誰かに拒まれることを恐れ、仮面の中に自分を隠し続けてきたのだ。


「本当のあなたを知り、受け入れてくれる人が、真の絆を結ぶことができます。あなたが仮面を捨て、自分を素直に表現することで、魂は解放されます。自分を偽らずに生きることで、あなたの心に真の愛と平和が訪れるでしょう。」


少女は彼に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼が仮面を脱ぎ捨て、自分を受け入れることで真の絆を築けるようにとの祈りが込められていた。


「そうか……私は、自分を隠す必要はなかったのかもしれない……本当の自分であれば、それで十分だったのか……」


彼の言葉には、わずかながらも本当の自分に戻る希望が感じられた。彼は、自らの仮面を捨て、自分を受け入れることで愛を感じられる可能性を見出し始めていた。


「あなたが自分を偽らず、真実の自分でいることで、あなたの魂は安らぎを得るでしょう。自分をそのままに愛することで、魂は解放され、愛と平和に満ちるのです。」


少女は彼に対して力強く語りかけた。彼が偽りの仮面を脱ぎ捨て、自分の心と向き合えるようにと、心を込めて言葉を紡いだ。


しばらくの間、彼は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。


「私は……その道を選びたい……自分の仮面を外し、真実の自分で生きたい……」


彼の言葉に、少女は微笑んだ。彼が偽りに囚われず、自分の真実と向き合う道を選んだことに、少女は安堵した。


「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」


脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼の姿を包み込んだ。彼の表情は次第に穏やかになり、仮面を外したその顔には、ようやく安らぎが訪れた。


「ありがとう……」


彼の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼の姿は光の中に溶け込んでいった。


「今日の裁きから、何を学びましたか?」


脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。


「自分を偽ることは、魂を縛りつけますが、真の自分でいることで、愛と平和を得られます。仮面を脱ぎ、心のままに生きることが魂の救いになるのだと学びました。」


脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。


霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。

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