第11話 永遠に続く執着

三途の川の岸辺で、少女は新たな裁きに備え、心を静かに整えていた。これまで数々の亡者を見送り、学んだ教訓は彼女の心に確かな刻印を残していた。しかし、今日やってくる亡者はこれまでとは違う存在であると、彼女は直感で感じていた。


「今日の亡者は、強い執着を抱えている者だ。」


脱衣婆の言葉が静かに響いた。少女はその言葉に、何か重いものを感じた。執着――それは、人の心に深く根を張り、時にはその魂を縛りつけ、未来へ進むことを阻むものであることを、彼女は理解していた。


やがて、霧の中から一人の女性が現れた。彼女はまだ若く、美しい顔立ちをしていたが、その表情には狂気じみた執着が見て取れた。彼女はまっすぐに少女と脱衣婆を見つめ、その目には尋常ならざる光が宿っていた。


「彼女は、生前にある人物への強い執着を抱き続け、その執着が彼女をここへ導いた。」


脱衣婆の言葉に、少女は彼女をじっと見つめた。彼女が誰かに対して抱く執着がどれほど強いものであったのか、まだ想像もつかなかったが、その執着が彼女の魂を深く縛りつけていることは明らかだった。


「あなたは、何に執着してここに来たのですか?」


少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、女性の心を開かせようとするものであったが、女性の表情はすぐには変わらなかった。


「私は……彼を愛していた……誰よりも深く……だから……」


彼女の言葉は切迫しており、まるで自らの思いを否定されることを恐れているかのようだった。その目には、愛情というよりも狂おしいまでの執着が浮かんでいた。


「しかし、その愛情はあなたをここへ導いたのですね。」


少女の問いに、女性は激しく首を振った。


「違う!私はただ……彼を手に入れたかっただけ……彼は私のものだったのに、他の女が……」


その瞬間、彼女の声は怒りに満ちたものへと変わり、執着がどれほど彼女の心を支配しているのかが、少女にとってはっきりと感じられた。


「その執着が、あなたの魂を縛りつけているのですか?」


少女は慎重に言葉を選びながら、さらに問いかけた。彼女の心には、この女性が執着を手放すことができるのかどうか、確かめたいという思いがあった。


「手放す?どうして私が手放さなければならないの?彼は私のすべてだった……私が彼を失うなんて、絶対に許されない……」


彼女の言葉には深い執着と怒りが込められており、それが彼女の魂を深く蝕んでいることは明らかだった。


「あなたのその執着が、あなたの魂を苦しめているのです。その執着を手放さなければ、あなたは永遠に苦しむことになるでしょう。」


脱衣婆が冷静に告げると、女性の表情はますます強張り、その目には狂気がますます強く浮かび上がった。


「私は彼を手に入れるために何だってした……それでも足りなかったの?私のすべてを捧げたのに……」


彼女の声は、どこか絶望に満ちていた。彼女は自分の愛が報われなかったことへの深い悲しみを抱え、その悲しみが執着へと変わり、彼女の心を支配していたのだ。


「愛が報われないことは、時に非常に辛いことです。しかし、その執着を手放すことで、あなたの魂は解放されるかもしれません。」


少女は彼女に向かって優しく語りかけた。彼女が自らの執着から解放され、次の道を歩むことができるようにと願いながら、慎重に言葉を紡いだ。


しかし、女性はその言葉を聞いてもなお、執着を手放すことを拒んでいるようだった。その目には、まだ愛する者への強い執着が消えることなく燃え続けていた。


「私は彼を手放さない……たとえ何があっても、彼は私のもの……」


彼女の声は震え、その魂は執着に完全に縛りつけられていることが明らかだった。少女はその姿を見て、彼女が自らの執着に囚われたまま、この世を去ることになるのかもしれないと感じた。


「あなたのその執着が、あなたの魂を永遠に苦しめることになるでしょう。それでも、あなたはその執着を手放さないのですか?」


脱衣婆が最後の問いを投げかけると、女性は一瞬黙り込んだ。しかし、その後に再び彼女の目には狂気の光が宿り、彼女は固い決意で答えた。


「私は彼を手放さない……何があっても……」


その言葉を最後に、霧の中から現れた暗い道が彼女の前に開かれた。彼女はその道を選び、執着に囚われたまま、地獄の門へと進んでいった。彼女の姿が霧の中に消えていくその瞬間、少女は深い悲しみを感じた。彼女が解放される道を選ばなかったことが、少女の胸に重くのしかかった。


「今日の裁きから、何を学びましたか?」


脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらくの間、考え込んだ。彼女は、この女性が執着に囚われ、解放されることなく苦しみ続けることを選んだ姿を目の当たりにした。


「執着は、愛とは違う形で魂を縛りつけます。執着に囚われた魂は、解放されることなく永遠に苦しみ続けるかもしれません。」


少女の言葉に、脱衣婆は満足そうに頷いた。


「その通りです。執着は、時に愛よりも強く、魂を苦しめます。それを手放すことができるかどうかは、その魂自身が決めることなのです。」


少女はその言葉を胸に刻み込み、次の裁きに向けて心を整えた。執着の苦しみを目の当たりにした彼女は、さらに深い理解を得たように感じていた。


霧が再び立ち込め、次の亡者が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風の中で、次なる試練に備え、心を引き締めた。

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