第41話 手に届かなかった愛
三途の川のほとりは、今日も霧が立ち込め、どこか切ない気配が漂っていた。少女は、今日訪れる魂が、叶わなかった愛の未練に囚われていることを感じ取っていた。愛を求め、届かなかったその想いは、魂に深い傷と執着を残していた。
「今日やってくる亡者は、叶わなかった愛に囚われた者だ。」
脱衣婆の静かな声が霧の中に響いた。叶わなかった愛――それは、相手を深く想いながらも、その想いが届かずに終わった恋の痛みである。愛の執着は時に魂を苦しめ、前に進む力を奪い取る。彼女は、その未練にとらわれたまま、今もなおその想いに縛られていた。
霧の中から現れたのは、若い女性だった。彼女の瞳には、どこか遠くを見つめるような切なさが宿っていたが、その顔には諦めと虚しさがにじんでいた。彼女は、叶わなかった恋の思い出に縛られ、ここにたどり着いたのだろう。
「彼女は、生前に深く愛した人がいました。しかし、その想いが叶うことはなく、ただ一人でその愛を抱え続けました。その未練が彼女の心に深く刻まれ、この地に導いたのです。」
脱衣婆の説明に、少女は彼女の表情をじっと見つめた。彼女が抱える愛の重さが、その魂を深く縛りつけ、今もなおその愛に囚われ続けていることが伝わってきた。
「あなたは、どんな愛を抱えてここに来たのですか?」
少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、しかしその言葉はまっすぐに女性の心に響くように響いていた。女性はしばらく何も答えず、ただ霧の中を見つめていたが、やがてかすれた声で話し始めた。
「私は……彼を愛していた……ずっとずっと、ただ彼を見ていた……でも、彼の目に私は映らなかった……私はどれだけ彼を愛しても、その想いは届かず、ただ虚しさが残った……」
彼女の言葉には、深い悲しみと切なさが込められていた。彼女は、相手への想いが叶わなかったことに苦しみ、ずっとその愛に縛られていたのだ。
「あなたが抱えていたのは、決して届かない愛への執着だったのですね。」
少女はさらに問いかけた。彼女がその愛にどのように囚われ、どれほど苦しんできたのかを理解するために、慎重に言葉を選んだ。
「そう……彼に愛されることが私のすべてだった……でも、どんなに願っても、彼の心は私に向かなかった……私はただ、一人で彼を想い続けた……」
彼女の声は震えており、その言葉には深い孤独と喪失感が感じられた。彼女は、片想いの果てに虚しさと苦しみだけが残り、その未練から解き放たれることができなかったのだ。
「愛することは、美しいことです。しかし、愛が叶わないとき、それを手放すこともまた大切です。あなたがその愛を昇華させ、自分自身を愛することで、魂は救われるかもしれません。」
少女は彼女に向かって静かに語りかけた。彼女がその未練から解放され、別の新しい愛を見つけられるようにと、優しく言葉を紡いだ。
「でも……私は彼を忘れられない……あの愛がなければ、私は何者でもないように感じる……」
彼女の声は弱々しく、その言葉には深い無力感と執着が込められていた。彼女は、その片想いが自分の存在の全てであるかのように感じていたのだ。
「その愛はあなたの一部であり、あなたの心に大切に刻まれています。しかし、その愛を昇華させ、自分自身を愛することで、あなたの魂は自由になれるのです。愛は手放すことで消えるものではありません。あなたが歩み続ける中で、その愛も共に歩むのです。」
少女は彼女に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼女がその片想いを昇華し、自分を愛する力を見つけられるようにとの祈りが込められていた。
「でも……彼を手放したら、私はどうなるの……私は、彼を想い続けることで自分を保ってきたのに……」
彼女の声には、まだ迷いが残っていたが、その奥にはわずかな希望の光が見え始めていた。彼女は、叶わなかった愛を手放す恐れと共に、新たな道へ進むことの意味を少しずつ見出し始めていた。
「彼を想う気持ちを忘れる必要はありません。あなたの中で彼との思い出を大切にしながら、自分を愛し、未来に向かって歩み続けることが、あなたの魂の救いとなるのです。その愛はあなたを支え、あなたの中で永遠に生き続けます。」
少女は彼女に対して力強く語りかけた。彼女がその愛を胸に抱きながら、自分の人生を歩む力を持てるようにと、心を込めて言葉を紡いだ。
しばらくの間、彼女は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。
「私は……その道を選びたい……彼を忘れるのではなく、私の中で彼を大切にしながら、自分の人生を歩みたい……」
彼女の言葉に、少女は微笑んだ。彼女が片想いの未練を手放し、前に進むことを決意したことに、少女は安堵した。
「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」
脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼女の姿を包み込んだ。彼女の表情は次第に穏やかになり、その愛を昇華させた顔には、ようやく安らぎが訪れた。
「ありがとう……」
彼女の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼女の姿は光の中に溶け込んでいった。
「今日の裁きから、何を学びましたか?」
脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。
「愛は、たとえ届かなくても、私たちの中で生き続けます。叶わなかった愛もまた、美しい記憶として心に刻まれ、それを抱きしめながら前に進むことで、魂は救われるのだと学びました。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。
霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。
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