第9話 永遠の嘆き
三途の川のほとりは、いつもと変わらぬ静寂に包まれていた。霧が立ち込める中で、少女は次なる裁きに備えて心を整えていた。これまでの裁きの経験が彼女を成長させてきたが、その重さもまた彼女の心に残り続けていた。今日もまた、新たな亡者がこの地を訪れることを、彼女は予感していた。
「今日やってくる亡者は、永遠の嘆きに囚われている者だ。」
脱衣婆の言葉は、これまでの裁きとは異なる重みを帯びていた。少女はその言葉に胸を締め付けられるような感覚を覚えた。永遠の嘆き――それが何を意味するのかを考え、彼女は次第に心の準備を整えていった。
やがて、霧の中から一人の男性が現れた。彼は中年の男で、表情には深い苦しみが刻まれていた。彼の目は虚ろで、生気を失ったかのように見えた。彼はゆっくりとした足取りでこちらに近づき、まるで重荷を背負っているかのように肩を落としていた。
「この者は、生前に深い後悔と嘆きを抱えていた。その嘆きが、彼の魂を永遠に縛り付けている。」
脱衣婆の言葉に、少女は男性の表情をじっと見つめた。彼の目には、希望の光が完全に消え失せ、ただ苦しみと絶望が残っているように見えた。
「あなたは、何を嘆いているのですか?」
少女は静かに問いかけた。彼の心の中にあるその嘆きの正体を知るために、彼女はできるだけ優しく語りかけた。
男性はしばらくの間、何も言わずに地面を見つめていたが、やがて口を開いた。その声は弱々しく、まるで自身の存在をも疑っているかのように震えていた。
「私は……過ちを犯した……そして、その過ちを償うことができなかった……」
彼の言葉には、深い後悔と絶望が込められていた。彼は生前に重大な過ちを犯し、その過ちを悔い改めることなく、この世を去ったのだ。
「その過ちとは、どのようなものですか?」
少女はさらに問いかけた。彼が抱えるその嘆きが、どれほどのものなのかを知るために、彼女はその言葉を待った。
「私は……大切な人を……守れなかった……彼女を失い……それが私のせいだった……」
彼の言葉に、少女の胸が締め付けられた。彼が失ったのは、彼にとって何よりも大切な存在であり、その喪失が彼の魂を永遠の嘆きに縛り付けているのだ。
「あなたの過ちは、決して軽いものではありません。しかし、その嘆きに囚われ続けることで、あなたの魂が救われることはありません。」
脱衣婆が静かに告げると、男性はさらに肩を落とし、深いため息をついた。彼の魂は、過ちに対する後悔と嘆きによって完全に支配され、そこから抜け出すことができないでいた。
「私は……彼女を取り戻したい……でも、それはできない……だから私は、この嘆きの中で生き続けるしかない……」
彼の声は絶望に満ちていた。その言葉には、彼が嘆きを手放すことができない理由が含まれていた。彼にとって、その嘆きは彼女を忘れないための唯一の手段だったのだ。
「あなたがその嘆きを手放さない限り、あなたの魂は永遠に苦しみ続けることになります。それでも、あなたはその道を選ぶのですか?」
少女は優しく問いかけた。彼が自らの魂を救う道を選ぶことができるよう、彼女はその選択を促した。
男性は再び黙り込んだ。彼の心の中では、嘆きを手放すべきか、あるいはそれを抱え続けるべきかの葛藤が繰り広げられていた。
「彼女を忘れることが、私にはできない……」
彼の声は、まるで嘆きの淵から響いてくるかのように深かった。彼はその言葉と共に、再び地面を見つめ、何も言えなくなった。
「忘れることと、嘆きを手放すことは、同じではありません。あなたは彼女の記憶を胸に抱きながらも、その嘆きから解放されることができるのです。」
少女は慎重に言葉を選びながら、彼の魂を導こうとした。嘆きの中で生き続けることが、彼にとって本当の救いではないことを、彼女は感じていた。
「でも……彼女を失った痛みが、私には消せない……」
男性は依然として悩んでいた。彼の魂が嘆きに縛られていることが、彼自身の選択を難しくしていた。
「その痛みを抱えながらも、あなたは新たな道を歩むことができます。その道には、彼女の記憶と共に、あなた自身の救いが待っているかもしれません。」
少女は心を込めて語りかけた。彼が嘆きを手放し、新たな道を選ぶことができるように、彼女はその言葉に希望を託した。
「私は……その道を選ぶことができるのか……?」
彼の声は弱々しかったが、その言葉にはかすかな希望が含まれていた。彼は自らの苦しみから解放されることを望んでいるが、その選択が難しいことも理解していた。
「あなたがそう望むなら、その道は必ず開かれるでしょう。」
少女は静かに答えた。その言葉には、彼を支え、導くための強い意志が込められていた。
男性はしばらくの間、黙り込んでいたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに光が戻りつつあった。
「私は……その道を選びたい……彼女の記憶を胸に抱きながら、新たな道を歩みたい……」
彼の言葉に、少女は深い感動を覚えた。彼が嘆きを手放し、前に進むことを選んだ瞬間だった。
「よろしい。あなたの魂は、これから新たな道を歩むことになるでしょう。」
脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、男性を包み込んだ。彼の表情は、次第に穏やかになり、やがてその姿が光の中に消えていった。
「今日の裁きから、何を学びましたか?」
脱衣婆が少女に問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。
「嘆きに囚われることで、魂は苦しみ続ける。しかし、その嘆きを手放す勇気があれば、魂は新たな道を歩むことができるのだと。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。
霧が再び立ち込め、次の魂が訪れるのを告げるかのように、静かな風が吹き始めた。少女はその風の音を聞きながら、今日の裁きがもたらした教訓を胸に、次なる試練に向けて心を引き締めた。
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