第37話 魔女の贖い
もう何度目か分からない。ヴァイは吹き飛ばされて、雪の中へ無様に転がった。彼の腕の中ではイルマの首が壊れないように大切に抱え込まれている。凍りついた血と汗には構わず無理に立ち上がると、ばりばりと剥がれ落ちていく。だいぶん怠くなった足腰に鞭を打って、ヴァイは再び魔女と対峙する。
「いい加減諦めな、王子! 無駄だよ! 何が不満だ? リンロートは救ってやったじゃないか!」
「……」
ヴァイは答えようとせず、再び魔王へ向けて足を進める。大魔女ヒウルは溜息をついて杖を傾け、幾度目かの暴風を呼んだ。もはやまともな抵抗ができないヴァイは、容易く飛ばされてしまう。力なく呻くばかりのヴァイだったが、処刑場の石壁とは違った柔らかいものに背中から受け止められた。今にも倒れそうに項垂れているヴァイは、背後へとゆっくりと顔を見上げた。
「おいおい、ヴァイモン……アンタ何やってんだ?」
ヴァイの腹辺りを持ち上げて抱え、倒れそうになる身体を支えてくれているのはミエリ族の男だった。確かレンカという名前だったか。とうてい理解できない、という表情をしている。そこへ、嘲笑っているような甲高いキュリの声が横入りした。
「レンカ、その男は今更になって大事なものに気付いたのよ。取り戻そうとしているんだわ」
「はぁ……? まあ、ひとまず休んでれば、王子」
レンカはヴァイをゆっくりと降ろして座らせようとするが、ヴァイは震えている脚に力を入れてどうにか堪え、首を横に振って止めた。
「すまない……休ませないでくれ……」
ヴァイを抱えていた腕から拍子抜けするように力が抜け、項辺りに溜息を付かれたのが分かった。『じゃあ初めからやんなよ』とレンカに小声で囁かれて、腕が放される。ヴァイは剣を支えにして立位を保った。よろよろと足下が覚束ないヴァイのことを、巨人クレーの心配そうな目線が見下ろしている。
レンカやヴァイ達のやり取りを、魔女ヒウルが興味深そうに見ていた。レンカが目聡く魔女の視線に気付いて、真意が掴めずに僅かに首を傾げる。すると魔女の方も心境を察したのか、かか、と渇いた嗤いを立てた。
「裏切り者をどうするか気になっただけさ……かつての儂らも同じだった。六〇〇年前、魔王様を裏切って
「!」
レンカが目を見開く。確かにミエリ族に伝わる伝承では、魔女と魔族、そして彼らを狩る我々の部族はもともと同じルーツを持っている、と伝わっている。ヒウルの話通りなら、魔女もミエリ族も、ともに賢者の子孫ということになるだろう。
「魔王を封印した一族の末裔が、今度は魔王を手伝おうっていうの? 魔族って一体……」
「その通り。魔王様を裏切り、あまつさえ封印するなど、大きな間違いだったのさ。儂ら魔女は過去の罪を雪ぐために戦っている……!」
訝しむキュリに言葉を返すと、魔女ヒウルは杖を天高く掲げる。一層強くなった吹雪がレンカ達に向かってごうごうと吹き荒れた。
「全く、どいつもこいつも! 馬鹿なんじゃないかしら!」
「キュリ嬢、オレは大いに同意するぜ」
元令嬢とは思えない口汚さで罵るキュリに、レンカは笑った。
するとヴァイがふらふらと頼りない足取りで、再び魔王の方へと足を踏み出した。散々苦労させられたレンカにしてみれば、あのやられ具合は正直いい気味だが、嘲笑している場合ではない。
レンカは面々から躍り出て、ヒウルの正面に立つと両腕を前方へとまっすぐ伸ばしてから交差させる。魔術を行使し、ヒウルの操る暴風を相殺した。
瞬間、レンカは妙な感覚を覚えた。ヒウルの起こす魔術は強大に見えるが、ぶつかった魔力自体はレンカよりずっと弱いものに感じたのだ。そもそも、レンカは魔王から力を引き出して行使しているが、魔王の行いを支えたいと思っている魔女がわざわざ魔王から力を奪うようなことをするだろうか。そこまで考えて息を呑んだ。
「この魔術……〈魂〉を直接消費しているのか⁉ お前そんなことしたら、死っ……」
「そうさ! 因果にも、かつての賢者の封印も〈魂〉によるものだった。これは儂の忠誠でもある。魔王様が目覚められた今、少しのお力も零すわけにはいかぬ!」
ヒウルは少しの迷いもなく言い切った。レンカは舌打ちする。
ハイネといいアイノといい、大概にしてほしい。魔王とか滅亡とか、過去の罪の償いなんていうものがそこまで尊いのだろうか。本当に尊いのはそんなものじゃないだろ。レンカの奥底でままならない歯痒さと叫びが渦巻いた。
レンカにとって何より代えられないのは、誰にも脅かされない穏やかな時間だ。戦いを運命付けられて生まれた彼は、気を緩めることが許されずに常に冷静、そして笑顔でいる。不足を埋めるように女性を見つけては口説いて抱き、多方面から恨みを買っているが、仕方ないと割り切っていた。だからイルマのような本当に純粋で悪意を持たない友人が、たまらなく必要で大切だった。
脳裏にイルマの笑顔が浮かんだ。視界が潤みそうになったところで、レンカは思考を無理やり断ち切った。
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