第45話 許されなかった自分
三途の川のほとりは、今日も冷たい霧に包まれていたが、そこには深い自己嫌悪のような重い気配が漂っていた。少女は、今日訪れる魂が、自分を許せない苦しみに囚われていることを感じ取った。それは、自らの過ちや弱さを許すことができず、長い間自分自身を責め続けた魂だった。
「今日やってくる亡者は、自分を許せない者だ。」
脱衣婆の静かな声が霧の中に響いた。自分を許せないという感情は、時に他者からの許しよりも重く、魂を深く傷つけ、先へ進む力を奪ってしまう。自己嫌悪や後悔が増すほど、魂はますます深い闇に閉じ込められてしまうことがある。
霧の中から現れたのは、やせ細った中年の男性だった。彼の顔には絶望が刻まれており、その目は暗く沈んでいた。彼は、かつて自分の行いに対する後悔と共に、自己嫌悪の中で生き続けてきたのだろう。
「彼は、生前に自らの過ちに気づきましたが、それを許すことができず、長年にわたり自分を責め続けていました。その許されなかった思いが彼の心を蝕み、ついにはこの地に導かれたのです。」
脱衣婆の説明に、少女は彼の表情をじっと見つめた。彼が抱える自己嫌悪と後悔の重さが、その魂を深く縛りつけ、今もなおその過ちに囚われ続けていることが伝わってきた。
「あなたは、どんな過ちを許せずにここに来たのですか?」
少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、しかしその言葉はまっすぐに男性の心に届くように響いていた。男性はしばらく何も答えず、ただ遠くを見つめていたが、やがて苦しげな声で話し始めた。
「私は……大切な人を傷つけてしまった……彼らの信頼を裏切って、私は愚かなことをした……その罪を悔いているが、自分を許すことができない……私は、あの時の自分を思い出すたびに、自分が嫌で仕方なくなるんだ……」
彼の言葉には、深い後悔と自己嫌悪が込められていた。彼は自らの過ちを認め、反省していたが、それでも自分を許せないという感情に囚われていたのだ。
「あなたが抱えていたのは、自分を許せない苦しみだったのですね。」
少女はさらに問いかけた。彼がその苦しみをどのように感じ、どれほど自分を責め続けてきたのかを理解するために、慎重に言葉を選んだ。
「そうだ……私は、どれだけ後悔しても、自分を許すことができない……私の行いがあまりにも愚かで、許しを乞うことすらできない……私には、罪を償う価値すらないと思っている……」
彼の声は震えており、その言葉には深い孤独と絶望が感じられた。彼は、過ちを悔いながらも、自分を赦せないことで自分自身を追い詰め続けてきたのだ。
「自分を許すことは、自分への慈悲を示す行為です。過去の過ちから学び、その学びを他者のために活かすことで、あなたの魂は救われるかもしれません。あなたが自分を許し、罪を超えて前に進むことで、その過ちは価値ある学びとなります。」
少女は彼に向かって静かに語りかけた。彼がその自己嫌悪から解放され、過去を超えた先に救いを見つけられるようにと、優しく言葉を紡いだ。
「でも……私は自分を許してしまったら、その過ちを軽んじてしまう気がして……」
彼の声は弱々しく、その言葉には深い無力感と恐れが込められていた。彼は、過去の過ちを許すことが、自分の罪を忘れることだと感じていたのだ。
「過去の過ちを軽んじることと、そこから学び前に進むことは別のものです。あなたがその経験から成長し、他者のために何かをできるのなら、それがあなたの魂の救いとなるのです。罪を背負いながらも、前へ進むことが本当の贖いかもしれません。」
少女は彼に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼が自分を許し、新たな意味を見出して歩むことで魂を救うことができるようにとの祈りが込められていた。
「でも……もし私が前に進んだとしても、罪が消えるわけではない……私はそれを背負って生き続けるのが当然だ……」
彼の声には、まだ迷いが残っていたが、その中にはわずかに自分を許したいと思う気持ちが感じられた。彼は、自らの罪を認めつつも、それを超えて何かを見つけたいという思いを抱き始めていた。
「罪を背負うことは簡単ではありません。しかし、あなたがその罪を背負いながらも他者のために何かをすることで、その重荷は少しずつ軽くなり、あなたの魂も救われるでしょう。自分を許すことで、罪が消えるわけではありません。むしろ、あなたがその罪と共に歩む覚悟こそが、魂の救いなのです。」
少女は彼に対して力強く語りかけた。彼がその自己嫌悪を乗り越え、過去の過ちを胸に抱きつつも、新たな道を歩む力を持つことができるようにと、心を込めて言葉を紡いだ。
しばらくの間、彼は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。
「私は……その道を選びたい……自分の過ちを背負いながらも、前に進みたい……」
彼の言葉に、少女は微笑んだ。彼が自らの罪を抱えつつも、赦しを見出し前に進むことを決意したことに、少女は安堵した。
「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」
脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼の姿を包み込んだ。彼の表情は次第に穏やかになり、自己嫌悪の鎖から解き放たれたその顔には、ようやく安らぎが訪れた。
「ありがとう……」
彼の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼の姿は光の中に溶け込んでいった。
「今日の裁きから、何を学びましたか?」
脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。
「自分を許すことは簡単ではありませんが、それによって過去の過ちを学びに変え、他者のために生きることで魂は救われます。自分を許しながら歩むことが、真の贖いなのだと学びました。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。
霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。
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