後日談:レンカとヴァイ

 魔王封印どころか、《ラユの地》の吹雪や魔王そのものが消えてしまって、アルテンブルグ王国は大きく変わった。

 まず魔族と戦う必要がなくなった。当然だがミエリの一族も忌々しい任務から解放された。職を失ったなんて国に難癖つけようとする奴もいるにはいるが、オレとしては有り難い話だ。

 奴らまぞくの方も、信奉していた魔王様が神様になってしまったわけで、戦う大義を無くしたらしい。《ラユの地》から出てきて人間社会に適応しようとし始めている。新しい王、清くて正しいはそういう弱者を見捨てたくないようで、分け隔てなく受け入れよ、なんて命令まで出している。

 弟のクレーも同意見のようで、しょっちゅう家から出て行っては元魔族の連中を手助けし、護っているらしい。


 それでも尚、レンカは不服だった。

 何が不服って、あれだけお嬢お嬢言って思いの丈をぶつけていたってのに、イルマはヴァイを唯一の人に選んだらしい。よりにもよって彼女を裏切り、首を落とした男だぞ。今は清廉な顔して陛下と呼ばれているあいつだ。

 

 何で……何でオレじゃないんだよ。



 —————————


 レンカは一族最強の戦士で、壊滅的な女たらしで、自分勝手で最低なトラブルメーカーでもあった。

 何せ王国中に恋人が、愛人が、妻がいて、結婚はしない。子供もいるが誰一人認知していない。ミエリ族として何よりも戦いを強いられる身の上に置かれた彼は、その反動のように女遊びに興じてきた。生まれつきの美青年であるため、相手には事欠かなかった。レンカにとっての生活とは、戦って泥塗れになることと女を抱くことの往復に近かった。


 私生活は破滅思考でも、仕事はちゃんとこなす主義だ。

 幼い時から戦いに出ていたが、最初に兄が死んで、歳を取る毎に死んでいく兄弟の数が増えた。油断は死に繋がる。隙を見せないように笑みを張り付ける癖がついた。

 

 だからあの時、ハミルトン邸に忍び込んでヴァイモンと並ぶ歩く女のせいで矢を外した時は、心底驚いた。敵に射った矢を外したのは初めてだ。何か苦しげにしていたが、こちらに気付いて反応したとしか思えないタイミングだった。レンカはその晩に再びハミルトン邸へ忍び込み、あの女と話した。


 「なんで襲撃が分かったか、だよね。悪いけどそれは言えなくて……ただ、代わりに教えてあげる。わたしも王子の命を狙っているの」


 下手くそな嘘だ。この女からは血の匂いがまるでしない。そのくせ自分自身は見たこともないくらいに正直で人を疑わない気質で、危ういとすら思った。

 あの不可思議な予知能力も気になり、レンカは彼女の言うままに協力関係を築くことにした。

 今思えば、あの頃からレンカはイルマに興味津々だった。

 

 

 —————————


 レンカは憂鬱な心境で、王都の石畳を踏んでいた。ミエリ族と知られると面倒なので、普段着ている黒衣や毛皮のものでなく、市民が着ているような服を身につけている。

 《ラユの地》の事件以降、レンカにとって王都は、できる限りは避けたいという街になった。もともとミエリ族として仕えてきたが王家そのものに良い印象は無かったし、いけ好かない貴族ばかりで、王都の中心には魔王封印の英雄王などと刻まれてヴァイモンの銅像が建てられている。最悪もいいところだ。


「あ、兄さん」

「おう、クレー。何してんの?」

「アイノ達の所に、来てました」

 思わぬ所でばったりと弟に出くわした。クレーは例の魔族の件で、時々王都に来ている。元魔族の赤眼兄妹ともそこそこ仲良くしているようだ。人と接する機会が増えたせいか、拙かった喋り方が少し滑らかになってきている。

「兄さんこそ、どうしたんですか?」

「いや、別に」正直言えば女関係だが、弟には基本言わない。

「ちょうど良かった。実は、陛下から頼まれごとが、あるんです」

 レンカの眉間の上にびきりと筋が入った。本人からなら断っているところだが、無垢な弟から言われると断れない。深く溜め息をついてから、弟を連れ立って喫茶店に入った。



「ふうん、護衛ね〜」

 レンカはそう言ってから、カップを持ち上げて温くなった紅茶を啜った。

 ヴァイモンからの頼みは要するにこうだ。

〝魔王が封じられた国〟として他国から恐れられていたアルテンブルグ王国は、そのお陰で二〇〇年ほど土地を侵されずに済んできた。だが魔王が消え、魔術も制限された今になって、近隣諸国が怪しい動きを見せている。ヴァイは侵攻を抑止するためもあって西方ハミルトン領へ出向き、隣国ユーヴェネイジアの使節と会談する予定があるので、その護衛を頼みたいとのこと。

「お前、どう思う?」

 レンカはカップを置いて弟・クレーに尋ねた。

 全く気乗りがしない……。護衛なんて王家直属の騎士達に任せとけば良い、それこそあの魔族兄妹もいる。わざわざ元ミエリ族の兄弟を引っ張り出してきて頼むことではない。

「おれは、力になれるなら、手伝いたいです」

「〜〜、だよなあ〜〜」

 弟の良心一〇〇%の回答にレンカは唸って、顔を両手で覆ってしまう。

 絶対そう言うと思ってた。こんなに優しい子がオレの弟でいいんだろうか。

 レンカはこの血が繋がらない弟のことが大好きなのだった。


「兄さんは、どうですか。難しいですか……?」

「うう……いや、行く。行くよ……」

「よかった」

 クレーの純粋無垢な笑顔を見て、レンカは苦笑いしながらがっくりと肩を落とす。こうなる予感はしていた。

 そして今になってはっと気付いた。オレ、クレーといいイルマといい、純粋で馬鹿正直なヤツが好きなのか。気付いてから余計に恥ずかしくなって、レンカは顔を再び両手で覆って隠した。



 ◆ ◆ ◆

 


 数日後、ハミルトン邸の屋根の上に元ミエリ族、レンカの姿はあった。

 今日は馴染みのある毛皮製の外套を羽織った姿だ。夜なら黒ローブだがまだ昼間なので、人目を避けたいならこちらの方が適している。

「魔術が使えないのは不便だな」

 レンカは弓の弦を張りながら愚痴をこぼす。以前だったら一族秘伝の陰に紛れる魔術を使っておけば、敵に気取られることはまず無かった。

 巨躯のクレーはさすがに隠れるのが難しいので、ヴァイモン本人の側で護衛をする。レンカの役目は、ハミルトン邸宅西側の応接室、会談の場となるその屋上から敵を警戒することだ。お誂え向きに、屋上からは内部の様子は分からずとも、レンカの耳になら会話を聞き取れるくらいには音が聞こえた。万が一の場合にも対応は可能そうだ。


『——初めまして、アルテンブルグ王国のヴァイモンと申します』

『恐れ入ります。ユーヴェネイジアから参上いたしました、使節の——』

「お」

 ちょうどよく会談が始まったようだ。レンカは邸宅周辺への警戒を続けつつ、会話の内容に耳を澄ませる。あの男の、ヴァイモンの失言でもあれば拾って土産にしてやろうという腹積もりだ。特段、命を懸けてまでヴァイモンを護ってやる気もなかった。元々憎い男なのだ、敵に殺されてしまうならその方が都合良い。

 

 しばらくの間は、レンカにしてみればつまらない話が続いた。仕事は仕事、欠伸一つせずに神経を尖らせているが、本当に敵の危険があるかも疑わしかった。

『——ところで陛下、我がユーヴェネイジアの王が仰るには、貴方様はかつて魔王の一派に属していたのだと……』

「ほお?」

 そんな時、レンカの耳が使節からの興味深い話題を捉えた。一体どこから情報が漏れたのか。おおかた、魔王が消えて行き場を失った魔族が交易品代わりに差し出したのだろう。ヴァイモンにとって最も苦しいであろう話だ。レンカはヴァイモンが苦心する顔を思い浮かべ、若干、胸の内のすく心地がした。

『……そうです。私はかつて魔族に与して、彼らを手助けしていました』

「は? おいおい⁉」

 ところがヴァイモンは悩むどころか、あっさりと非を認めてしまったではないか。これには流石のレンカも驚いて声をあげた。応接室内からも動揺でざわめいているのが分かった。


『私は愛しい人の死に取り憑かれていました。彼女を助けたいと思うあまり、魔族とも手を組んだ。……当然ながら、これは大きな間違いだった。結果的に魔王は消滅したが、それは私の力によるものではない……。先人達、魔族に抗した偉大な戦士達、そしてある一人の優しい少女の……友を想うゆえの結果なのです』

『……陛下は、どうなされるのですか? 魔族と接したことが罪とみなされ、いずれ裁かれるとしたら』

『構いません。元より身を粉にし、務める覚悟です。ただし、私の後にもう二度と同じような……誰かが命を犠牲にしなければならないような国にしない。そんな人物にこの国を引き継いでもらいたい』

 ヴァイモンの淀みない決意のほどを聞き、レンカは目を丸くした。

 知らなかった。たまたま王子として生まれ、魔族についたりイルマを殺して後悔したり、どっちつかずで何がしたいか分からない男だという印象を抱いていた。その行動の理由が愛しい人のためだったということ、自身がどのように裁かれたとしても、背負った使命を果たそうとしているということ。ヴァイモンなりに背負うものがあったのだと、知り得てしまった。

「……っ」

 レンカは顔を顰める。会話を盗み聞きしていたことを後悔した。〝嫌みな恋敵〟の方がよっぽど気が楽だったというのに。


 その時だった。

 鋭敏な耳でなく、レンカの頭の内にきんと響いた。あの時以来失われた、愛する友人の声が——。

 

 『……カ! レンカ! !』


 全身の毛がぞわりと逆立った。驚異的な速度で集中力が研ぎ澄まされていく。

 レンカの紫の瞳は獲物を見定めるようにギョロギョロと動いて、陰を追った。邸宅の影、庭園の影。陰に紛れた刺客。——あいつだ。


 次に息をついた瞬間には、もう矢を射った後だった。

 ほとんど無意識で撃てるまで高められた技術が、寸分の狂いもなく刺客の頭を射抜いていた。刺客が死体となってから、ハミルトン邸に詰めていた騎士達の目にとまり、騒ぎとなった。

 それもそのはず、あれはレンカ達ミエリ族が使っていた、陰に紛れる魔術だ。普通の人間が見て気付けるものじゃない。ヴァイモンの情報を誰かが売った、などと考えていたが、実際ミエリ族の魔術も何者かが持ち去ったのかもしれない。〈魂〉さえ削れば魔術は使えるのだから。


「…………助かったよ、イルマ」

 レンカはぼそりと呟いた。間違いなく彼女が助けてくれたのだと、そう確信して。



——「本当に助かった。ありがとう、レンカ」

 「いや、別に……」

 会談後、ヴァイモンはわざわざレンカのもとへ礼を言いにやってきた。レンカは仕事が終わったら勝手に帰るつもりでいたが、ヴァイモンには勘付かれていたのかもしれない。


「なあ、ヴァイモン。ずっと聞きたかったんだけどさ……アンタ何で、イルマのことが見えるんだ? 声も聞こえてるみたいだけど」

「偶然なんだ。そもそも私は転生者なんだが、イルマと私は前世で繋がりがあって、それを知ったルオンという神が……」

「……は? へっ??」

 軽い気持ちで聞いたつもりが、とんでもない話に発展して度肝を抜かれた。

 ヴァイモンが言うには、彼はもともと過去の【カリヴィエーラ】に生きた人間で、転生する際に〝ルオン〟という神に〈魂〉が関わりを持ったことで、神の類と話せるようになったのだ、とか。なので、神となったイルマが見えるのは結果的なことで、本当に偶然なのだという。

 

「じゃあ、さっきオレが聞いた声は何だったんだ」

「……彼女が言うには、ちょっと無理した、らしい。には魔王の身体も融合しているのだが、それも元々は願いを叶える〝サンポ〟という秘宝だから、その力で少しなら話せる、だそうだ」

 レンカは呆気にとられてしまった。

 今まで勝手にヴァイモンを嫌っていたが、彼自身には嫌われるような要因がなにも存在しなかったことになる。

「本当はイルマも、人々と話したがっているんだけどね。何せ〈魂〉が関わらないといけないから。皆が死んで、眠って、転生して……何千年もかかってしまうそうだ」

 ヴァイモンが苦々しい顔をする。レンカにも、あれだけペラペラ喋る少女が人と話せないのは寂しいだろう、と容易に想像がつく。眼窩の奥がつんと痺れるような、何ともいえぬ物寂しさを覚えた。

 

「……オレがアンタを嫌いだと知ってて、護衛なんて頼んだのはどうしてだ。 どうせ、知ってたんだろ?」

「彼女の、イルマの友人だからかな。これ以上、信頼できる理由もないだろう?」

 ヴァイモンはどこか得意げに言い、微笑を浮かべる。

「……ははっ! それだけは、違いない!」

 レンカは邪気が抜かれてしまって、吹き出すようにして笑った。


 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「よっ、お邪魔するよ〜」

「あら、レンカ? 急にどうしたのよ!」

「お父さん、またお話に来てくれたの?」

「そうだぞ〜、この前の続きな! 地母神イルマリネン様のお話、聞きたいだろ?」


 アルテンブルグ王国のどこかで、褐色肌の紫瞳をした色男が女子供を誑かしている。

 子供達に語り聞かせるのは、魔王封印を手助けしたといわれる女神様の話。明るくてちょっと抜けていて愛情深い女神の話は、子供達に大人気だ。

 誰が呼んだか、端麗なる語り部ミエリは今日もふらふらと王国を往く。

 

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