第38話 諒恕
ルオンは自分が涙を流していることに驚き、混乱している様子だった。
イルマは気づけば魔力の奔流から手を外し、幾分か幼くも感じられるルオンをじっと見つめていた。
「ルオン……もう世界を滅ぼすのは止めよう。大事な人達を苦しませることなんてない。それにルオンだけじゃない、やっと会えた魔王も……ノルタだって恨まれることになるよ」
イルマは揺るぎの無い様子で淡々と告げる。すると平常心を失っているルオンが、泣き声混じりに叫んだ。
『じゃあ、一体どうしろと言うんだ。他に《管理者》から逃れる方法はないんだ! 世界を滅ぼして、最期に生き残る一人になってもらう以外、方法なんて……』
「ルオン」
しかしそんな慟哭を遮るようにして、イルマは再びルオンの名を呼んだ。どこか彼女らしくない、静かでいて強く決意の籠められた声だった。
「前に話してくれたよね。三位一体……『三つの〈魂〉かそれに近しい意思を内包した存在になれば、神となる資格を得ることができる』ってさ」
『……?』
「ここには、
『っ……!」
イルマの言わんとしていることを察して、ルオンの顔色がさっと青ざめた。もともと不健康な生気の無い肌をしている彼は、今となっては倒れてしまうのではないかという蒼白な面差しであった。
『お前、まさか神に……《管理者》になると言っているのか!? 何故、そんな……』
ルオンは先程までの支配者然とした態度が消え去って、動揺と心配の感情を全面に見せている。これまでたった独り、《管理者》を務めてきた者としての苦しみをイルマに味合わさせたくない、そんな心境でいることは明白だった。
「ごめんルオン、わたしさ……ルオンを《管理者》から解放してあげたいんだけど、何せ死んじゃったじゃん? 今できるのはこれが限界みたいで。でも独りぼっちで人間達を見守るのは辛いし、憎いって思うかもしれないけど、三人一緒だったら違うと思うんだ。嫌いな人間がいても、あいつ本当さ〜! って愚痴言い合ったり出来るもんね」
やや芝居がかった動きを交えながら、軽口じみてへらり、と笑うイルマ。
「わたしは大事な友だちに死んでほしくないけど……ルオンだって大事な友だちに変わりないよ。ルオンが苦しんでいるなら何とかしたい。だから……」
『分かってるのか? 《管理者》《かみ》になるということは、何千年、何万年と消えることが無い存在になる。死にたくても死ねないんだ! お前がそんな苦しみを知る必要なんて無いじゃないか……ふつうの〈魂〉として還って、転生して楽しく生きればいい。それを……』
ルオンはそこまで言ってから、耐えきれなかったように俯き、下唇をぎりと噛んだ。
『……僕を赦せるのか? お前を裏切り、殺した者を。そんな相手と未来永劫一緒に居られるのか? お前の……イルマの信頼を裏切った、この僕を……』
ルオンは俯いたままで、自分自身の腕を抱きしめるように握った。身体はわずかに震えて、下を向いている顔の縁から涙が零れているのが見えた。
ああそっか、怖いんだな、とイルマは思った。人を裏切ることはできても、赦されないのは何よりも怖いことだ。イルマ自身、植え付けられた強迫観念から、人からの期待を裏切ってしまうことを恐れていた。
人との関わりって何なんだろうな。ともすれば綱渡りのようで。怖い、憎い、殺したい、そんな苛烈な感情を抱いてしまう程なのに、独りではいられない。神様になってもそう。
ぐるぐると思考が紡がれて渦巻いていく。いくら考えても終わりの無い思考の迷宮をイルマはじっくりと享受した。そうやって畏れ、悩んでしまうことだって愛おしい。
——結論は初めから決まっていた。
イルマは無言ですたすたとルオンのもとへ歩いていき、彼の目の前に立った。ルオンは涙を零し続けながら、どこかきょとんとした顔で見上げてくる。
肺一杯に空気を吸い込むと、イルマは大声で叫んだ。
「この馬鹿! 毒舌大魔王!! 自己中!! あんぽんたんッ!!!」
ノルタの〈魂〉の中である淀んだ世界で、イルマの罵倒はいっそ清々しく響き渡った。
『……なッ……』
「今後はわたしの言うことをちゃんと聞いて、二度と嘘つかない! 無駄にカッコつけないこと!! 以上! 許した!」
呆気に取られるルオンに構わず思うままを存分に言いきり、イルマはふう! とスッキリしたように息を吐く。
数秒間、互いに無言の時間が空いたあと、ルオンとイルマが同時に吹き出した。
けたけたとひとしきり笑ってから、ルオンの方から口を開いた。
『あははは! 全く、お前には本当に敵わないな……。ふう、分かった……約束を守る。これからは二度と、お前の信頼に背かないと誓うよ』
ルオンはいったん笑いを抑えると、胸の上に右手を持って行き、約束について言及する。
裏切りに対するイルマのあっけらかんとした赦し方は、ルオンの心に深く横たわっていた痛みや、過去の悲しみを多少なりとも軽くしたようだった。これまで見せたことのなかった、幼げのある青年らしい不器用な笑顔を、彼は湛えていた。
『僕の側に……いや、これからも僕と……友で居てくれるか?』
「うん! わたしはしつこいから。飽きるほど友達でいてあげるわよ。困った神様!」
イルマは底抜けに明るく言い返した。
ルオンは今度も笑顔を見せたが、その青い瞳だけは哀しそうに、友を道連れにしてしまう罪悪感を滲ませていた。
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