第15話 赦しを求める者
三途の川は、いつものように薄い霧に包まれていた。少女は、今日も新たな亡者を裁くために、静かに心を整えていた。これまで数々の魂と向き合い、彼女は人々が抱える様々な苦しみ、後悔、そして罪を目の当たりにしてきた。だが、今日の裁きが特別なものになると、彼女は胸の奥で感じていた。
「今日やってくる亡者は、赦しを求めている者だ。」
脱衣婆の声が、静かに霧の中に響いた。赦し――それは、魂が罪を背負いながらも救いを求める行為である。だが、その赦しを手に入れることができるかどうかは、亡者自身が選ぶ道次第だと少女は知っていた。
やがて、霧の中から一人の中年男性が現れた。彼の表情には深い後悔と苦しみが刻まれており、彼はどこかおどおどした様子でこちらに歩み寄った。彼の姿は、まるで自らが犯した罪の重さに耐えきれず、押し潰されそうになっているかのようだった。
「彼は、生前に多くの罪を犯し、その罪に気づいた時には遅すぎた。そして、今は赦しを求めてここに来た。」
脱衣婆が説明すると、少女は彼の表情をじっと見つめた。彼が犯した罪の重さを受け入れる覚悟があるのか、それとも赦しをただ望んでいるだけなのか――それを確かめる必要があると感じた。
「あなたは、どんな罪を犯してここに来たのですか?」
少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、彼の心の奥底に触れるような響きを持っていた。
男性はしばらく黙り込んでいたが、やがて震える声で答え始めた。
「私は……自分の欲望に負けて……多くの人を傷つけた。家族や友人を裏切り、自分さえよければいいと思っていた……でも……気づいた時には、もうすべてが崩れていたんだ……」
彼の言葉には、深い後悔が込められていた。彼は、自分の過ちに気づいた時にはすべてを失っていたこと、その結果として自分が取り返しのつかない道を歩んでしまったことを理解していた。
「あなたは、その罪を償いたいと感じているのですね。」
少女の問いに、男性は苦しそうに頷いた。
「そうだ……私は彼らに償いたい……でも、彼らはもういない……私は、どうすればいいのか分からない……」
彼の声には絶望が漂っていた。彼は、自らの罪を赦してもらうことができないという事実に直面しており、どのようにしてその罪を償えばよいのかを見失っていたのだ。
「償いとは、ただ赦しを求めることではありません。あなた自身がその罪を受け入れ、赦しを求めるだけでなく、行動で示さなければなりません。」
脱衣婆が静かに告げると、男性はさらに苦しそうな表情を浮かべた。彼は、自分の過ちを認識してはいるが、その償いの道がどれほど厳しいものであるかを理解していなかったのだろう。
「でも……私は……もう何もできない……誰も私を赦してくれないんだ……」
彼の声は弱々しく、その言葉には深い無力感が滲んでいた。彼は自らの罪があまりにも重すぎて、償うことができないと感じていた。
「赦しを求めることは、他人に依存するものではありません。まずは、あなた自身が自分を赦すことから始めるのです。自分の過ちを受け入れ、それを乗り越えるために何ができるかを考えるのです。」
少女は彼に向かって、優しく語りかけた。彼が自分の罪を受け入れ、自らの内面と向き合うことができるようにと願いながら、言葉を選んだ。
「自分を赦す……でも、私にはその価値があるのだろうか……私はあまりにも酷いことをしてきた……」
彼の言葉には、依然として深い自責の念が込められていた。彼は、自らが赦されるに値しない存在であると感じていたのだ。
「すべての魂には、救いの可能性があります。あなたが自分を赦し、償うための道を選ぶことができれば、その道の先には救いが待っているかもしれません。」
少女の言葉に、彼は少し考え込んだ。その表情には、まだ葛藤が残っていたが、同時に希望を見出そうとする姿勢も見て取れた。
「私が……本当にその道を選べるのだろうか……?」
彼の問いには、不安と恐れが混じっていた。彼は、償いの道を歩むことの困難さを理解しており、その道を進むことが自分にできるかどうかを確かめたかったのだ。
「その選択は、あなた自身にかかっています。過ちを犯すことは人間にとって避けられないことですが、重要なのはその後にどう向き合うかです。」
少女は彼に向かって、力強く言葉を紡いだ。彼が自分の過ちを乗り越え、前に進むための決意を持つことができるようにと、心から願っていた。
しばらくの間、彼は黙り込んでいたが、やがて深い息をついて顔を上げた。その目には、決意の光がわずかに宿っていた。
「私は……その道を選びたい……自分の罪を償うために、もう一度生きたい……」
彼の言葉に、少女は微笑んだ。彼が自分の罪と向き合い、赦しを求めるだけでなく、その罪を償うための道を選んだことに、彼女は安堵した。
「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うための第一歩となるでしょう。」
脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼の体を包み込んだ。彼の表情は次第に穏やかになり、その姿は光の中に消えていった。
「ありがとう……」
彼の最後の言葉が、少女の耳に届いた。彼の魂は、赦しを求め、償う道を選んだことで、少しずつ救いに向かって歩み始めたのだ。
「今日の裁きから、何を学びましたか?」
脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。
「赦しを求めることは他者に頼るのではなく、自分自身を赦し、過ちと向き合うことで償いの道が開かれるのだと。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。
霧が再び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きから学んだ教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。
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