第13話 訪問者

 ハミルトン領に戻り、すっかり気が動転したお父様を宥め尽くしてから数日。イルマはまた田舎貴族ハミルトン令嬢としての平穏を取り戻していた。

 王都の舞踏会では命を狙われる大事件となりつつ、新たな友人もできた。以降も交流は続いており、ティエラからはハイテンションを体現したような超長文の手紙が届いてOh……と立ち尽くし、レンカからはクレーが書いたのだというちょっと下手な字の手紙が届いて暖かい気持ちになった。ヴァイはまた忙しくしているのか、こちらからは手紙を送ったが返事は貰っていない。


「……ちょっとだけ……寂しいな」

 イルマは私室の窓枠へ寄り掛かるようにして、ぽそりと呟いた。

 地下書庫で危険な目に遭った時、ヴァイは必死に助けに来てくれ、その後からはイルマを護るようにずっと傍にいてくれた。

 王家の人間、第二王子……そんな身分を持つヴァイが、ただの子爵令嬢に過ぎないイルマをあれだけ厚遇してくれるなんて、本来なら有り得ないことなのだ。そのせいで貴族内でも噂になってしまった。色事に鈍いイルマとはいえ、この特別扱いがどういう意味を持つかはさすがに分かっていた。王子ヴァイは……自分を好いてくれている。

 一方でイルマ自身はいまだに、彼をどんな風に感じ、見ているのか定められずにいた。大事にしてくれる人であるのは間違いない、けれど彼を恋心として好きであるかどうかは分からなかった。



「イ・ル・マ・さあぁああ〜ん!!! お邪魔いたしますわよ〜!!」

 

 何の前触れもなくクソデカ大声が屋敷内に響き渡り、イルマはびくりと肩を上げて硬直した。肩にくっついていたルオンもビクッとなった。


「……ティエラ!?」

 女性のもので、よく通って少し低い声の持ち主にすぐに思い至り、イルマは大急ぎで私室から飛び出した。


「こんにちはイルマさん! 突然の訪問をお詫びいたしますわ!」

 よそ行きの格好をしたティエラは、入り口すぐのホールでにこにこと微笑んで待っていた。

「ハア、ハア、ハア……さっきここから叫んだってマジ?」

『人間の声帯の成せる業じゃないだろ!! イルマの私室まで何部屋あると思ってるんだ……』

 私室から走ってきたイルマはぜえぜえと肩を上下する。

 ルオンが若干おののききながら頭の中で言ったことに、イルマは全面的に同意した。田舎貴族とはいえハミルトン邸の大きさは声を張って聞こえる次元ではない。喉、拡声器か何かなのかな?

 

「少々、王都まで向かう用事がありましたので、ハミルトン領はお隣ですしお会いできればと、伺った次第ですの」

「そうなんだ……! ついこの前舞踏会に行ったばかりなのに忙しいね」

「ええ、ほらわたくし、もう年齢を重ねておりますでしょう? 将来もありますからお父様の政務を補佐しておりますのよ」

 ティエラはなんてことないように言って笑ってみせる。イルマは素直に尊敬の念を覚えた。普段はこのように明朗闊達な貴族らしく振る舞っている彼女も、領内の治政について責を負って働いているのだ。 

「そんなことよりイルマさん! 王都からの道行きついでにアルテンパイを買って参りましたのよ! 早速お茶にしませんこと?」

「本当!? わたしアルテンパイ大好きなの! ゲストルーム……は、今日はお父様が使われるご予定もないわよね? 行きましょうか!」

 色気より食い気、イルマは王国名産・必殺のアルテンパイに一発で籠絡され、令嬢二人は入り口ホールのすぐ隣にあるゲストルームへきゃいきゃいと話しながら移動していった。

 

「おいし〜!!」

 ミルク粥を葉っぱの形をしたライ麦の生地に包んで焼き上げた菓子、アルテンパイ。少しぼそぼそとした食感で素朴な味がするが、ジャムや卵ペースト、ハムやチーズなどを乗せて食べると美味である。イルマはこのパイを最初「ドリアか?」と思ったものだが、慣れると大好物になってしまった。

「まあまあ、そんなに喜んでいただけるなら買ってきた甲斐がありましたわ! 蝶々さんはいかがかしら?」

 蝶であるルオンを見る時だけは目つきが豹変するティエラが、手をわきわきと動かしながらパイを近づけてくるので、肩に留まっていたルオンが頭の中で悲鳴を上げた。

『いっいらない! いらないって言ってくれイルマ!』

「……ちょうどお腹いっぱいだからいいみたい……ごめんね」

 そうですかと残念そうに肩を落とすティエラが、しかし瞳だけは諦めずにギラリと輝いたのを見て、ルオンは慌てて逃げるように窓から外へと飛んで行った。

 

「それにしても、先日の舞踏会は大変素晴らしかったですわね! 殿下とイルマさん、まるで花の妖精と白馬の騎士様みたいで……いえ、魔法のガラスの靴を履いた令嬢と優しい王子……いえいえ、殿下はそのままですわね……世界で一番美しい姫と……いやいや……」

「う、う〜ん?」

 過大評価すぎる。イルマは苦笑いするしかない。

 ティエラは舞踏会の日もそうだったが、とにかく一人で妄想が突っ走っていく癖がある。

「それにしても、イルマさんは殿下といつご婚約されるのです? あれだけ相性バッチリ、惹かれ合う、誰が見てもお似合い……お似合いすぎるっ……ウッウッ」

「あ〜あ〜」

 妄想が行くところまで行って泣き出してしまったので、イルマはハンカチを手渡す。ティエラは涙を拭う仕草は令嬢らしく優雅だ。

 

「婚約なんて全然考えてないよ。そもそも、彼を好きかどうかもはっきりしていないの。ヴァイだって、本当にこう、わたしを好きでいてくれてるのか分からない……し……」

 イルマは気付けばそんな話題を零していて、話してから猛烈に恥ずかしくなった。ルオンが聞いてたら爆笑されていそうな内容である。

 するとティエラは、もう全て承知している……語らずともよい……そんな老練じみた顔つきで何度も頷いた。

「恋は彷徨うものですわ。最初からはい好き! もう大好き! 結婚! と行かないから手強く、そして美味しいものですの……」

 しみじみと語ってから彼女が口にする紅茶は、賢者か仙人が愛飲している秘薬のようにさえ見えた。

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