終章 大親友

《ラユの地》、および王都アルテンブルグで起きた一連の出来事については、国王と七領主、そしてごく一部の人間以外には伏せられた。

 娘を失ったハミルトン領主、第一王子を失った王家、多くの戦士を失ったミエリ族、それから魔族。互いに悲しみを慰め合いながら、去った人々への想いを悼み偲んだ。

 極寒に閉ざされた《ラユの地》で雪が止んだこと。魔王が消えて魔術の仕組みが変わり、王家から使用を控えるように命が下ったこと。そんな出来事に関する真実を知らぬままだ。けれど滅びの危機は回避され、民達は平穏を取り戻している。


 アルテンブルグ王家は第二王子ヴァイモンの帰還を喜び、回復を待ってからいずれ王位を譲ることとした。

 ヴァイモンは消極的だった以前と変わって、アルテンブルグ王国全土へ足を運んで交流を持ち、平民貴族の垣根を超えて国政に励んだ。それは魔族と戦ってきたミエリ族や、魔族、魔女の末裔にも及び、反感を買いもしたが、決して諦めようとしなかったという。献身的な活動はやがて実を結び、王国に根付いていた階級差別の思想主義は徐々に解消されていく。

 ミエリ族のとある女好きは相変わらずであったとか、無口な巨人が迫害から魔族を守ったであるとか、隣国でどこかの令嬢が成功を収めたとか、魔族兄妹が王都騎士団に入って事あるごとに騒動を起こしていたとか、そんな話しも伝え聞こえる様になったが……また別の話である。

 





——数月後、バーバリー領 バーバリー邸宅


「……嬢様! ティエラお嬢様! ……」

 階下から侍女達が慌ただしく走り回っている音が聞こえる。

 ティエラはなかば放心していて、それが自分を呼ぶ声だと気づかないまま、窓の外を眺めていた。客室で紅茶を入れるのは、友人を喪ってから時々行っていることだ。多めのジャムの乗ったティーセット。向かい側、誰もいない席の前に静かに置くと、寂しげに笑った。


「……イルマさん。あなたは何処へ行ってしまわれたのでしょうね。わたくし、あの時なぜだか、あなたが戻ってくるはず、と信じて疑わなかったですの。絶対全部を解決してしまうと思ってしまっていて……。けれども、戻ってこられなかった……」

 ティエラは窓の外、緑に色づく枝葉が風にそよいで揺らめいているさまを、ぼんやりと見つめている。

 魔王が消えたという日以来、バーバリー領内も随分と暖かくなった。けれどその直前までは、暴風雪が吹き荒れていて、このままでは領地が雪に沈んでしまうのではないかと慌てたくらいだった。ティエラはあの時、イルマが何とかしてくれたのだ、と確信している。ティエラももう妙齢で、父の後を継いでバーバリー領主として立たなければいけないのだが、イルマの件が心を暗く覆い決心がつかないままになってしまっていた。


「……あ、お嬢様! こちらにいらっしゃいましたか。急遽ですが、ヴァイモン陛下がいらっしゃってます。ティエラお嬢様に御用とのことです」

「……あら? わたくしに? 陛下が?」

 客室に侍女が入ってきて、ようやくティエラは自分が呼ばれていたことを認識した。

 ヴァイモンといえば、イルマが行方不明になった件で関わりがある人物。あの日彼はイルマと何かがあった筈なのだろうが、領主ではなかったティエラには真実が知らされなかったので、どう接すればよいか分からずにいた。突然の来訪、そして一令嬢にすぎない自身への要件。ティエラは困惑していたが、どうやらヴァイモンは待っているつもりが無かったようで、すでに客室前にやって来ていた。


「ティエラ殿! 久し振りだな。急な訪問で、そのうえ貴方の予定も聞かぬまますまない」

「へ、陛下……。お久しぶりでございますわ。わざわざご足労いただき恐縮至極に存じます」

「ああ、ティエラ殿。私のことはヴァイ、とでも。陛下も無しでいいんだ、本当に。そんな清廉な人間じゃない」

「……?」

 ばたばたとやって来たヴァイモン・アルテンブルグ……現在の国王。以前纏っていたような高潔だが人を寄せ付けない雰囲気から、ずいぶんと様変わりしていることに気付く。どちらかといえば、神官や僧侶の奉仕精神に近いとすら感じた。


「実は、貴方に逢わせたい人が居る。驚くかもしれないが……どうか、受け入れて上げて欲しい」

「え……?」

 うろたえるティエラを尻目に、ヴァイモンが優しげに目を細めてから、懐に腕を差し入れる。

 ゆっくりと抜き出した手の甲に乗っていたのは、蝶々だった。以前見た記憶がある、銀色の柄の蝶とは違っていた。銀、青、そして鮮やかな桃色。春のような美しい三色で彩られた蝶は、ひらりと舞い上がるとティエラの目の前を通り過ぎ、テーブルの上へと向かった。蝶々はジャムを数口味わってから、ティーセットのすぐ手前に留まった。


「あ……あ……」

 ティエラは驚愕のあまり声を発することもできず、口元を抑えていた。今はもう過ぎ去ってしまった、懐かしい思い出。イルマと、蝶々と、ミエリ族の兄弟も。和やかに紅茶を楽しんだ時間。ただの偶然かもしれない、けれど今の蝶々の動きはあまりにも似ていた。まるで、イルマさんと、蝶々さんみたい。


「……『約束、遅くなってごめん。こんな姿になっちゃったけど……友達でいてくれる?』 と……」

 傍らで見守っているヴァイモンが、通訳のようにして喋った。ティエラは目を見開き、今言われた言葉の意味をじわじわと理解していく。


—— 「ご乱心された殿下も! 蝶々さんのお願いも‼ みんなまるっと救って絶対に戻っていらしてくださいね‼‼」——

 

 自分があの日、イルマに言ったこと。約束を守ろうとしてくれていた。

 そう、それは今でも同じで。きっと、どのような形であっても、イルマはイルマで。


「……当然ですわ。わたくしは、イルマさんの大親友ですから……!」

 涙を湛えたくしゃりとした笑顔で、ティエラは誇らしげに言い切った。肌を優しく包む暖かさがまるで頬笑むようにして、一陣の風とともに吹き抜けて行った。



《了》

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