第5話 無垢なる魂の選択
朝の薄明かりが三途の川を照らす頃、少女はいつもより早く目を覚ました。昨日の裁きが心に残り、彼女はその感覚を噛み締めていた。自らを消し去ろうとする魂、過去に縛られた魂、そして救われた魂。それぞれの魂の行方は、彼女にとって重く、しかし成長の糧でもあった。
「今日も、また新たな魂がやってくる。だが、今回は少し違う存在だ。」
脱衣婆の言葉に、少女は顔を上げた。これまでの裁きとは異なると聞き、心の中で緊張が走った。だが、彼女はすぐにその不安を抑え、覚悟を決めた表情で頷いた。
霧の中から現れたのは、これまでとは異なる姿だった。彼はまだ幼い少年で、目は無垢な光をたたえていた。着物は清潔で、彼の姿からは罪の影など一切感じられなかった。彼は、どこか無邪気な表情で脱衣婆と少女を見つめていた。
「この子は……」
少女は驚きの声を漏らした。これまで裁いてきた亡者たちとは、まったく異なる存在であることがすぐに分かったからだ。彼の魂には、穢れがないように見えた。だが、なぜこの少年がここにいるのか、少女には理解できなかった。
「この子は、生前に何も悪いことをしていない。むしろ、彼は無垢な心で多くの人を助けてきた。」
脱衣婆の言葉に、少女はさらに困惑した。無垢な魂が、なぜこの場所にいるのか。彼が背負う業や罪が存在しないのであれば、彼は裁かれる必要がないのではないかと、少女は考えた。
「では、なぜ彼はここにいるのですか?」
少女の問いに、脱衣婆は静かに答えた。
「この子には、選択が必要なのだ。無垢な魂であるがゆえに、この世に未練が残っている。彼は、自らの未来を選ぶためにここにやってきた。」
脱衣婆の言葉に、少女は少しの間言葉を失った。魂が自らの行き先を選ぶ。これまでの裁きとは異なり、この少年の未来は、彼自身の手に委ねられているのだ。
「君は、どこへ行きたい?」
少女は、優しく問いかけた。彼女はこの少年がどのような選択をするのか、興味と不安の入り混じった感情で見つめていた。
少年は、しばらくの間何も言わずに考え込んでいた。彼の目には、まだ幼さが残るが、その奥には深い思索がうかがえた。やがて、彼は静かに口を開いた。
「僕は……みんながいる場所に戻りたい。」
その言葉に、少女は胸を締め付けられるような感覚を覚えた。少年の言葉は純粋であり、彼がまだ生きていたいと願っていることが伝わってきた。しかし、三途の川のほとりに立つ者が戻ることはできない。彼の選択は、実現できない願いだったのだ。
「君の気持ちはよくわかる。でも、君はもうこの世には戻れない。ここで、これからの行き先を決める必要があるんだ。」
少女は、できるだけ優しく、しかし真実を伝えるべく語りかけた。少年の表情が曇り、彼の小さな体が微かに震えた。
「でも、僕はみんなのことが心配なんだ。僕がいなくなったら、きっと寂しい思いをする。」
彼の言葉には、家族や友人への深い愛情が込められていた。その無垢な心が、彼をこの地に留めていたのだ。少女は、何とかして彼を救いたいという思いで、脱衣婆に目を向けた。
「この子には、まだ未来がありますか?」
少女の問いに、脱衣婆は慎重に頷いた。
「この子の魂は、まだ穢れがない。もし、彼が強く望むならば、再び転生し、新たな人生を歩むことができるかもしれない。しかし、それは稀なことであり、彼自身がその道を選ばなければならない。」
脱衣婆の言葉に、少女は再び少年に向き直った。彼の目に涙が浮かび、彼は自分の選択に悩んでいる様子だった。
「君は、再び生きることができるかもしれない。でも、それは新しい人生だ。君の記憶は消え、また新たな世界で生きていかなければならないんだ。」
少女の言葉に、少年はしばらくの間考え込んだ。そして、やがて決心したように顔を上げた。
「僕、もう一度生きたい。みんなと一緒にいられなくても、新しい世界でまた誰かを助けたい。」
その言葉に、少女は胸が熱くなるのを感じた。無垢な心を持つ少年が、自らの未来を選び、新たな人生を歩むことを決意したのだ。
「よろしい。君は、再び生まれ変わるだろう。」
脱衣婆は静かに告げると、天秤を掲げた。天秤は微かに揺れ、やがて光の道が霧の中から現れた。少年の体がその光に包まれ、徐々に消えていく。
「ありがとう、さようなら。」
少年の最後の言葉が、少女の耳に届いた。その瞬間、彼の姿は完全に消え、光だけが残された。
「君は、また新たな人生を歩むだろう。」
脱衣婆が静かに言葉を紡ぐと、光の道もやがて霧に包まれ、消えていった。
少女はその場に立ち尽くし、無垢なる魂が選んだ道を胸に刻んだ。彼がこれからの人生でどのような運命を辿るのか、誰も知ることはできない。しかし、彼の純粋な心は、新たな世界でまた誰かを救うことになるだろうと信じていた。
「お前は、この裁きから何を学んだ?」
脱衣婆が少女に問いかけた。少女はしばらく考え、そして静かに答えた。
「選ぶということの重さと、新たな道を歩むための勇気を。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者が訪れるのを待った。少女もまた、次なる試練に向けて心を準備した。この地での学びは終わることなく、彼女は少しずつ成長していくのだった。
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