第40話 新たな《管理者》
いつの間にか、雪は止んでいた。
魔王ノルタは立ち尽くして俯いた体勢になり、動力を停止したように動かない。大魔女ヒウルは魔王を護ることをやめようとしなかった。ミエリ族の兄弟とキュリを相手にして全く遜色なく戦い続け、時間が経つほど消耗していった。戦うのをやめろ、とレンカが何度か叫んでいるが、止まる気配はない。
「はぁ、はぁ……」
ヴァイは荒く息をついた。軋む身体に鞭打って、魔王に向かって歩を進めている。周囲の喧噪が遠く聞こえ、ゆっくりと流れていくように感じられた。大魔女といえども流石に、四人全員を阻むことは出来なかったようだ。しかしヴァイは既に戦う力を無くしており、右手の剣は握っているのか凍りついているのか、さほど違いはない。今はただ魔王に向かっていく無力な人間というだけだった。
一体何がしたいのか。イルマを裏切り見捨てておいて、この体たらくだ。リンロートという過去の想い人にこだわるあまり、目の前の大事な人を護れなかった。それでいて、ほんの少し残った可能性に縋ろうとしている。
——『ヴァイモン……っ‼ この外道め‼ イルマがどんな想いでお前を助けようとしていたか、分からねえのか!』
——『そうやって腰を抜かしていれば宜しいわ。ワタクシは諦めないし、戦いますけれど』
——『じゃあ初めからやんなよ』
ヴァイを責め立てた数多くの言葉が頭を過る。まったく間違っていない。死者に囚われ、初めから汚れていた手だ。自身を信じてくれたイルマ。裏切られてなお、魔王に留まる彼女の強い心。
赦して欲しい、赦されたい、もう一度だけ逢いたい。……自分のような愚かな人間が? 思い上がるな。願いと自責、懺悔が胸の内に錯綜していた。
だが、それでも動かずにいられない。ハミルトン邸の中庭が懐かしく思い起こされる。手を繋いで笑っていたあの瞬間を取り戻せるなら。もう叶わない望みと知りながら。
ヴァイは一歩ずつ積雪を踏み超えていき、ついに魔王の目の前まで辿り着いた。魔王は変わらず死んだように止まっていて、両の眼にも光はない。……死んでしまったのだろうか。だとしたら、イルマも? ルオンの声も聞こえない。何が起きたのかすら把握できないまま、ヴァイは気づけば声を震わせ、哀哭していた。
「イルマっ……私が愚かだった……。もう、赦されるとは思っていないが、それでも……君に逢いたい。もう一度話したい。私の命を、心臓を奪ってくれたっていい。だから……」
ヴァイは雪原の上に
閉じた瞳の向こうで何かが眩く光った。
瞬間、奇妙な感覚に包まれた。言うなれば肉体を失ったかのような……痛みや重み、身体を包むあらゆる神経から抜け出して、虚空へと放り出されたかのようだった。それは一瞬の間のことで、ヴァイはすぐに通常の感覚を取り戻した。閉じていた瞼を上げて、何が起きたのか状況を確かめようとした。
魔王が佇立していた場所に、別の存在が降り立っていた。身体つきは男性とも女性とも取れる中性的な外見をしており、
「……イ……ルマ……?」
ヴァイは信じられない想いで口にした。
目の前にいるものは、イルマとは似ても似つかない外見をしている。だがヴァイ自身の本能的な直感が、間違いないと告げていたのだ。外見だけなら魔王に似ていて、感情豊かなイルマに比べれば表情が薄かった。
ヴァイが腕に抱えていたイルマの首は、いつの間にか消え去っていた。
「風が……」
キュリが片手を風にかざして、呆然と呟いた。ごうごうと荒れていた風は消え失せ、一年中降っているという雪さえも止んでいた。
レンカ達の前には積雪へ埋もれるようにして老婆の亡骸が倒れ伏している。長時間の戦いの末、ラユの大魔女は〈魂〉を使い果たしたのだ。
その隣でレンカは、なにもない虚空に向かって話しかけているヴァイを見て、悔しげに視線を伏せた。
何でオレには見えなくて、お前には見えるんだよ。
しばらくの間逡巡してから、気怠そうにヴァイの側へ向かっていく。
『ヴァイモン・アルテンブルグ』
不思議な声だ。女性、男性、機械。様々な存在が混ざりあったような声質で、でも誰が発したのかは明確に分かった。ヴァイは眼前に立つ存在へと跪き、頭を垂れた。
『私は新たな《管理者》……そして、あなたの友達だよ。
頭上から落とされた言葉の意味を理解した途端、ヴァイは頭をがばりと上げ、息を呑む。
叶ったこと、叶わなかったこと、……変わってしまったこと。込み上げる激情に耐えきれず、彼は嗚咽した。
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