第36話 孤独な神

「ルオン、あなたは間違ってるよ」

 イルマは魔王ノルタの〈魂〉の中、真正面に立つルオンへ言い切った。対するルオンは眉間に皺を走らせる。


『……物分かりが悪いな。見ただろう? 我が【カリヴィエーラ】に住まう人間達の醜悪な姿を。利己的で冷血で……僕に彼らを護り続けろと言いたいのか?』

「確かに、ああいう人たちも居るよ。〝人間ってそういうもの〟でしょ? けどさ……わたしや、ヴァイや、ティエラ。レンカもクレーも……いっしょに過ごした人達をみんな、殺しちゃってもいいやって思っているの?」

 イルマに言われ、ルオンは僅かに表情を曇らせた。傍から見れば些細な変化でも、この世界に転生させられてから二〇年をともに過ごしたイルマには、手に取るように分かった。


「わたし、知ってるよ。ルオンはそうやって冷淡なフリをしているけど、実際は人のことを気にかけて、心配してしまうんだよ。口は悪いけど、いつだってわたしの側に居てくれて、危ない時は声を張り上げて助けようとしてくれた。レンカを良い奴だって笑って、ティエラの時は押しの強さに驚きながらジャムを食べてくれたよね。だから、わたしにとってのルオンは……絶対になんだよ」

『……!』

 話が進むうち、ルオンの目は徐々に見開かれていく。イルマのことを信じられない、という心境で見つめた。

 諭しても考えを曲げようとしない。リンロートの恐怖が〈魂〉に染み付き、あれだけ本心を偽って他人の顔色を窺っていたイルマが、真っ向から想いをぶつけてくる。

 〈魂〉の世界で誤魔化しはきかない、これはイルマのが本心から持ちうる信念そのものだ。何がきっかけだったのか知らないが、異様な決意の強さを見せていた。


『お前は……一体何があったんだ。リンロートに何か諭されたのか?』

「うん? 励ましてもらったよ! でもね、今わたしがルオンに言っていることは、元々そうだったってだけ」

『利用され、騙されて、殺されても……僕を友達だと言うのか?』

「もちろん悲しい気持ちだよ。でも、ルオンがどう考えても、わたしがルオンを友達だって信じるのは、わたしの勝手じゃない?」

 イルマはどこか得意げに、にかっと笑ってみせる。リンロートとの対話で得た結論がこれだった。一度は裏切られて顔も見たくないと思うけど、友達だからこそ正面衝突しに行くし、止めたいと願う。愛と憎しみは裏表の関係だ。大事だから憎いのだ。


『……お前には僕の気持ちはわからないよ。独りで、ようやく得た友と救いを裏切りによって失い、助ける手立てを考えて策を弄して……馬鹿馬鹿しいだろ。なにが《管理者》だって思わないか? 終わらない孤独に支配され、〈魂〉に干渉出来る以外は、不自由なだけの存在だ』

 ルオンはイルマが手繰り寄せようとした優しさを切り捨てるように、目を背けながら言った。彼の声色は震えていた。イルマは何か言いたげだったが、下唇を噛んで黙った。


『僕はもう疲れた。愚かな人間たちを見るのも、裏切るのも裏切られるのも……だから友達なんて妄言を口にしないでくれ。僕は【カリヴィエーラ】を滅ぼして、ノルタへ《管理者》を継ぐ。そうしなければ、もう壊れてしまう。僕は……』

「ルオン……」

 誰に対しても常に上から目線で、感情をひた隠すルオンが見せた、初めての弱音だった。

 確かにルオンは時々、頭の中で会話をしていても言動が危うい事はあった。凝り深いというか、人を過度に警戒していて、自分の言うことは絶対という態度を示していた。それはきっと、この長すぎる孤独と悲しみがもたらしたものなのだろう。


『……さあ、分かっただろう? 僕がお前の考えに賛同することはない。出ていってくれ。でなければ無理やり追い出すしかない』

「るっルオン! ちょっと待って。わたしの話を聞いて!」

 イルマが抵抗を示すように、魔王の中に流れる魔力の束を、両手に何本もぎゅうと握り込む。ルオンはイルマの胸あたりに手先を向け、腕を伸ばそうとし、伸ばしきる直前でぴたりと止まった。


「間違ってるのは……やり方だよ。ルオンが寂しいのも、辛く感じているのも、分かる。だけど……」


 その瞬間、ルオンが留めていた腕を伸ばして、イルマに向かって手の平を広げた。

 同時にイルマの身にこれまで経験のない、恐ろしい痛みが全身へと走った。〈魂〉だけの筈なのに、心臓を鷲掴みにされ、血管や皮膚を無理やり裂いて引っ張り出そうとされているような感覚を覚えた。あまりに衝撃的な苦痛で、叫び声をあげることすら出来なかった。地獄のような苦しみは数秒与えられた後、解放された。イルマは崩れ落ちて、床面の上に倒れ伏した。


『僕の気持ちが、分かるって? 僕は分からないよ、と言ったんだ。勘違いするな』

「……はっ、ぜぇっ、はあっ、はあ……」

 倒れていてルオンの顔を見上げる余裕もなかったが、冷徹な声だった。恐らくこれが〈魂〉への直接の干渉というやつだ。イルマはとてつもない痛みに心底恐怖した。ルオンはいつでもこの力が行使できて、優しさゆえに手加減してくれていたに過ぎない。正直もう一度これが与えられるなら言うことを聞いたほうがいい、とすら考えてしまうほどの、耐えがたい辛苦だった。


 しかしイルマは震える手を宙に伸ばし、再び魔力の流れに手を掛けると、それを利用して身体を引っ張り起こした。顔が引き攣っていて痛みで額から幾本も汗が流れたが、眼差しだけは毅然としていた。


『お前……』

「間違ってるよ、ルオン。傷つけられたからって全てを憎み、滅ぼそうとするのは間違いだ。わたしの前世……の前世、そういう理由で戦争や虐殺を行った人は大勢いた。憎しみは次の争いを呼んで、何百年経っても終わらない悲しみになったの。世界を滅ぼすことだって大して変わりない……みんな死ぬから、だからひとつも恨まれないなんてこと、無いでしょう?」

 民族紛争、浄化、報復。〈魂〉に刻まれた記憶、戦争の歴史がたくさん思い返される。実際に目で見たわけではないけれど、地球もまた憎しみだらけだった。


「わたしはルオンとヴァイに! そんな悲しさの根源になってほしくない! だから止めに来たんだよ、友達として‼」


 決死の想いで叫んだイルマに、ルオンはたじろいだ。

 

 ルオンにとって、こんなことは初めてだった。いや、今となっては遥か過去、前の世界で生きた時代ではあったのだろうか……もう覚えていない。久方ぶりに奥底の何かを動かされた気がして、ルオンの頬を涙が伝っていった。

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