第12話 魔女と魔族

 王国の冬は北方ラユの地の奥、ヒウルの山を越えてやってくる。今年もまた、あと数週もすれば厳しい寒さが国中を覆うことだろう。


 アルテンブルグ王家の第二王子ヴァイモン──は、白い息をつきながら、王都から南東に広がるノグ湖で小舟に乗っていた。連れているのは数名の騎士のみ。それですら、どうしても言うので仕方なく連れてきた者達だ。騎士達との間に会話はなく黙々と、前方に見える小島を目指して船を進めていた。

 小島はキージと言う名を持っており、怪しげな装飾を特徴とした古代建築物が残っている以外は、人が寄り付かぬ地だった。月に一、二回程度、王都の兵士が密猟者の出入りがないかを確かめに訪れる程度だ。だから、のような手合いにとっては好都合なのだろうな、とヴァイは思った。小舟はキージ島の入り江に横付けされ、乗りあわせた人々は順に浜へと足を降ろしていく。

 キージ島は昼間に訪れると、長閑で緑鮮やかな風景と湖とのコントラスト、木造建築による教会や聖堂が浮かんですら見え、幻想的な眺めだそうだ。だが夜深い時刻である今は、灯りひとつない不気味な暗やみが続いているのみだった。連れの騎士から手燭を受け取ってヴァイが浜から陸地へと歩いて行くと、他の騎士達も後をついてくる。キージ島自体の面積が無いため、少し歩けばもう砂浜でなくなって草の匂いがした。

 草地を幾分歩くと正面に見えてくる古い聖堂があった。キージ島独特の建築で、一見すれば魔術師の根城のようにも見える。

 ここが待ち合わせの場所だった。



「……ようこそ。アルテンブルグの第二王子」

 夜闇のベールを捲ったかのようにして、忽然と目の前に現れた老女が、歓迎を口にした。


「……貴方が《ラユの地》の大魔女、ヒウルか」

「いかにも。ようやくのご対面だねえ。くっく……」

 赤いローブに身を包んだ魔女は陰鬱に笑う。

 ヴァイの背後では騎士達が今にも斬りかかって行きそうなほどに、警戒感をむき出しにしている。無理もないだろう。《ラユの地》は王家にとって忌まわしき土地。かつて魔王の勢力に組した者たちが今なお、その血を脈々と受け継いでいる地であって、北の山脈ヒウルと同じ名を持つ彼女こそが、《ラユの地》の支配者なのだ。


「ヒウル殿、無礼をお許し願いたい。彼らは国に仕える者として、務めを果たそうとしているだけなのです」

「……」

 ヴァイはできるだけ穏便に済ませようと思って詫びを口にしたが、大魔女ヒウルの方は何も答えなかった。黙っていても魔女の放つ威圧感が凄まじい。無意識に腰が引けてしまいそうなほどだ。するとヒウルは片腕を鋭く振り上げて、ぱちん、と指を鳴らした。

「呪術か⁉︎」

「殿下、お下がりください!」

 騎士達が口々に叫ぶ。

 ヴァイは内心で舌打ちした。自分が「良い」と言うまで剣は抜くなと言っておいたのに、恐怖に身が竦んでしまっているのか、騎士達はすでに剣を抜いている。

 魔女の手から放たれたのは魔術でも呪術でもなかった。ヒウルの背後の暗闇から、また別の人間が現れたのだ。黒い髪と赤い瞳をした若い男女だった。彼らは魔女を守る騎士のようにヒウルの両脇に立つと、男の方がにっかりと笑ってから口を開いた。


「やあ、初めまして。あれっ? ヒウル婆さん、僕をお呼びってことは殺していいんだよね?」

 肩ほどまでの長さの髪、垂れ目で体つきも細い、いかにも優男といった風貌の人物。穏やかな笑みとは対照的な台詞を口にしたことで、相対する騎士達の間に動揺が広がる。ヒウルは吐息のような笑い声を立てたあと、頷いた。

「王子はどうやら、足枷が重いようでね。ハイネ、取り除いてさしあげな」

「ああ、それは難儀だね~。任せちゃってよ!」

 優男の方、ハイネという名の男は相変わらず笑顔のままで、背負っていた槍を取り出した。次の瞬間、ヴァイが剣を抜く間もなく、この男が騎士達に襲い掛かったのが分かった。というのも、そうと認識した時には、すでに背後から夥しい量の血飛沫が飛んできたからだった。

 ヴァイは恐怖から振り返る事を躊躇った。すでに物音は止んでいる。戦いというには不条理すぎる、戦いになっていなかった。王家付きの腕利きの兵隊が、あの男の槍一本で易々と制圧されてしまったのだ。するとヴァイの正面で、黒髪と赤い瞳をした女の方が、やれやれと肩を落とした。

「兄さん、また一人で終わらせて。あたしだって戦いたいのに!」

「あ、本当に? ごめんアイノ、つい楽しくなっちゃった」

 ヴァイの視界の端から現れたハイネの身体は、返り血で真っ赤になっていた。

 世間話かと見紛うような調子で言葉を交わしているこの二人は、どうやら兄妹のようだ。恐らくは魔女ヒウルの部下、側近のような存在なのだろう。となれば『魔族』と呼称される一派ということになる。目の前でまざまざと見せつけられた、魔女と魔族の持つ力。ヴァイ自身の力はもちろん、王家や騎士をとっても彼らに及ぶ者は居ないのかもしれない、そう思わされた。


「さて、王子よ。ようやく落ち着いて話が出来そうだね。こちらへ付いてくるがいい」

 魔女ヒウルはそう言うと聖堂へ入っていく。ハイネとアイノは魔女に随行する。

「……」

 ヴァイはこの場で起きたことに圧倒され、立ち尽くしてしまう。だがもう後戻りはできまい。この手はすでに選んでしまったのだから。

「……ート。待っていてくれ」

 ヴァイは小さく呟くと、生唾をひとつ呑み込み、魔女達の後を追った。

 


 夜分にキージへ向かったのを最後に、第二王子ヴァイモンの消息は途絶えた。

 そして第一王子ヒースの遺体が、王宮地下から発見されたのは、その翌日のことだった。

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