第26話 迷いの森
三途の川のほとりは、冷たくしんと静まり返っていた。今日は、いつも以上に濃い霧が立ち込め、まるでこの世とあの世の境界が曖昧になるかのようだった。少女は、今日も新たな魂を迎える準備をしていたが、今日の亡者は特に複雑な感情を抱えていることを感じ取っていた。霧の中で、心の迷いが漂っているかのようだった。
「今日やってくる亡者は、迷いに囚われた者だ。」
脱衣婆の声が、静かに霧の中に響いた。迷い――それは、決断できないことや、進むべき道を見失った状態を指す。人は時に、選択肢の多さや、過去の選択による後悔に迷い、前に進むことができなくなる。その迷いが続くと、やがては魂そのものを縛り付け、深い闇へと引きずり込んでしまう。
霧の中から現れたのは、一人の若い女性だった。彼女の姿は美しく整っていたが、その目には深い迷いと不安が漂っていた。彼女の姿勢は定まらず、まるでどこに向かって歩けばいいのか分からずにさまよっているかのようだった。
「彼女は、生前に選択を迫られ、その度に迷い続けていました。結局、どちらの道も選べず、どちらの道にも進めずに、そのまま人生の終わりを迎えました。」
脱衣婆が静かに語ると、少女は彼女の表情をじっと見つめた。彼女が抱える迷いの重さが、その魂を深く縛り付け、今もなおその迷いから解放されていないことが伝わってきた。
「あなたは、何に迷ってここに来たのですか?」
少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、女性の心にそっと触れるように響いていた。女性はしばらく何も答えず、ただ霧の中を見つめていたが、やがてかすれた声で話し始めた。
「私は……どちらの道を選べばよかったのか、最後まで分からなかった……進むべき道が分からなくて、いつも不安だった……だから、何も選べなかった……」
彼女の言葉には、深い後悔と不安が込められていた。彼女は、人生の中で何度も選択を迫られたが、その度に決断することができず、迷い続けた結果、何も得ることができなかったのだ。
「あなたは、その迷いがあなたを縛り続けていたのですね。」
少女はさらに問いかけた。彼女がその迷いをどう感じているのか、そしてその迷いからどう抜け出すことができるのかを探ろうと、慎重に言葉を選んだ。
「そう……私はいつも恐れていたんだ……もし間違った選択をしたらどうなるのか……もし違う道を選んでいたら、もっと幸せだったかもしれないと……その思いに囚われて、何も選べなかった……」
彼女の声は震えており、その言葉には深い後悔が感じられた。彼女は、選択することへの恐怖と後悔の念に囚われ、前に進むことができなくなっていたのだ。
「選択することには、時に恐れが伴います。しかし、どの道を選んでも、そこにあなた自身の意味が見いだせるはずです。選ばなければ、何も始まりません。あなたがその恐れと向き合い、道を選ぶことで、魂は救われるのです。」
少女は彼女に向かって静かに語りかけた。彼女がその迷いから解放され、自分の道を選び、前に進むことができるようにと、優しく言葉を紡いだ。
「でも……もしまた、間違った選択をしたら……もし、後悔することになったら……私は、何度もそう考えてしまう……その恐怖から抜け出せない……」
彼女の声は弱々しく、その言葉には深い不安が込められていた。彼女は、過去の選択に対する後悔と、未来に対する恐怖が交錯し、どうしてもその迷いから抜け出すことができなかったのだ。
「後悔は、選んだ結果に対して生まれるものかもしれません。しかし、選ばなければ、何も変わらず、何も得ることができません。あなたがどんな選択をしたとしても、その先に意味を見つけることができれば、後悔は新たな学びに変わります。」
少女は彼女に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼女が恐怖に囚われることなく、前に進むための勇気を持てるようにとの祈りが込められていた。
「私は……本当に選ぶことができるのか……いつも迷ってばかりいた私が……」
彼女の声には、わずかながらも希望が含まれていたが、同時にその道の先に何が待っているのかを恐れている様子も見て取れた。
「あなたには、選択する力があります。迷いは誰にでもあるものですが、重要なのは、その迷いを恐れるのではなく、恐れながらも前に進むことです。道を選ぶことで、あなたの魂は自由になれるのです。」
少女は彼女に対して力強く語りかけた。彼女がその迷いから解放され、自分自身の道を選ぶことで魂を救う道が開かれることを願いながら、心を込めて言葉を紡いだ。
しばらくの間、彼女は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。
「私は……その道を選びたい……もう、迷うのはやめたい……自分の道を見つけたい……」
彼女の言葉に、少女は微笑んだ。彼女が自らの迷いを手放し、前に進むことを決意したことに、少女は安堵した。
「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」
脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼女の姿を包み込んだ。彼女の表情は次第に穏やかになり、迷いを手放したその顔には、ようやく安らぎが訪れた。
「ありがとう……」
彼女の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼女の姿は光の中に溶け込んでいった。
「今日の裁きから、何を学びましたか?」
脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。
「迷いは誰にでもあるものですが、迷い続けることが魂を縛り付けます。選択することに恐れが伴っても、前に進むことで魂は救われるのだと学びました。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。
霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。
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