第31話 愛という鎖

三途の川の岸辺は、今日も冷たい霧に包まれていたが、その霧の中には微かな温かさも感じられた。それは、今日訪れる魂が持つ感情――愛――によるものかもしれない。愛は、時に魂を救い、癒す力を持つが、執着と結びつくと、それは鎖となり、魂を縛り付けることもある。少女は、今日の亡者が抱える愛が、その人の魂をどう縛っているのかを感じ取りながら、静かに心を整えた。


「今日やってくる亡者は、愛に囚われた者だ。」


脱衣婆の静かな声が霧の中に響いた。愛――それは最も純粋で強力な感情のひとつだ。しかし、その愛が過剰になると、相手や自分自身を縛りつけ、自由を奪ってしまうことがある。愛に囚われた魂は、その感情を手放せず、相手を失った後も執着し続けることで、永遠に彷徨うことになる。


霧の中から現れたのは、年老いた女性だった。彼女の顔には深い悲しみが刻まれており、目は何かを追い求め続けるように、どこか虚ろであった。彼女の姿は、まるで失った何かに固執し、その感情に囚われ続けているかのようだった。


「彼女は、生前に大切な人を失い、その人への愛に囚われ続けました。その愛は、彼女を癒すどころか、逆に彼女を縛り付け、その結果、彼女はこの地にたどり着いたのです。」


脱衣婆が静かに語ると、少女は彼女の表情をじっと見つめた。彼女が抱える愛の重さが、その魂を深く縛り付け、今もなおその愛に囚われていることが伝わってきた。


「あなたは、何にそんなに囚われてここに来たのですか?」


少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、しかしその言葉は深く女性の心に響くように配慮されたものだった。女性はしばらく何も答えず、ただ霧の中を見つめていたが、やがて震える声で話し始めた。


「私は……彼を愛していた……でも、彼は先に逝ってしまった……私は、彼なしでは生きられなかった……だから、ずっと彼を追い続けたんだ……でも、彼は戻ってこなかった……」


彼女の言葉には、深い悲しみと執着が感じられた。彼女は、愛する人を失ったことで、その喪失感から抜け出すことができず、その愛に縛られ続けたのだ。


「あなたは、その愛に囚われ続けていたのですね。」


少女はさらに問いかけた。彼女がその愛にどう囚われ、何を感じてきたのかを理解するために、慎重に言葉を選んだ。


「そう……彼なしでは生きられないと思った……だから、彼を探し続けたんだ……でも、彼はどこにもいなかった……私は彼を追い求めるだけで、何もできなかった……」


彼女の声には、深い絶望と自己喪失が感じられた。彼女は、生前に愛する人を失った後、その愛に囚われ続け、その結果、自分自身を見失ってしまったのだ。


「愛することは大切なことですが、その愛が執着に変わり、あなた自身を縛り付けてしまうこともあります。愛を手放すことが、あなたを救う道になるかもしれません。」


少女は彼女に向かって静かに語りかけた。彼女がその愛の執着から解放され、真の意味で愛を理解し、魂を救うための道を見つけられるようにと、優しく言葉を紡いだ。


「でも……彼を忘れることなんてできない……私は彼を愛しているんだ……それを手放すなんて、できない……」


彼女の声は弱々しく、その言葉には深い葛藤と執着が込められていた。彼女は、愛する人を失った後も、その愛に囚われ続けることで、自らを縛り付けてしまっていた。


「愛することは、忘れることではありません。愛する人を心に抱きながらも、その愛を昇華し、あなた自身が前に進むことができれば、魂は救われます。愛を手放すのではなく、愛を解放することが必要なのです。」


少女は彼女に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼女がその愛を昇華させ、執着から解放されることで魂を救うことができるようにとの祈りが込められていた。


「私は……彼を忘れたくない……でも、前に進むためにはどうすればいいの……?」


彼女の声には、わずかながらも希望が含まれていたが、同時にその道の先に待っているものを恐れている様子も見て取れた。


「あなたには、彼を愛し続けながらも、前に進む道が残されています。愛は決して忘れるものではなく、その愛を胸に抱きながらも、自分自身の人生を歩むことができるのです。それこそが、愛する人への真の贈り物になるかもしれません。」


少女は彼女に対して力強く語りかけた。彼女がその愛の執着と向き合い、前に進むための力を持つことができるようにと、心を込めて言葉を紡いだ。


しばらくの間、彼女は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。


「私は……その道を選びたい……彼を忘れずに、でも自分の道を見つけたい……」


彼女の言葉に、少女は微笑んだ。彼女が自らの愛を昇華させ、前に進むことを決意したことに、少女は安堵した。


「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」


脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼女の姿を包み込んだ。彼女の表情は次第に穏やかになり、愛の執着を手放したその顔には、ようやく安らぎが訪れた。


「ありがとう……」


彼女の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼女の姿は光の中に溶け込んでいった。


「今日の裁きから、何を学びましたか?」


脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。


「愛は強い力を持ちますが、それが執着に変わると魂を縛り付けます。愛を昇華させ、相手を心に抱きながらも前に進むことで、魂は救われるのだと学びました。」


脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。


霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。

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