第42話 守れなかった約束
三途の川のほとりは、今日も重い霧が漂っていたが、その霧には特別な重みが感じられた。少女は、今日訪れる魂が、果たされなかった約束に縛られていることを感じ取った。約束を守ることができなかった未練が、その魂を深く締め付けているのだろう。
「今日やってくる亡者は、守れなかった約束に囚われた者だ。」
脱衣婆の静かな声が霧の中に響いた。約束――それは人と人を結ぶ大切な絆であり、それが果たされないと、深い後悔と未練が心に残る。果たされなかった約束に囚われた魂は、誰かを失望させてしまった痛みに苦しみ、永遠に自らを責め続けることがある。
霧の中から現れたのは、年老いた男性だった。彼の目には深い悲しみが宿っており、その表情には長い年月をかけて重ねてきた後悔の跡が刻まれていた。彼は生前、何か大切な約束を交わしたが、その約束を果たせなかったことに苦しんでいたのだ。
「彼は、生前に大切な人と約束を交わし、それを守るために生きてきました。しかし、その約束を果たすことができず、その後悔が彼の魂をこの地に縛り付けたのです。」
脱衣婆の説明に、少女は彼の表情をじっと見つめた。彼が抱える約束の重みが、その魂を深く縛りつけ、今もなおその後悔に囚われていることが伝わってきた。
「あなたは、どんな約束を守れなかったのですか?」
少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、しかしその言葉はまっすぐに男性の心に響くように配慮されていた。男性はしばらく何も答えず、ただ地面を見つめていたが、やがて沈んだ声で話し始めた。
「私は……娘と約束をしていたんだ……私が家族を支え、彼女を幸せにすることを誓った……でも、仕事に追われ、忙しさにかまけて、娘のそばにいることができなかった……結局、彼女の最後の願いにも応えられず、ただ後悔ばかりが残っている……」
彼の言葉には、深い悔恨と自己嫌悪が込められていた。彼は、生前に家族のために尽力したが、そのせいで一番大切な存在と過ごす時間を失ってしまったのだ。
「あなたが抱えていたのは、大切な約束を果たせなかった後悔だったのですね。」
少女はさらに問いかけた。彼がその約束をどれほど重く感じ、どれほどの痛みを抱えてきたのかを理解するために、慎重に言葉を選んだ。
「そうだ……私は家族を守りたかった……娘のためにと思って働いていたが、いつしか彼女との絆を失い、最後の瞬間にもそばにいてやれなかった……約束を果たせなかったことが、私の心を締め付け続けている……」
彼の声は震えており、その言葉には深い悲しみと無力感が感じられた。彼は、自らの選択が家族との約束を遠ざけ、果たせなかったことで後悔し続けていたのだ。
「約束は、相手への思いを形にするものであり、それを果たせないときには苦しみが残ります。しかし、その約束が意味するものをあなたが胸に抱き続けることで、魂は救われるかもしれません。あなたの想いは、決して無意味なものではありません。」
少女は彼に向かって静かに語りかけた。彼がその後悔を昇華させ、家族への愛を心の中で生かし続けることができるようにと、優しく言葉を紡いだ。
「でも……私はもう彼女に何もしてやれない……約束が果たせなかったことに対して、どんな償いもできない……」
彼の声は弱々しく、その言葉には深い無力感が込められていた。彼は、果たせなかった約束に対して、どう償えば良いのかがわからなかったのだ。
「あなたの約束は、あなたの愛の証であり、その思いを胸に抱き続けることで、彼女はあなたの中で生き続けるでしょう。約束を果たせなかったとしても、その愛情が消えるわけではありません。あなたが家族を想い続けることこそが、真の償いかもしれません。」
少女は彼に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼がその後悔を超えて家族への愛を胸に抱きながら前に進むことができるようにとの祈りが込められていた。
「でも……私は彼女にどう伝えればいいのだろう……私の後悔が、彼女に届くことがあるのだろうか……」
彼の声には、まだ迷いが残っていたが、その奥にはわずかながらも希望の光が見え始めていた。彼は、自らの未練を手放すことで彼女に伝わることを願いながら、その先にある救いを求めていた。
「彼女はあなたの想いを理解し、あなたの愛を受け取っているでしょう。あなたが家族への愛を忘れず、前に進むことで、その思いは届くはずです。果たせなかった約束を心に刻みながらも、あなたが新たな道を歩むことで、魂は救われるのです。」
少女は彼に対して力強く語りかけた。彼がその未練を抱きながらも、家族への想いを胸に刻み、新たな人生を歩む力を持つことができるようにと、心を込めて言葉を紡いだ。
しばらくの間、彼は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。
「私は……その道を選びたい……果たせなかった約束を胸に抱きながらも、彼女のために前に進みたい……」
彼の言葉に、少女は微笑んだ。彼が家族への約束を胸に抱き、前に進むことを決意したことに、少女は安堵した。
「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」
脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼の姿を包み込んだ。彼の表情は次第に穏やかになり、約束を胸に抱いたその顔には、ようやく安らぎが訪れた。
「ありがとう……」
彼の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼の姿は光の中に溶け込んでいった。
「今日の裁きから、何を学びましたか?」
脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。
「約束は、果たされなくてもその思いが心に残り、相手との絆となります。果たせなかった約束を胸に抱きながら、それを未来に生かすことで、魂は救われるのだと学びました。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。
霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。
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